シバちゃんのため息

善光寺の秘仏とは・・・

善光寺という有名なお寺が長野県にある。
不思議な事にここは天台宗と浄土宗の二つの異なる宗派が並立している。まあ、よほど大事なお寺なのだろうと考えるが、問題は何がそれほど大事なのだろう。少し歴史をさかのぼりながらそのあたりを考察してみよう。

善光寺は平安末期から天台宗の寺門派(三井寺)の支配下にあった。そして鎌倉から戦国時代まで三井寺の一院である聖護院の支配下になるとともに、浄土宗、真宗、時宗などもその人気を利用するため寺内に僧団も出来ていたという。
しかし、戦国時代、武田信玄と上杉謙信との川中島の戦いの際、寺宝が甲府および春日山に移された。本尊は1555年、信玄が信濃国小県郡に移し、1558年甲府に建てられた善光寺に移された。1582年、武田が滅び、本尊は信長により岐阜に移される。その信長が光秀に殺され、家康は1583年、本尊を浜松経由で甲府善光寺に移したのである。
ところが1597年、豊臣秀吉の命で京都の方広寺に移された。ところがその秀吉は1598年、死に臨み本尊、善光寺如来を信濃に返す事にしたという。
まあ、ここまで読むと数奇な運命なご本尊なのだと思われるだろうが、たまたまwikiで善光寺を調べてみて驚いたのである。
まず本尊について、「本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、絶対秘仏の本尊が厨子に入れられて安置と伝えられている。その本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、その姿は寺の住職ですら目にすることはできない。」とある、さらに、「善光寺の本尊である秘仏、「善光寺式阿弥陀三尊」は、欽明天皇の時代552年に百済の聖明王から献呈されたものとされ、紆余曲折を経て推古天皇の命により本田(本多)善光の手で初め飯田市に、次いで現在地に遷座したと伝えられる。「善光寺」の名はこの本田善光の名から付けられたと伝えられ、また初めに遷座したとされる場所には元善光寺が現在も残っている。」

なるほどね、大事なはずである。百済の聖明王ですよ・・・・・。私の妄想ではこの本尊様に日本成立の秘密が隠されていると見る。

さて、その後、幕府を支配した天海は善光寺の大歓進と大本願との内紛に乗じ、自分の建立した東叡山の支配下に置いたという。

「善光寺本堂に安置される御本尊一光三尊阿弥陀如来は、白雉5年(654)以来の秘仏。その後、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られ、拝されるようになりました。
前立本尊は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来のお姿をされています。普段は御宝庫に安置されていますが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが叶います。」

七年にいちど、「うちのお寺には大変に重要な物があるのですよ。」と世間に披露する。これは一種の恐喝ですな。

住職ですら見ることの出来ない本尊の秘密とはなんなのか・・・・それはヒ・ミ・ツ・・・じゃあ怒るよね。
おそらく百済の聖明王が発行した「日本支配許可書」みたいなものではないだろうか。この書面を見れば日本の皇統の正当性が揺らぐ可能性があるのだろう。まあ、だれも見たことないのだから皆さん勝手に想像してください。

私の結論を言いましょう。日本の支配者の一角に今でも天台宗が座っている理由があるとしたらこれなのだと。
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by sibanokuni | 2009-08-23 06:13 | マヨちゃんの古代史
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