しまった!騙されてた。
いやー、まいった。皆さんに謝らなければ・・・・甘かったな。
昨日、「天皇の陰謀」第四巻、二二六事件の巻を読み終わった。以前読んだ時にはわからなかったけれど、今回ははっきりと理解した。相沢事件と二二六事件、ともに八百長だ。これは間違いない、明白な陰謀だ。 私の勘違いの元は山下少将(あのマレーの虎だ)で、彼が東久邇に雇われた南進派のスパイだとはうかつにも気がつかなかった。山下と秩父宮は関係が深く、これで線が一本につながる。青年将校は国体原理主義の過激派にそそのかされ、頭山満や北一輝などに扇動されたのだ。最終的に秩父が頭に立つように見せて決起させた。北進派は計画を知っていたが、まさか本気だとは思わなかったのではないか。というのも、クーデターにしてはあまりにもおおっぴらで、ずさんな計画だったからだ。憲兵隊はもちろん、軍幹部はすべてを掌握していたのだ。 では、相沢事件は一体何だったのか?以前、宇垣大将を失脚させる原因となった偽装クーデターといわれる三月事件を計画したのは永田軍務局長で、荒木は永田の作った計画書を入手していた。そして、真崎教育総監の更迭に激怒した荒木大将は林陸相にその計画書を提示し、脅迫していた。この計画書を表に出し、永田を問い詰めれば天皇周辺に被害が及ぶことは確実である。そこで、永田の口封じのため、東久邇が相沢に頼んだのであろう。北進派としては生き証人を殺されたというべきだ。 陸軍全体として二二六事件はむしろ巻き込まれたというべきで、積極的に関与した幹部はいない。ただ、東北の冷害や、折からの不景気で青年将校たちの主張にはある程度の共感があったことは間違いない。 しかし、天皇のあまりの怒りに陸軍幹部は圧倒されたということだ。 いずれにしても私も騙された。秩父宮と裕仁が不仲であったかどうかは永遠の謎ではあるが、まんまと原理主義派はいっぱい食わされた。彼等は宮様に救ってもらえるものだと思っていたが裏切られたのだ。もちろんアルカイダみたいなもので、もともといかさま用のテロリスト集団といったほうがふさわしいのかもしれない。 この後、北進派はほとんど要職を追われ、真崎、荒木は失脚し、本庄侍従武官長は天皇の下を去った。 この事件で裕仁は天皇の権威を不動のものとし、望みどおり中国戦線を拡大させていく。 ついでに言うと、このとき朝香宮は反乱兵士に同情し、裕仁の不興を買う。このことが南京での虐殺の命令に逆らえない源流になっていく。 考えてみても、当時の軍部にとって陰謀であることは明白だったが、よもやその中心に裕仁がいたとは思いもよらなかったのではないだろうか、もしくは承知していたのだろうか。それも謎か・・・・。 とにかく北進派はほとんどの勢力をそがれた、彼等に皇道派という名前が付けられたのはまさに皮肉というべきだろう。 この事件の後、日本の軍事支出は三倍に膨張し、軍隊の規模も十七師団から二十四師団へと拡大する。 松本清張は昭和史発掘といいながら二二六事件で筆をおいた。司馬遼太郎はこの後のノモンハン事件を書くことは出来なかった。清張はあほらしくなり、司馬は真実を知ったため、猫のシバちゃんのようにおとなしくなったのだ。
by sibanokuni
| 2009-05-08 06:33
| マヨちゃんの陰謀論
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