シバちゃんのため息

怨霊信仰について

あるサイトのコメントに、(まゆみさんとこだが・・・)怨霊のことが書いてあった。かつて伊沢元彦氏の逆説の日本史で散々聞いていた話である。wikiによれば、「『逆説の日本史』において、古代の日本は中国文明の影響によって、子孫の祭祀の絶えた者が怨霊となるとして、これを「プレ怨霊信仰」と呼び、それが長屋王と藤原四子の事件により「冤罪で死んだ者が怨霊となる」という「日本的怨霊信仰」へと変化したと提唱している。ただし井沢氏の説は、定説として確定していない梅原氏の説をほぼ全面的に承認しての論である。」・・・とあり、井沢氏によれば奈良の大仏も、長岡遷都、平安遷都もすべて怨霊から逃れるためだったとされている。
別にそれはそれで心の中のことだから私が文句をいう筋合いではない。でも、私はこれを信じていない。唯物史観の私には姿の見えない怨霊が人を殺す事はないと思っている。藤原四氏が天然痘で死んだと言うのは偶然にしては出来すぎだし、国家の財政を傾けるような大仏の建立が怨霊を沈めるための暴挙であったとはちょっと信じられない。長岡への遷都も、平安への遷都も今のところ理由は十分にはわからないが、そうせざるを得ない理由があったのであり、すべて何か重要な原因があったはずである。これをすべて怨霊で片付ける事は真実の隠蔽に他ならない。つまり、怨霊はまやかしなのである。まったくなかったとは思わないが、少なくとも怨霊に祟られ殺されたとは迷信である。

菅原道真が祟ったために官位を上げたり、名誉回復したのは、そうするよう脅迫されたのであろう。昨日もいったように、菅原にはそれなりの部族がバックにいて、勢力争いに負けたのであり、彼が死んだ後その勢力が巻き返したのだろう。それらの事情を調べる事は歴史の真実に迫る事であり、タブーに触れるのだろう。
私はそれらの怨霊の本体を疑い、合理的な説明が出来るよう努力している。が、そうは問屋が卸さない。しかし、怨霊で片付けるわけには行かないのである。

まあ、詳しく説明するには研究が足りないが、とりあえず私は怨霊封じのために神社が作られた事はあっても人が怨霊に殺されtり、都を移すようなことはなかったと思っている。これは今後の課題でもある。
井沢さんは面白い歴史観であることは認めるし、私は今でもたまに引っ張り出して参考にしている。しかし、奈良時代、平安時代は平和そうに見えて、大変な時代だったことは間違いないのであり、怨霊だけで納得するわけにはいかないのである。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-05 06:06 | マヨちゃんの古代史
<< ふたたび諏訪へ 「幻の王国、渤海」、を見て >>



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
以前の記事
フォロー中のブログ
その他、お知らせ。
捏造の日本歴史研究所へどうぞ・・・・http://mayonokuni
.web.fc2.com/
*******
メールでのご連絡は
palio@beach.ocn.ne.jp
へお願いします。
カテゴリ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧