シバちゃんのため息

まちの縁側育み隊?

今日、私のビルの3階に外国人留学生(オーストラリア人やニュージーランド)がやってくるそうだ。二週間だけの契約だけど、まちの縁側育み隊だっけ?よくわからないけど、都市開発の研究をしに来るのだそうだ。この沈没してしまった名古屋繊維卸商店街をどのように復活させるのか?少なくとも30年以上ここ長者町で商売をしている私には解決策はまったく見当たらないのだが・・・・。
これは繊維という業界が国策からはずれ、見捨てられた業界であるという事と、繊維卸しという業態がグローバリズムという競争原理の中で、もはや生き残るすべはないことによる。(もう終わりだと)

私が繊維卸会社の社長になったのが平成元年、まだ景気はそこそこで、やりようによっては生き延びる道はあると判断し、いくつかの策を講じて、それなりに成果はあがっていた。しかし世はバブルに突入し、すべての歯車が狂いだした。しかも規制緩和とやらで郊外型の大型ショッピングが出来まくり、価格破壊や規模の勝負を繰り広げた。社員は世間のバブル景気で高賃金やとんでもないボーナスを要求しだした。出せるわけないだろうが・・・・。たかが繊維卸で・・・。結局、その高賃金が祟って、景気後退と共に皆さんお手上げに。

1995年に私は卸業の先行きを予測し、ちょうど関西大震災とサリンの年である、会社とは別組織でカフェをオープンすることにした。それはこの町内でも大きな反響を起こした。みんな卸業でがんばっているときに何をするつもりだ、との意見である。陰口を叩かれ、お客さんも私を非難した。商売を真面目にやれと。喫茶店とはなんだなんてね。
その時わたしは、「10年先を見てください。この町は繊維卸街ではなくなりますよ。」とみんなに説明した。そしてその後、社員は定年退職で止めて行き、ついに私と女房だけで本業の繊維卸を継続することになった。カフェとうどん屋、そしてお客さんから頼まれ経営を受け継いだ小さな手芸屋(スーパーのテナント)を含め、社員5人、パート従業員5人の陣容である。そこまで商売を縮小したおかげで現在でもこうして生きているのであり、そうでなかったら他の問屋さんのように閉店し、土地を売却する羽目になっていただろう。
今では、「お宅はいい時に決断し業態を変えたね、うちはもうだめだわ。」とよく言われる。
経営者たるもの先を見通せなければ駄目なのである。

でも、私の見通しがすべて正しかったかと言われればそうではない。ここまで企業が人員削減し、店舗が減るとは思わなかった。現在はこの長者町界隈はまったく寂れてしまい、すべての商業が停滞してしまった。あるのは駐車場、いわゆるコインパークだけである。結構いい場所なのに・・・・。

わが社の三階に名古屋大学の講師やNPO法人まちの縁側育み隊というのがやってきて、この町の将来を考えてくれるのだそうだ。ただ、私ももうアラカン、私の店のとっては、たぶんもう手遅れだと思うけど。
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by sibanokuni | 2009-11-11 09:34 | シバちゃんのため息
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