シバちゃんのため息

歴史は回る

人と話をしていて、高句麗・百済・新羅という国の名前を知らない人はほとんどいないが、契丹とか渤海などは知らない人の方が多い。本当に不思議な事だが、奈良時代、渤海こそ日本との主要な貿易相手だったのである。高句麗研究会の資料から図を見てみよう。どうであろう。この図こそ日本の秘密そのものなのである。
b0166522_20314183.jpg


以前に渤海は高句麗の後継国ではないと書いた。つまり、高句麗が存在しているころから渤海はすでに存在していたのであり、淵蓋蘇文が死んで以降、消滅してゆく高句麗を吸収し、満州全体を覆う大帝国になったのである。支配部族はおそらくは女真族もしくは靺鞨(まっかつ)だったと私は思う。記録によると732年には大規模の水軍を動員して唐の登州(現在の山東半島蓬莱市)を攻撃し、占領した。とある。つまり、遼東半島を領土にしていたことがこれによって明らかである。ただし、渤海の領土は未だに確定されていない。本当はわかっているが、外交上あやふやにしておいたほうが無難だとの結論だろう。学問と外交とは別の問題だからである。おそらく永遠に話は付かないだろう。

さて、何度も述べているが、日本海は渤海建国以前、太古の昔から安全有利な大陸と列島の交易ルートであったことは間違いがないのである。この図の秋田ルート、北海道ルートが日本へ天孫族がやってきたときの海路なのだ。つまり、ロシア南部から草原の道を経てアムール河(黒龍川)を下り、東北に到達したのである。民族的にはツングースとか、オロチョンなどであろう。

その後、何百年も経た16世紀、明の遼東司令官李成梁は、満州地域を明が制御できるほどの大きな勢力を一つ作り、その後ろ盾になることで女真を治めようとした。これに選ばれたのが建州女真の中のヌルハチである。このヌルハチが清王朝の始祖である。後の資料には本人は義経の末裔であると書き残したのである。いいですか、チンギスカンの末裔じゃなくてですよ。(真偽のほどは定かではないが・・・)

三段論法的に言えば、図のように日本に渡来した満州人は日本で広く分散し定住した。後にやってきた渤海の使節はその末裔である聖武天皇に面会したのである。そして時代がすすみ、その渡来ルートの逆をたどり、義経は満州へ渡り、モンゴルを統一したのである。その後、元朝は消滅したが、清王朝として復活し、滅ぼされるところ、ラストエンペラーが日本の傀儡として満州国を建国し、そして日本が敗戦したと同時にすべては幻となったのである。ただし、溥儀の血統はまだ生き続け、満州に残る溥氏は再び満州国を築く事を待っているのである。

ところで女真族は「じょしん」で、発音から言って、粛慎(しゅくしん)、朝鮮(ちょーせん)と極めて近い。地理的に言う朝鮮半島は唐の皇帝が高麗国が建国された時に名付けたことに始まる。しかしながら、歴史的に言うと、朝鮮民族は満州に、それも現在の瀋陽近辺に存在していたのである。
朝鮮人というのは正しく認識するなら満州にいた住民で、現在の韓半島の住民の多くは倭人と三韓人、さらには流入した匈奴、モンゴルとの混血で、朝鮮人の比率はそれほどでもないはずである。ただし、北朝鮮には多くの難民が満州から押し寄せたから、ある程度の朝鮮人が住んでいる可能性はある。
小沢さんの講演はうそではないが全部でもない。外交の場面ではお互いに都合の悪いことは言わないのがルールである。
[PR]
by sibanokuni | 2009-12-21 20:32 | マヨちゃんの古代史
<< 「原稿料を払わない出版社」って... 後高句麗と後百済は・・・ >>



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
以前の記事
フォロー中のブログ
その他、お知らせ。
捏造の日本歴史研究所へどうぞ・・・・http://mayonokuni
.web.fc2.com/
*******
メールでのご連絡は
palio@beach.ocn.ne.jp
へお願いします。
カテゴリ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧