シバちゃんのため息

蟻の兵隊?

先日読んだ佐野眞一氏の「乱心の曠野」に「蟻の兵隊」という話が出てくる。

終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。

さて、4年間も上官の命令で戦争をさせられ、2600名のうち550人が死んだというのにこの司令官はどうなったのだろう。
WIKIで探すと、澄田睞四郎、1890年生れ、1979年没。なんと90歳の天寿を全うしていますね。
陸軍大学校(第33期)を首席で卒業し、野戦重砲兵第6旅団長、陸軍重砲兵学校長、大本営参謀(仏印派遣団長)などを経て、1941年(昭和16年)8月、陸軍中将となった。同年9月、第39師団長に親補され、宜昌の警備に従事し、中国軍の攻撃を防いだ。1944年(昭和19年)11月、第1軍司令官に発令され、太原で終戦を迎え、1949年(昭和24年)2月に復員した。
落合氏の疑史第16回に澄田氏が登場する。彼は武官時代、フランスでフリーメーソンを調査し本省へ報告したという。また、甘粕が出獄後フランスへ渡ったとき澄田はその世話をした。落合氏によれば彼が大東社のフリーメーソン員であるに違いないと述べる。

さて、大変なエリート軍人の澄田睞四郎の息子は皆さんのよく知っている人です。セレベス島で終戦を迎え、戦後大蔵省へ復帰、その後順調に出世し、プラザ合意を成し遂げ、日本をバブルのどん底へ追い込んだ戦犯、日銀総裁、故澄田智である。

戦争には不条理な話が多い事はたしかだが、蟻の兵隊ほど気の毒な話もめずらしい。シベリア抑留と比べれば規模では劣るものの、この司令官が何の罪にも問われないのは、それが上層部の指令であり、彼が独断で決めたわけではないからだろう。
プラザ合意をどのように考えるかは未だに結論がでていないが、今の日本の苦境の出発点だった事は間違いがない。親子二代に渡り迷惑な人がいたものである。
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by sibanokuni | 2009-06-07 06:05 | シバちゃんのため息
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