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シバちゃんのため息

「秦氏」はなぜ謎なのか?

まゆみさんとこで秦氏が話題となっていた。古代史にかかわることだけにコメントを入れようと思ったのだが、なかなか考えがまとまらなくて、残念ながら自分の意見を述べることはできなかった。
秦氏の謎は藤原氏の謎とともに日本成立を説明するのにどうしても解明する必要がある。ただし、ここを間違えると先の先まで影響してしまう。だからなるべく結論を出さず、いくつかの可能性を残したままで進めて行きたいのである。

久しぶりに本棚から引っ張り出してきたのは有名な飛鳥昭雄氏の「秦氏の謎」という「失われた原始キリスト教徒」の副題が付いた本である。このシリーズは何冊もあり、ずいぶん楽しませてもらった。私は飛鳥氏は本当の日本の歴史を知る極少数の人だと思っている。かといって、立場上、本当の事を言うわけにいかないから、どこかで読者をごまかしているだろうと考えている。だから彼の本は面白いのだ。

彼はこの本で「秦氏」は景教徒としている。当たり前だが、このシリーズの構成上、このようにしなければ話が進まないからで、なるほど上手につじつまをあわせていて文句のつけようがない。

秦氏の謎を私は解明できていない。また、飛鳥氏の述べるように考える気もない。一番はっきりしていることは、平安京は秦氏が占有していた地域であり、平安京の造成に金も人も大量に動員し、秦氏がいなければ平安京は完成しなかったといっても過言ではないことである。
しかし、その後、秦氏は政治の表舞台から消え、二度と表には出てこない。
問題は、この事実をどのように受け止めるかである。

簡単なことではないか、このとき秦氏は亡ぼされたのである。都を移すという事は大変なことで、当時、藤原京、平城京、長岡京と移り、そして平安京に落ち着いた。つまり、1000年の都、平安で日本はようやく定着したという事である。いうまでもなく日本の初代の天皇は桓武なのである。
それ以前の天皇はすべて桓武に亡ぼされたのである。

都を移すと言うのは政権が変わったことを意味し、飛鳥先生が言われるように、桓武天皇が突然思い立って平城から長岡へ遷都し、さらに数年後平安京へ遷都すると言うのはまことに不自然なのであり、ありえないことなのである。つまり、平城から平安へ移行する歴史はまったくのウソの固まりとみるべきである。
つまり、私は秦氏が平安の都に大きな政権を作っていたと見る。または力のある豪族だったのかもしれない。結局、彼等は征服され、自分たちの住居を奪われ、さらには財宝を提供し平安の都を造営させられたのであろう。彼等は大半の財産を失うも、酒の醸造や養蚕などの利権は守られ全国へ散って行ったのである。
彼等をひとつの血流と見るべきではなく、ひとつの国家だったというべきで、中にはいろいろな部族がいたのではないか。

歴史的に考えれば、応神天皇が半島から日本へ侵入し、河内を中心にいくつかの地方政権を打ち立てた。その中のひとつが彼等であったと考えるのは最も合理的な解釈である。
ただし、以前解釈した時は、秦氏をヒッタイトではないかと考えた。もちろん語呂合わせ程度の根拠なのだが・・・・、つまり、宇佐に製鉄を伝えた部族で、はるばるアラブから海を伝ってやってきたのである。宇佐八幡の存在と、応神との関係を考えるとこれも大いに可能性は残っている。

まあ、秦氏がユダヤであると結論すると日本史の探求は終わってしまう気がして、最終的にそれが真実だとしても、私はあくまでそうではないという前提で研究してゆきたい。
日ユ同祖論と言うのはある種の陰謀を感じさせ、他に説明できなくなった時にのみそれを認めようじゃないか。
せっかくこれほど楽しい謎を簡単に決め付けてはもったいない。まだまだ研究し、みんなで楽しみたいのである。ようは、秦氏に関し、何の結論も持ち合わせていないという事であります。まだ人生はながい、あわてないあわてない・・・。
by sibanokuni | 2009-07-25 13:03 | マヨちゃんの古代史
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。

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