シバちゃんのため息

将門の首塚は怖かった?

大正十二年の関東大震災の後、崩壊した大蔵省のために仮庁舎建設が急がれ、大蔵省敷地内にある平将門の首塚が取り壊された。その後、それを指示した大蔵大臣ほか十四名が連続して急死したという。

たたりにおびえた政府はただちに首塚を元に復した。・・・・怨霊好きの皆様には有名な話だろうが、唯物的に言えば平将門の子孫、もしくは部族が残存しており、自分たちの祀る将軍さまを軽んじたことに腹を立てたと考えるものだ。しかし、平将門は千年近く前の話であり、その執念たるやなかなかのものである。

平将門が挙兵した地域は昔から平家の多く住むところだったことは以前述べた。やはり、茨城といえば鹿島神宮であり、私の仮説ではここに王権をもっていた蘇我氏を閉じ込めた場所である。ここで蘇我氏は大王であり、朝廷と戦った結果、地上から身も名前も消されいわゆる「大化の改新」として二度と歴史にその名を見せなくなった。
しかし、その数百年後、新皇として公然と朝廷に反旗を翻したのが平将門なのである。

日本書紀は万世一系であり、天皇以外が王権をもっていたことを認めていないが、現実には各地に王権があったことは間違いなく、茨城にもあったのである。それを押し込めたのが香取神宮であり春日大社だった。
まさにその地域から平将門が出現したのは彼にはその権利があり、裏づけがあったのである。
彼らの子孫はそれなりに尊重され、日本の支配層の一角に位置したが、徐々に軽んじられ、遂に首塚が取り壊されるにいたり、「冗談じゃないぞ」と実力行使に至ったと考える。

大化の改新とは新羅でおきた「ヒドンの乱」と鹿島で起きた蘇我氏との戦乱をあわせ、まったく新しく創作した架空ドラマであった。十分な根拠は持ち合わせていないが、アテルイという武将はこの茨城から東北へ逃げ込んだ蘇我氏そのものではないかと思うのだが、どうであろう。ちょうど昨日「閉じ込められた神々」という本にアテルイが登場するみたいなので、読む前に自分としての考えをまとめておこうと思った。読書後には別の考えになるかもしれないが、二三日お待ちください。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-20 06:23 | マヨちゃんの古代史
<< ごちゃ混ぜの歴史 マヨ理論にひとつ追加。 >>



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事
フォロー中のブログ
その他、お知らせ。
捏造の日本歴史研究所へどうぞ・・・・http://mayonokuni
.web.fc2.com/
*******
メールでのご連絡は
palio@beach.ocn.ne.jp
へお願いします。
カテゴリ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧