シバちゃんのため息

サンカってなに?

昨日まゆみさんの誘導にのせられて?ついついコメントを入れたが、よせばいいのについ踏み込んで書いてしまった。しかも、サンカの名を使ってしまったため、「サンカってなに?」という羽目になった。
私の歴史研究の中でサンカは主要なテーマのひとつで、何回も取り上げている。しかし、必ずしも一本道ではなく、何回もあっちこっちへぶれて、結局答えは未だに道途中なのである。というより、答えは出ないだろうと思う。

いうまでもないけど、サンカに正式な定義はない。研究する人によってさまざまなとらえ方がある。
いま、私がサンカという場合はもっぱら大江山衆を指す。しかし、同様の研究に詳しい落合莞爾氏はサンカの親分をアヤタチといい、彼等は古代イスラエル部族で敦賀の籠神社から日本へ侵入したニギハヤヒと考えている。その配下には穴太衆という石工部族がいて全国へ散り、職人集団として築城や灌漑工事をする傍ら情報をアヤタチ本部へ伝えていたと述べている。もちろん石工以外にも色々な職人集団がいた事は間違いないであろう。これが間違っているのではなく、これもひとつのサンカだと考えてもいい。
自らがサンカだったという月海黄樹氏の著書も得がたい情報をもたらしてくれたが、私は出口王仁三郎を研究し、さらに、堀川辰吉郎などの研究を通じ、従来の歴史家が決して言及しなかった大江山霊媒衆にたどり着いたのである。
もちろん、栗原茂氏なくして絶対に判らないことばかりだが、それでもなぞなぞのような彼の著作はそう簡単なものではなく、解読作業はその都度ブログに書いてきたから詳しくは過去ログを読んでいただきたい。

落合氏が指摘したように、三角寛や八切止夫氏らのサンカはどちらかといえば本当の浮浪民で、たしかにそのような戸籍を持たず、各地でセブリを張り官憲から逃げ回っていた民はいたようであるが、それはあくまでサンカの本質をたぶらかすための煙幕で、実態はやはり秘密諜報組織としてのサンカが私の言うサンカなのである。
ヤタカラスなどもサンカのひとつであり、伊賀や甲賀の忍者も分類としてはサンカに属するといえるだろう。
いま私が問題にしているサンカ、つまり大江山霊媒衆というのは源氏の配下と考えている。そして根源的には近江に渡来した仁徳王朝とその配下である。日本が成立したのち、桓武天皇の頃に日本の国体が確立したと考えるが、仁徳王朝がその中で藤原の北家として皇室への婚姻家系の一角を占めるにいたる経過は未だに解明できていない。ただ、私の考えでは、日本に渡来した鮮卑族が動乱の中談合した結果、婚姻家系として四家に集約したように理解している。もちろん、藤原不比等は合成家系であり、架空であろう。
したがって、大江山衆はあくまで皇族の中の北家のために働くのであり、他の三家にもまたそれぞれに配下を持っていたと考える必要がある。それは未だに表に出ていないが、見えないからといって、その存在を否定する必要もないのである。

栗原茂氏はもっぱらこの大江山衆に詳しいので私はこの派閥に詳しくなったのだが、当然、対立する薩摩ワン・ワールドにもそのような裏組織がいるはずである。
このいくつかの支配組織が天皇の支持の元、政権を担当してきたのだ。明治維新では長州と薩摩が中心となり、大江山衆はおそらく冷や飯を食わされたのだと思う。明治の廃仏稀釈の時、全国にいる修験道が禁止されたが、この修験道こそ大江山衆の隠れ蓑である。このおかげで大江山衆は打撃を受けたはずである。
その代わり、ヤタガラス(これもサンカ)、即ち、伊勢神道が主力に躍り出た。

長州は表向き毛利なのだが、実質は尼子氏の末裔、鉢屋というサンカが主導したのではないか。それは大正末期、山県の失脚で権力を失い、昭和は薩摩コスモポリタンが主導権を握る。ちょっとややこしいね。

あー、つかれた。わかっってもらえたかな?明日続きを書きます。
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by sibanokuni | 2009-11-08 19:35 | マヨちゃんの陰謀論
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
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