シバちゃんのため息

真田と上田の関係

昨日のサムライさんのコメントにある栗原氏の「真贋・大江山系霊媒衆」と言う、なんともめずらしい本を読んでいる。入手法は後で説明するが、この著者のことは正直、ほとんど知らない。ただ、はっきりしているのは私たちの知らない世界の話をよくご存知であるという事だ。

この本、決して読みやすい本ではないし、読めば読むほど頭の中が混乱してゆく。そして読む人の見識や知識を厳しく問われる本でもある。つまり、知識を得るための本ではなく、研究する道筋のヒントを与えてくれる種本のようなものである。たぶん彼は真実に限りなく近いところにいると思われる、しかしある程度以上の知識を持たない者にわざわざやさしく教えるほど親切ではないという事である。

さて、その中の謎の言葉を解読してゆくのが大変なのである。
今日はその中の一部分について考察しましょう。

「・・・・またなにゆえ上田(王仁三郎)が綾部に移住したのか。それは清和源氏海野(うんの)氏流の海野幸隆が信濃国小県郡(ちいさがたぐん)真田庄松尾城に住し真田氏を名乗るまでさかのぼる必要があるため、ここでは綾部大本教が大江山講社の一つとだけ記しておく。」

さて、あの英雄、真田氏が清和源氏だとは実は知らなかった。(こんなことも知らないのか?と言われそうであるが、たくさんいる戦国武将の一人だと言う程度の認識だった。)

とりあえずWIKIから清和源氏を見ると、「清和源氏は清和天皇を祖とする皇胤が源姓を賜り成立した一族。源頼朝以来、武家政権の主催者の血族として栄えてきた。 もっとも栄えたのは第六皇子貞純親王の子の六孫王経基の子孫の系統。中級貴族であった経基の子源満仲(多田満仲)が藤原北家による摂関政治の確立に協力して中央における武門としての地位を築き、摂津国川辺郡多田の地に武士団を形成する。」とある。

清和天皇とは「清和天皇(せいわてんのう、嘉祥3年3月25日(850年5月10日) - 元慶4年12月4日(881年1月7日))は、平安時代前期の第56代天皇。在位は天安2年11月7日(858年12月15日) - 貞観18年11月29日(876年12月18日)。後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖で、諱は惟仁(これひと)。」
もっとも日本の歴史であるから、これを真実として考えてはいけないことはいうまでもない。
天皇家から一文字姓の武家が生れるとは・・・・、これはまったくの歴史の歪曲である。ただし、側室に仁徳系(つまり、オオサザキの子孫)の女官がいてそこに種が落ちたか・・・・?

それでは昨日登場した佐々木源氏とは・・・・・ 「 宇多源氏佐々木氏流。平安時代中期に近江国蒲生郡佐々木庄に下向した宇多源氏源成頼の子孫で、武家として繁栄し代々近江の守護として勢力を持った佐々木氏の一族。鎌倉時代初期に成頼から数え7代後の佐々木信綱の子らが四家に分かれ六角氏、京極氏、大原氏、高島氏となった。あるいは、 清和源氏義光流。園城寺との繋がりが深かった源義光の私領を継承した山本氏の一族。治承・寿永の乱で活躍した山本義経・柏木義兼兄弟などが知られる。」

ついでに真田氏については、「信濃の名族として知られる滋野氏流を称する海野氏の傍流とされる。
江戸時代に作成された『真田家系図』に拠れば、真田氏は清和源氏の発祥で、信濃国小県郡(現在の長野県東御市)の海野棟綱あるいは真田頼昌の子とされる真田幸綱(幸隆)が小県郡真田郷を領して以後、真田姓を名乗ったとされる。近世には、大名の多くが自家の系図づくりを行い出自を名族に結びつける傾向にあり、真田氏系図も信州松代藩主家となった真田家が作成したものであり、真田氏が清和源氏の出であるとする説は疑問視されている。」

うーん、これでは話がぐるぐる回るだけで何もわかってこない。
おそらくは、出口家と上田家の関係と同じく、即ち、託卵をしたのではないか。真田家が支配した地域が現在の上田市と呼ばれるのは実は海野氏に上田氏の血を託卵し、その結果真田氏として系図を乗っ取ったということを現している。ただし、出口家が大江山衆であったように、海野氏も当然その血流を受け継ぐ家系であったことはいうまでもない。円山応挙が全国へ種をばら撒いたように、古代から上田氏は全国のお種度調査をしながら、貴種と見ると上田氏のお種を植え付けていたのであろう。ただ言えるのは、全国の名家が喜んで娘に差出、種付けに協力したのである。つまり、種付け料は大変な冨をもたらしたのだろう。その意味わかるかな?

系図から歴史を読み解くことは非常に難しい。今日の考察は一見、何も得るものがないようにも見えるが、この種の作業を積み重ねることがあとあと効いてくるのだよ。
この栗原氏と落合莞爾氏とは極めて近い関係であるようだが、上田氏を古代イスラエル部族とする落合氏の考察に、栗原氏は必ずしも賛成していないようである。栗原氏から言わせれば、格がちがうといいたいのであろうか、私としてはやや悩むところであります。落合氏の考察は非常にわかりやすいが、栗原氏のは大変に難解である。だからと言ってどちらが正しいのかは残念ながらいまのところ私には答えることが出来ない。

さて、本の注文方法ですが、ここを見てもらうのですが、
今いちよくわかりませんね、ちょっと時間をいただき、確認します。
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by sibanokuni | 2009-09-04 09:54 | マヨちゃんの古代史
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
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