シバちゃんのため息

武内文書に関し

昨日umeさんから教えていただいた「南朝と竹内文書」は非常に面白い。とにかく面白い。
まず正当竹内文書の口伝伝承が始まった経緯について、七十三世・武内宿禰は「原日本人に対する侵略者である武内宿禰が、原日本人からその歴史と秘儀を奪ったのだと思う。原日本人の歴史はおそらく、神代文字で書かれていたのだろう。もともと天皇と古神道とは関係がなかった。それが現在、関連付けられているのは、原日本人の歴史と秘儀を奪ったことと関係があると思う。」と述べている。

この認識は実に新鮮だ。つまり、神武はともかくとして武内宿禰は征服者で、それ以前の王朝祭祀を引き継いだという考え方は現在天皇家が行っている宮中祭祀そのものとおなじである。表には出さないが、日本国はいくつかの王朝を征服し、それらの祭祀を今でも皇居内で行っていると言う事である。建前上、万世一系とされる天皇家であるが、それはアッシリア?から一系であって、日本列島内の歴史そのものではないのである。(みんな知ってるよね。)一番の問題は、いくつの王朝があったかと、どこにあったのかであろう。

さて、私は意外とこのHPには信頼性を感じる。武内宿禰が旧支配者の祭祀を引き継いだのだが、「正統竹内家の墓守に大伴部真麻呂と宿禰麻呂がいる。彼らは桓武天皇の延暦十一年(七九二)に、陸奥国俘囚の身から、祭主の留守を守る宮守兼竹内家の墓守に採用された。そして射水郡二上山にある武内宿禰の墓を守るため居住した所が伴郷と呼ばれる地名となったという。」とあるから、この地域がおそらく征服した拠点としてもそれほど間違いはないだろう。つまり、武内が亡ぼしたのが越王朝なのだろうか。もしそうなら、亡ぼされた越後が上杉となり、征服した武内が加賀前田へつながるのか・・・?
加賀は有名な一向一揆の発祥地である。何か関連があるようなきがしてくる。ただ、陸奥で奴隷になっていたとあるから、彼等も誰かに追われた身だったわけだが・・・。
とりあえず、富山市の射水郡二上山を調べると、射水神社(いみずじんじゃ)がそれにあたりそうである。それは富山県高岡市の古城公園内にある神社で、式内社(名神大)越中国一宮。現在は神社本庁が包括する別表神社となっている。

この富山と聞いて思わず思い出したことがある。以前の記事で描いたダビデの図を下に示そう。
b0166522_645634.jpg


この中で、久能山東照宮、世良田の東照宮、日光東照宮、柏崎、そして天海のお寺、長野の戸隠神社などはよくわかる、しかし、富山だけはさっぱりヒントがなかった。しかし、今、富山市の射水郡二上山がでてきた。

以前、気象兵器の使用が疑われた柏崎地震、岩手地震、東海村の地震、能登沖地震などだが、これらはすべて閉じ込められた神が動き出したことを現していた。つまり、今回の政変で動き出した中にこの武内宿禰も含まれている可能性を指摘することが出来る。

今回発見した記事のなかに新田氏と世良田の名が出てくる。これこそ徳川家康の出自に関わる日本の秘密ではないか。世良田こそ新田郷に隠された「お種」の保存場所であり、それが家康に受け継がれ、現在の皇太后、正田家はそのお種を受け継いでいるのかも・・・。

まだ全部を読み終えていないので判定できないが、富山という地域が持つ意味がようやくわかるかもしれない。
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by sibanokuni | 2010-01-13 06:23 | マヨちゃんの古代史
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