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シバちゃんのため息

マヨの古代史講座三回目(最終回)

今日のテーマ、神武天皇はだれなの?ということなので、神武天皇の正体が明らかにされると期待された方、まことに申し訳ない。私は、実は真剣にそのテーマに没頭した事がない。つまり、皆さんの知りたがっている神武の正体はお伝えできません。詐欺だ?そんなオバマな・・・・。
マヨの古代史はシンプル構造なのです。あまり細かい事気にしないで聞いてください。
平成天皇がいみじくもおっしゃった、「桓武天皇の母方に百済のゆかりを・・・・」というゆかり発言は国家元首としての一言だけに非常に大きい。
さらに、何度も取り上げているが、渤海からの使者が聖武天皇に対し、国書の中で「わが国と天皇さんとは親子の関係ではありませんか。・・・」と述べた件である。
私は気が早いから、下手に日本史を勉強するよりも朝鮮史の中から日本の天皇の祖先を探したほうが手っ取り早いと考えたのです。
まずは百済から調べると、百済の始祖は朱蒙であり、朱蒙は高句麗の始祖でもある、この朱蒙は伝説によれば夫余を追われ東へ逃げ、高句麗を建国している。史書を読む限り、朱蒙の出自は太陽の光になる。つまり、出自不明である。日本の始祖が百済、高句麗から出ていると考えると、朱蒙以前にさかのぼることはできない。つまり、神武が朱蒙であると考えるのは実に合理的な判断なのである。
朱蒙がいつの時代の人間なのかは後に回し、朝鮮には檀君神話というのがあります。檀というのは「まゆみ」であり、弓の材料の木を現します。朱蒙が弓の名手であったという伝説と、神武が東征したときに片手に弓を持った勇姿が見事に重なり、まさに朱蒙が檀君だったと私は考えます。
さて、中国史書に180年ごろ鮮卑族の檀石塊が遼東を荒らし、倭人を捕まえて漁業に従事させたと記録されています。これらの出来事を総合すると、ひとつの仮説が浮かんできます。
失われたイスラエル部族であるダン族はシルクロードを経て遼東へやってきた。彼等は東胡の一員であったが、匈奴から追い立てられ遂に夫余の地で活躍の場所を見つけた。夫余王の王妃、河伯の女に子供を産ませ、その子供を高句麗王にする。つまり、檀石塊が檀君で、韓流ドラマにでてきたヘモス将軍に他ならない。
立派な歴史なら良いけど、現実の歴史はそんなものだ。武力で攻め込んできた檀君に対し、夫余王は大事な
王妃を差し出し服従した。韓流ドラマにはクムワ王とヘモス将軍として登場している。彼は出来た子供を高句麗の始祖にしたのだ。つまりどう考えても高句麗の建国は西暦200年ごろにならざるをえない.当然ながら神武の即位も同じ事である。
さて、公孫氏が滅び遼東が無法地帯になったのは240年ごろである、(大雑把ですいません)、そこへ高句麗の東川王が進出する。これが日本で言う崇神天皇であろう。
鹿島昇氏をはじめ、百済王家に日本の天皇家の祖先を求めた研究書は多いが、私はそれらを意図的な高句麗隠しに見えてくるのだ。なぜならそうしないと後で、大問題が発生するからである。
その問題というのが広開土王である。彼の活躍したのは400年ごろで、集安(現在中国領)にある有名な石碑には、その地域まで倭人が攻め入り高句麗軍が撃退したと記録されている。
石碑が捏造なら仕方がないいが、日本の歴史家達が説明に困るのも無理はない。日本書紀にはそのような出来事はどこにもないのだから。
私はこの広開土王が倭の五王の一人と考えている。彼の姓が安氏であるとは過去に何度も触れてきた。ただし、それはパルティア国、つまり安息国と考えてきたが、最近はソグド人の可能性も考えるようになって来た。それらは同じ事かもしれないが、いずれにせよ彼ら安氏が南韓の地に安羅国を建国し、さらに彼等が応神天皇として日本に渡来し、飛鳥の地に拠点をもったことはまず間違いのないことである。
彼ら安羅国の人々は応神天皇時代よりはるか前から敦賀に上陸し、海部氏として徐々に奈良方面まで勢力を伸ばし三輪王朝を開いていたと考える。そこへ同族の応神一派が侵略してきた。その時の鉢合わせが有名な神武と対面するウマシマデである。つまり、神武東征で書かれていたのは応神天皇の東征そのものだったのである。安羅人は伊勢で王国を作る事を認められ、持統天皇の時代までその地で勢力を保った。

さて、キリがないので、今日はこのぐらいにしておこう。私の説を理解していただいただろうか。私は日本の歴史の源流は高句麗とより近いと思っている。しかし、奈良時代末期、たまたま日本に亡命していた百済王家が傀儡の天皇になり、関わりの大きかった高句麗の歴史を抹殺する必要が出てきた。一回目の講座で述べたように、それらはすべて匈奴軍を率いてきたソグド人がやったことである。
平安時代に日本の国体が完成した。表の権威は傀儡百済王家であり、世襲する。そしてその婚礼家系として鮮卑族を藤原氏に偽装し、将来的にも身分は保証する。裏支配はソグド人が寺社の中で行う。旧支配者、伊勢神宮は天皇家の祭祀集団として身分は保証される。
私の数年間に及ぶ集大成が最後の国体の表現であります。今のところ仮説ですが、大きく変わることはないのではないか。藤原家、特に不比等が実在したかどうか、これこそが日本史最大の謎なのである。

さて、三回に分けて書きました。書きたい事はまだまだありますが、今後はまた個別に書いてゆくことにします。長い文章にお付き合いしていただき、感謝いたします。
by sibanokuni | 2009-03-22 14:11 | マヨちゃんの古代史
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。

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