シバちゃんのため息

ちょっと休憩。

ここ数日、まったく難しい研究を続けたおかげで頭はボーっとするし、目はかすむし・・・、パソコンの画面を見ても本を開いても目がひらかない。
やること、調べることはいくらでもあるし、ヒントはたくさんいただいている。問題は限られた時間でそれらを効率よく引っ張り出せるかである。
桓武天皇から清和天皇をWIKIで調べてみた。これは桓武平氏、清和源氏の血流にどうしようもない隠しようがない事実が含まれているのではないかと疑ったからで、桓武の側室の多さはたまげた。まさに種馬である。
おおよそ人間業ではない。皇后はもちろん一人、藤原乙牟漏(良嗣の娘)で子供が3人、夫人は5人で子供は10人、女御に6人、子供が4人、宮人10人以上、子供が20人ぐらい。合計女房20人、子供は25人ぐらい。
在位が25年ぐらいだから、毎年新婚さんで、毎年子供が誕生していたことになる。当時の天皇さんがいくらスタミナがあったとしても、やはりちょっと信じられない。
この一人一人を丹念に追いかけていくのだが、ちょっとうんざり。しかしいろいろと考えざるを得ないこともある。
例えば、藤原旅子の娘が斎宮へ行き、帰ってから平城天皇の妃になる。これなど伊勢神宮で種を仕込まれ、妊娠してから平城天皇へ嫁ぎ、生まれた子供を天皇へ、と考えたが、実は天皇にはなっていない。この先に在原行平が生まれている、うん、考えちゃうね。また、桓武平氏の祖となる葛原親王の母親は多治比家からだ。
それから身分は低いが藤原小黒麻呂の娘、藤原上子との間に滋野内親王が生まれている。これこそが海野庄へ移住することになる滋野家の祖に違いない。元をたどると藤原北家鳥養流とある。
結局、すべては藤原不比等から始まる。一体不比等は実在したのか・・・に戻ってしまう。

まあ、こんな感じで追求してゆくのだが、たいがいはあるところで切れてしまう。無駄になることばかりで時間が惜しい、でも研究とはこんなものなのだろうな。

以前、私は藤原不比等は合成人間で、藤原四家は鮮卑だと論じた。今でもそのように思っているが、必ずしもこだわっているわけではない。今ひとつ、日本の古代に王権を確立していた国の代表が均等に勢力を分け合った可能性もあるのだ。例えば近江王朝から佐々木源氏が、そして鹿島王朝から中臣氏が、あとは九州と丹波地方だろうか、まだそこまで研究できていない。しかし、この藤原家がわからないことには日本の根本が解決しない。

いずれにしても私は日本書紀に描かれた時代までを調べるつもりだったので、平安時代はまったく知らない。しかし、歴史を学ぶには少しずつその穴を埋めていかないことには話しにならない。

今日はあまり好きではないが、井沢先生の「逆説の日本史第四巻」を引っ張り出し読んでみることにしよう。
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by sibanokuni | 2009-09-08 06:31 | シバちゃんのため息
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