日野家とは
百草丸と言う薬がある。御岳百草丸とか日野百草丸とか、結構有名じゃないかな。今、その日野の研究をしている。いうまでもなく大江山霊媒衆との関わりを調べるためである。
昨日偶然、まゆみさんのページにも日野山が出ていた。おそらく大いに関係するだろうな。というのも、日野商人の行商でよく売られていたのは蚊帳で、原料は麻だもんね。代表格はふとんの西川ですな・・・、そこと取引があるけどアヘンは売ってなかったな・・・・。 日野といえば近江商人発祥の地で、滋賀県から伊勢松阪へ向かう山間の静かそうな町である。戦国時代のころには日野椀と蚊帳を全国に売り歩き、いわゆる近江商人の名を確立する事になる。彼等は蒲生氏郷が会津に国替えになるときそこへ進出し、会津塗りを伝えたと言われる。もちろん職人も商人も、そして近江に古くから伝わる霊媒衆も多くが移住したものと考えられる。輪島塗などとの関連は調べていません。ただ、お椀を作るのは木地師で、木曽方面にも木地師の里があるが、おそらくすべてネットワークとして機能してるのだろう。 もともと日野と言うのは地名で、藤原内麻呂の子、真夏の孫の家宗が山城国日野に法家寺を建立 薬師如来を祀るそして、子孫の日野資業(すけなり)は法界寺を建立。親鸞は日野有範の子だとされる。 親鸞は娘、覚信尼を同族の日野広綱に嫁がせその子孫が本願寺の大谷である。 鎌倉末期、後醍醐天皇の倒幕が露見し、処罰された日野資朝や日野俊基はこの日野家である。 また、足利時代は足利義尚の代まで将軍家と血縁をむすぶ。 3代、義満の室、日野業子・康子(業子の姪) 4代、義持の室、日野栄子(康子の実妹) 6代、義教の室、日野宗子・重子姉妹、 8代、義政の室、日野富子と4代の将軍の御台所を輩出している。 さらには 日野西家(名家)、広橋家(名家)、柳原家(名家)、烏丸家(名家)、外山家(名家) 豊岡家(名家)、竹屋家(名家)、勘解由小路家(名家)、裏松家(名家)、三室戸家(名家) 北小路家(名家)、大谷家(門跡家・本願寺) などのそうそうたる名家がその支流・分家となっているのだ。注意深く見ると、大正天皇の生母、柳原愛子の本家筋なのであり、天皇家の外戚に当たる本願寺大谷派にとっても本家筋である。これほどの家系はいくつもあるわけではない。 あの日本三大悪女と言われる日野富子はもちろんこの家系である。ちなみに残りは北条正子と、田中真紀子である。?? この悪女、富子について、栗原茂氏は面白いことを書いている、、「富子は専横を極め政治に介入のうえ、京七口に(ななつくち)関所を設け税を課したり、高利貸し、米相場にも手を出すなど、市場混乱を招く張本人と見なされるが、たとい悪女としても同類の責任転嫁は政治の常である。 こんな物語をして歴史が組み立てられるのも、氏姓鑑識が粗末ゆえ起こる現象であり、大江山に根ざす大本教団の講社(こうしゃ)を何ゆえ綾部(あやべ)に据(す)えたのかを、氏姓鑑識がないまま、個人情報の糸を手繰(たぐ)れば歴史が千切れるのも当たり前である。」、と述べている。つまり、応仁の乱の原因を作ったと言われる富子は濡れ衣だと言われるのである。もちろん真実は今では誰もわからない。また、なぜ綾部に大本なのかは氏姓を解明すればわかるとのありがたい励ましである。 日野家は元が藤原家であり、足利家は元が源氏である。ところで、近江には佐々木源氏発祥の地、沙々木神社がある、まさに太郎坊、安土城、観音寺城などの密集する地域である。この佐々木と言うのは仁徳天皇のオオサザキのことである。つまり日本書紀に登場する仁徳天皇は近江王朝の王だったと推測してほぼ間違いはない。 この源氏と三井家とは深くつながっており、このあたりが解明できれば、天智天皇の近江王朝はうそで、実は大和王朝と言うのがいくつもの地域に存在した王朝を立てつなぎにならべたものだとわかってくるのである。 まだ解明が途中ではっきり断定できないのだが、八切氏のいう近江王朝は源氏が立てた王朝であり、その佐々木氏に藤原氏が寄り添い、日野家が誕生した。彼等は近江商人を自分たちのお庭番として全国へ派遣する。その中に斉藤道三がいた。名前を見て欲しい、なんと佐々木の「さ」と、藤原の藤を合成したような姓である。(まあ、ちょっとこじつけだが・・・) いずれにしても斉藤を受け継いだ信長は、斉藤が亡ぼした土岐氏(清和源氏)の光秀に殺され、その光秀が天海だったとするなら、歴史はほとんど近江を中心で動いていたことになる。 そしてさらに日野強が戦時中特命を帯び、ツラン民族運動に参加し、堀川辰吉郎を盟主に大本教を満州に広げようとした理由が見えてくる。しかもそれらが最終的に弾圧され失敗するのも皇族の中にも対立する派閥が存在しているという事である。 非常に難しい話になってきた。多くの情報がこの中に含まれる。私の考えのすべてを表現したわけではない。 パズルの一片が出来上がっただけなのだ。 日本書紀にある仁徳天皇の記事は非常に充実している。つまり、おおむね真実が書かれていると見るべきだ。そのあたりはまた今度やりましょう。
by sibanokuni
| 2009-09-03 06:31
| マヨちゃんの古代史
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