シバちゃんのため息

サンカの話の2

昨日に引き続き、サンカに関連した話をしましょう。
明治維新の謎の中で私がなかなか理解できなかったのが、廃仏毀釈とほぼ同時に行われた修験道の禁止なのである。文献によれば、あまりも神仏が習合したため、もはや分離が出来なくなり禁止することにしたとある。これで納得する人がいるのだろうか。何かを隠してると思いませんか?

ずいぶん長い間この疑問に対する答えを求めていた。結果、私の憶測ではあるが、答えらしきものが浮かび上がってきた。それは明治新政府は大江山衆を恐れるあまり、その行動を封じようとしたのではないかということである。

明治維新は西欧諸国のアジア進出で、あの大帝国、清国がアヘンでボロボロに崩れてゆくのを目撃した大江山衆の報告を受けた皇室が、徳川幕府に任せておいては国が危ういと考えた結果起きたものである。それは光格天皇から始まり、指令は水戸家に下った。

(注)従来の史学では江戸時代には皇室に権威はなく、貧乏で、その日の米にも事欠くと言われているが、私の説はそのあたりのごまかしをいわゆる大衆洗脳とするものである。つまり、家康もサンカであり、皇室の指名がなければ天下統一は出来なかったという前提だ。史学のとおり皇室に権威がないとするならmayo説はトンデモ論になるだろう。少なくとも佐々木源氏の出身、三井家が皇室のスポンサーだったはずである。

ここから幕府の内部で醜い争いが始まったのだ。英国の支援を受け薩摩は篤姫を徳川家へ送り込み幕府の滅亡を画策する。皇室はそれに対し和宮を降嫁させて対抗し公武合体を狙う、お互い主導権を争ったのだ。
公家の岩倉具視、三条実美などは大江山衆を操り長州を引き寄せるが薩摩の陰謀が勝り、神道を国家の宗教にするというえさで伊勢神宮を反徳川陣営に引き入れたのではないか。(ここは憶測)
言うまでもなく神社は寺院に支配されひどく抑圧されていたため、維新前後にすでに廃仏毀釈は爆発していたのである。徳川時代の寺社の横暴は神社側にそのエネルギーを溜めさせる働きをしたのである。

細かい事はさておき、天皇を江戸に人質に取られた京都の公家、そして寺院、さらには修験道はそれ以来地下に潜り活動を始めたのである。
(注)注が多くてごめんね・・・・今回は孝明天皇の暗殺、大室天皇のすり替えは述べないことにしよう。

そのひとつが大本教だったと考える。大江山衆はひそかに軍部にも浸透し、西南の役に対する不満を利用し玄洋社や黒龍会などを組織する。そして徐々に勢力を伸ばしていったのだ。

ここで今ひとつ言っておかなければならないのは、清国王朝と清和源氏は同根だと考えられている事である。したがって、日本軍の中に清は潰し、日本が取って代わると言う考えと、清国が潰れるのは避けれないものの清王朝は救うべきだという考えとがあった。
清和源氏の末裔と考える大江山衆としては清朝のもともとの出身地である満州に王朝を築くことで天皇家の兄弟国を作り、併合した朝鮮とともにアジアの西欧に対する橋頭堡にしようと考えたのである。

詳しい話は今回のテーマとは違うのでこのぐらいにしましょう。
つまり、大江山衆に見られるように、自分の出自を秘し、普通の職業に従事しながらも本部からの指令を待つ、いわゆる民衆の中に潜む草がサンカの本質なのだと私は考える。
したがって、ここでは大江山衆を主に取り上げたが、他の派閥のサンカも今でも全国で草となって活動を続けて入ると考えるべきである。ある日、あなたも父親から系図を見せられ、秘密を引き継ぐ羽目になるかもしれない。これは家系に伝わる掟であるから逆らってはいけませんぞ。
私の家系もかなり怪しげなのだが、幸い父親が早死にしたため、何も知らないで死んでいけそうである。
よかったよかった。

それではまた・・・・
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by sibanokuni | 2009-11-10 06:11 | マヨちゃんの陰謀論
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
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