世紀の八百長、ノモンハン
いよいよノモンハンの話になってしまった。戦前の歴史の中でこれほど謎の多い戦闘はないのではないか。世紀の八百長という以上、じっくりとその陰謀を解き明かさねばならない。
ここまでの数々の陰謀は主に国内問題であり、比較的単純な八百長だったといえる。すなわち、天皇の中国進出の野望に対する、国内の反戦派の議員や陸軍北進派との内紛だった。従って、暗殺にせよ反乱にせよ陰謀論的に言うなら初歩的な構図であり、見え見えじゃん!というべきものだった。 しかし、このノモンハンの戦いは違う。その陰謀のスケールはドイツ、ソビエトを巻き込む壮大な八百長だったのだ。しかも、この間にドイツがヨーロッパで本格的に戦争を開始するのである。 では説明しよう、昭和14年(1939)の日本の状況だが、首相は反共産主義に凝り固まった平沼で、裕仁がソビエトに圧力を掛けないことで若干いらいらしている状況であった。そしてドイツとは防共協定は結んであったものの、本格的な条約を結ぶべくヒットラーからイタリアを含む三国同盟を結ぶ依頼が来ていた。 裕仁はそれに対し、二つの条件をつけることでヒットラーの機嫌を損ねていた。条件とは、「民主主義諸国を相手とする同盟についての条項は秘密協定とする。」、もうひとつは、「ドイツの参戦後、すぐに参戦するわけではなく、軍備が整い次第参戦する。」の二つだった。 ドイツは英仏との対戦を望んでいたが、ロシアに背後を突かれない為、ソビエトと不可侵条約を結ぶか、もしくは日本に対し軍事的な同盟を結ぶかの二者択一であった。 ソビエトとしては、二方面で同時に軍事脅威を感じることは国家の存亡の危機になってしまう。 早い話、ドイツと日本が手を組み、ソビエトに両側から圧力をかける事が両国にとって一番有利な戦略だったことは明らかである。 そしていよいよ裕仁は昭和14年五月11日、ノモンハンに向けての侵攻を許可した。しかしながら100万からの大部隊である関東軍から第二十三師団と第六軍のあわせて6万という比較的小編成の部隊であり、しかもひどく狭い範囲での作戦であった。 このときソビエトは日本で活動しているゾルゲから裕仁は本格的に進行する気がない事を聞いていた。 7月18日、スターリンはヒットラーに対し不可侵条約を結ぶ意思を表明する。 そして運命の8月19日、ソビエトの反撃は日本軍の想像を超えていた。つまり、西部戦線に回すべき部隊のほとんどが極東地域に回されていたのだ。 このときの戦闘で、東久邇の息子、東久邇護博中尉は側近に勧められ敵前逃亡をした。(一部で捕虜になったという説もあるが、ほとんどの目撃者が死ぬか自決させられ、真実は闇の中である。) 別の資料だが、小松原師団長の7月28日の日記を見ると、「敵の頑強なる抵抗をみると、平沼首相が全面的な戦争にならないと言明していること。7月3日の戦闘で、我が軍の飛行集団の作戦命令が敵に渡り、我が軍の編成が判明した・・・・」と書かれ、ソ連は日本が事件を拡大しないことを知っていたから安心してやってくるといっている。 8月19日、ヒットラーとスターリンは相互不可侵条約を結び、日本との協定は無視すると言明する。 8月22日、ドイツを信じていた平沼首相は「複雑怪奇なり・・」と述べて辞職する。 9月1日、ドイツはポーランドへ侵入。英国は直ちにドイツに宣戦布告する。 9月1日、裕仁はノモンハンの前線へ向けて、戦争を中止するための努力を開始する。 関東軍は反撃の許可を求めるが、反攻を望む関東軍司令官植田大将を更迭。 9月16日、ソ連との休戦協定を合意。 二十三師団の小松原中将は日本に帰国後切腹。将校の多くが戦死するか自決して果てた。 簡単に書くとこれだけの話なのだ。どう考えてもおかしい。何十万の兵士が関東軍には無傷で待機していた。誰が考えてもソ連と休戦する必要はないのだ。ドイツとさっさと協定を結び、全軍を挙げてシベリアを目指せば、ソ連は間違いなく崩壊し、ドイツも心置きなくヨーロッパ戦線に専念できたに違いない。 歴史にIFは禁物だけれど、裕仁がドイツとの同盟を躊躇しなければまったく違う世界がそこにあったはずだ。 共産国家ソビエトを育成するのが英国王室の方針で、それに対し日本もドイツも逆らえなかったという八百長の真髄がここに明らかに見えているではないか。 最終的にドイツはソ連と闘うことになるし、日本も最後にソ連に裏切られる。その悲劇の大元はこのノモンハンから始まったのだ。 司馬遼太郎がノモンハンを書けなかったのは当然である、いかに優秀な小説家であってもこの戦いを美化することは不可能である。なぜならこの戦いの戦犯は天皇その人だからだ。司馬遼太郎も松本清張も書けなかった、それが日本の現実で、ペンは金より弱しという事だろう。
by sibanokuni
| 2009-05-09 11:02
| マヨちゃんの陰謀論
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