シバちゃんのため息

そらみつ大和の国とは・・・・

信州は手ごわい。と言って、簡単なところはどこもない。とりあえず今は信州に集中しよう、きっと何か面白い事がわかるだろう。
億うそさん的にいえば、信濃は「しんの」、つまり、匈奴の中国読みであり、諏訪はトルファンで、シルクロードの彼方からやってきた部族となる。でもこれでは何も見えてこない。
wikiで「信濃国」を見ると「7世紀の令制国発足により佐久、伊那、高井、埴科、小県、水内、筑摩、更級、諏訪、安曇の十郡を以って成立し、現在の長野県のうち木曽地方を欠く大部分を領域にした(当初は科野国)。」とある。「有史以前、県内には縄文時代の遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。とくに小県郡長和町の和田峠は日本における黒曜石(注 ナイフのやじりに使った)の代表的な産地であった。」とある。
出ましたね、海野氏がいた小県郡の登場だ。この海野氏が真田になったのである。つまり、栗原氏が言いたかったのは、この鉱山を大江衆が管理していたと言う事である。綾部も同様に大江山で産する鉱物の管理を出口家が行っていたのだろう。

「古墳時代の前方後方墳は、弘法山古墳(松本市)や姫塚古墳(長野市)、瀧の峯古墳群(佐久市)など県内各所で発見されており、時期については概ね古墳時代前期(4世紀始めから中葉)のほぼ同時期とされている。その後前方後円墳が県内各所に築造され、特に長野市南部から千曲市北部にかけての一帯には、森将軍塚古墳や川柳将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳など県内最大級の前方後円墳が集中している。古墳時代後期には高井郡を中心に高句麗式の積石墳が多数分布する。」

この小県郡は現在の上田市である。というのは石工部族上田氏がいたからだろう。古墳の造営は彼らの得意分野なのだ。こうしてみると古代イスラエル部族と言われるアヤタチは佐々木源氏、つまり北魏の拓跋族に従って渡来した職能集団だったのだろうか。

いずれにしても越から信濃川を遡り、千曲川から上田に入った部族と、そのまま群馬へ入った部族に分かれたのだ。その証拠に群馬にもやはり大規模な前方後円墳である観音塚古墳がある。

実はこの観音塚古墳が飛鳥の石舞台と酷似してるのだ。つまり、6世紀末から7世紀初頭、ここ関東と飛鳥に同じ様な(同じ部族ということ)王権が存在したと言えるのではないだろうか。
そしてこの関東に来たのはおそらく雄略天皇であり、有名な万葉集の最初に
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇 天皇御製謌

そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居(を)れ しきなべて 吾こそ座(ま)せ 吾こそば 告(の)らめ 家をも名をも

と読んだのであります。これが全部本当なら、古代の大和は信州の事かも・・・・いや、これは冗談。

安曇水軍が彼等を運び、王権を護衛するため定住したところが安曇であろう。先日まゆみさんが指摘されていた山へ船を上げる祭りとは、彼等水軍が海から陸へ定住地を変えるための儀式と考えれば納得が行く。
雄略天皇等がいつここ信州にやってきたのかは後日考察してみることにしよう。
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by sibanokuni | 2009-09-17 06:05 | マヨちゃんの古代史
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