シバちゃんのため息

三條ホテルの謎

昨日はまゆみさんに紹介されたおかげでアクセス数が大幅に上がりました。まゆみさん、ありがとうございます。
ただ、たくさんのお客様を相手にするような内容ではなく、ごく限られた考え方が出来る人のみを対象としていますので、がっかりされた方も多いかと思いますが、あしからず・・・・。


昨日の中日新聞の夕刊に「宣教師が見た信長の岐阜」というコラムがあり、信長に会うため、三条大納言が岐阜に来たという記録があると書いてあった。
先日「読者」さんのコメントに、「三条家を調べるといいよ」、とあり、それ以来、三条家に関しアンテナを張っていた。
三条家は言うまでもなく藤原家の北家で、日本を代表する名家である。
ただし、その歴史を調べる事はいかにも大変で、ましてや真実となると、おそらく秘中の秘で、日本歴史と同じく闇の中である。
まあ、そこまで追求しなくても、後の三条家が例の七卿落ちで長州へ落ち延び、維新の後、実美は太政大臣に、そして三条西季知も要職についたことははっきりしている。つまり、明治初期に三条家は日本の最高幹部だったのである。

古代史で述べたように、藤原家が本物の支配者だとは私は思っていない。つまり、権威の象徴、天皇家に対する婚姻家系であり、平安時代から必ずしも時の支配者、寺院勢力に対し好感を持っていたとは限らない。だからこそ、反仏教の立場が鮮明な信長に会いに行った三条大納言がとても気になるのである。
私の解釈では藤原氏は鮮卑である。もちろん絶対の確信はないが。とりあえずそう思っているということだ。従って、鮮卑も匈奴の寺院勢力と和睦し、そこそこの地位を得ていた。しかし、鮮卑は北魏の拓跋氏、安羅の慕容氏、そのほかに檀氏、宇文氏と大きく言って四氏に分かれる。平城京は言うまでもなく北魏の後を継ぐ拓跋氏で、河内はダンジリで有名なダン族、飛鳥は安氏の慕容氏、宇文は残念ながらわからない。彼等鮮卑族は寺社に従う振りをしながらも、こっそりと反仏教勢力である神社勢力とも密約を交わしていた可能性も考えねばならない。もちろんまったくの憶測である。しかし、明治維新で長州から上京し、東京遷都や廃仏毀釈を推し進めた中心に三条家がいたことは事実であり、歴史的には重大である。

長州はもともと地理的に言って、高句麗、渤海そして新羅との関係が深い、つまりもともと半島勢力のメッカなのである。その長州と深く結びついた三条家を半島勢力と観るのはあながち間違ってはいまい。

そこで、読者さんが指摘した三条ホテルを検証しよう。
つまり、半島勢力の三条ホテルを乗っ取った片岡都美が、半島系外務官僚の愛人との仲が醒め、その宿泊代を請求した事を半島系のデビ夫人が批判した事は納得がいくのである。
構図を説明しよう。デビ夫人は半島系の政府要人である。そして彼女に街宣をかけた右翼は反半島系なのである。そして右翼を見逃し、デビ婦人を拘束した警察は反半島系という事である。

話をシンプルにするため、半島系対反半島系に分けたが、これで全部を説明できるわけはない。しばらくはこのような分析法を試し、説明できない部分はまた別の対立軸で考えてみるつもりだ。
ただし、私としてはとても説明が楽で、案外これでほとんどを説明できる気がする。
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by sibanokuni | 2009-07-11 10:02 | マヨちゃんの陰謀論
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