シバちゃんのため息

古代史講座二回目(みんなうそで儲けてる)

おはようございます。マヨです。シバちゃんが寝ている隙に記事をアップしましょう。
今日は歴史講座の二回目です。司馬ちゃんが出てきますよ。
さて、歴史学会最高の儲けネタ、邪馬台国のおはなしです。
これまた長いので、ごめんね。読みたい人だけ読んで下さい。

マヨの歴史講座二回目

私が歴史に足を踏み込むきっかけは、多くの人がそうであったように、邪馬台国のロマンでした。世界的な陰謀の研究に嫌気を感じ、つまり世の中がいやになるような、そして大人たちが怪訝な顔をするような研究は止め、もっと楽しくなるような研究をしたいなと思ったのでした。それが真剣に研究を始めると、じぶんでも意外な方向へ行ってしまった。
ほとんどの研究書は、邪馬台国論争のスタートを魏志倭人伝の有名な航路の謎解きからはじめる。まあ、当然なのだろうけど、もちろん、私も皆さんと同じく地図を開きながら韓国南部から対馬へ、そして壱岐へ、さらには・・・・こうして皆さん罠にはまっていくのですね。この方法をとる限り、絶対に歴史学会の思う壺にはまる事になる。それではいけないのです。
そこへ行く前に、どうしても知っておくべき重要な事があるのです。
一番重要なことは、なぜ卑弥呼が魏王に朝貢する必要があったのか、なのです。

当時の魏王室の状況は、魏帝が病弱で後継者争いが始まりつつあった。その中で実力、人望ともナンバーワンだったのが司馬仲達で、有力者達は彼を中央から遠ざける意味も含め、当時燕王として自立していた遼東の公孫氏を征伐する将軍に司馬氏を派遣する事を決めた。司馬氏も同じく、中央にいて勢力争いに巻き込まれるよりは、魏内部で勢力争いをさせたほうが自分にとって都合が良いと考えていたのですね。
問題は公孫氏が勢力を持っていたのは遼東、即ち楽浪郡であった。現在の遼寧省、瀋陽あたりと考えられる。さらに、帯方郡と言うのは公孫氏が楽浪郡十八県の中から南側七県を独立させ新たに作った郡である。つまり、そこは鴨緑江と遼東に挟まれた遼東半島に他ならない。(この論証はなかなか大変なのだ。)
ほとんどの歴史書がその真実をねじ曲げ、間違った概念を押し付けている。つまり、私が主張するのは遼東半島には三韓が、つまり馬韓・辰韓・弁韓がいて、彼等はそこに設置された帯方郡の公孫氏に服従していたと考えられる。しかも魏志によれば、三韓はそれぞれ倭と接していると書かれているから、遼東半島の南部にも倭があったことになるのだ。晋書によれば、倭には東倭といわれるものもあり、こちらを現在の北朝鮮に比定するのが妥当だと思う。つまり、現在の北朝鮮こそ倭の本国そのものだったというのが私の意見であります。
北朝鮮問題がいっこうに解決しない根本的な原因がここにあるのでは・・・と私は思っています。当然ですが、今の平壌が首都だったでしょうね。
さて、司馬氏は公孫氏の遼東郡を滅ぼすために、幽州から母丘倹率いる大軍を進軍させ、、遼東半島に上陸させた水軍とで挟み撃ちにする戦略を立てた。これは後の隋や唐も高句麗討伐にまったく同じ攻略法を使っている。つまり、遼東を制圧するには遼東半島、つまり、日本軍があれほどの被害を受けながらもどうしても奪う必要があった、旅順、現在の大連を占領する事が絶対条件であった。もちろん、従来の歴史では帯方は南朝鮮になっており、根本的に間違っているのだが。仮にそうであるなら、公孫氏は最初から存続できないはずで、こんな簡単な理屈がどうしてわからないのだろう。
つまり、学説からすると、公孫氏の攻略と卑弥呼の朝貢は何ら関連性はない。つまり学説からすれば公孫氏は戦う前から包囲されている事になり、魏がわざわざ対馬海峡を越えて倭国へ使者を使わす意義は認められないし、ましてや遠い日本列島まで内乱の介入をするほどのゆとりがあったとは思えない。
卑弥呼が遣使のやり取りをしている真っ最中に魏王は死亡するし、公孫氏は滅ぼされている。
卑弥呼が帯方へ使いを出したのは237年6月で、その年の8月、公孫氏は滅びていることになっている。仮にこれが本当なら、ギリギリセーフなのだ。なにが?つまり、魏が公孫氏を討伐するのに卑弥呼が協力したという事実が残るのである。
しかし、晋書には「宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見、其後貢聘不絶。・・・・・」とあり、司馬氏が公孫氏を滅ぼした後に朝貢してきたと読める。(諸説あり、卑弥呼が公孫氏と読む人もある。私としてはどちらでも良い。)どちらが正しいかはやぶの中だが、私から言わせれば邪馬台国は内部で二つに分裂しており、魏への朝貢はギリギリの判断だったと思うのです。司馬氏が公孫氏を滅ぼすとすぐに魏帝は危篤に陥り、司馬氏はあわてて都へ急行する。その時点でもう彼には遼東情勢などどうでもよくなり、魏を簒奪する陰謀に突入してゆく。さらにその後、魏から晋への易姓革命が起こり、晋が滅び、北魏が中華を統一するまでの長い期間、韓半島と遼東は五胡十六国の乱に巻き込まれ、復元できない歴史時代を迎えるのである。
まさに、この時代こそ日本の歴史に関わる一番重要な期間なのだ。


要点は楽浪郡の位置の把握であり、倭国の本当の存在した位置である。私の説を元に中国史。朝鮮史を読まれるがいい、いかに従来の歴史が矛盾に満ち溢れているかわかるはずだ。
どれだけ日本中を探しても邪馬台国はでてくる事はない。邪馬壱国という表現があるというが、そんなことは枝葉の問題で、史書の編纂者が前史を否定できない場合の苦肉の策にすぎないのだ。
以前、邪馬台国、エジプト論というのがあるといったが、恐らくそれは正しい。つまり、陳寿は絶対に倭国がどこにあったのかわからないように魏志に記したのだ。なんのために?おそらく、その後卑弥呼が殺されているが、司馬氏が卑弥呼や三韓を裏切った事を隠すためだったのではないだろうか。
日本書紀には卑弥呼も邪馬台国も書かれていない。書記の編纂時、当たり前だが、魏志の内容は知っている。なのに、何もそれに触れなかったのは、当時の歴史家にとって邪馬台国は日本にはまったく関係のない地域の歴史だったと認識していたとしか思えない。ところが近代になって邪馬台国論争が銭になると分かり、学会はこの論争で非常に儲かったであろう。しかし、そのおかげで倭国の歴史が明らかになってくるというのは歴史の皮肉とでもいっておきましょうか。うそつきどもよ、くたばってしまえ。

さて、ここまでお読みいただいた方、ご苦労様でした。次回、第三回は神武天皇は誰なの?をお送りします。
待っててくれる人は少ないと思うけど、頑張ってみます。
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by sibanokuni | 2009-03-22 05:53 | マヨちゃんの古代史
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
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