シバちゃんのため息

ごちゃ混ぜの歴史

中臣氏は後に藤原の姓を賜ったとされるが、私はこれを疑っている。これこそ日本書紀における捏造の最たるところで、このあたりの歴史が日本史の肝だろう。鹿島で起きたことと新羅で起きたことを同時に書けば中臣氏と藤原氏を同一にしなければ歴史がつながらなかったのである。

645年、唐を降伏させた高句麗の淵蓋蘇文は唐と高句麗を完全に支配し、吉林の新羅を追い出す。そしていよいよ鴨緑江をこえ、現在の北朝鮮地域、倭国を侵略する。倭国は驚き、支配者層は対馬から九州へ逃げる。淵にを受け入れ服従する部下たちは淵にしたがい新しい偽の国家を打ち立てた。これが歴史上の統一新羅である。
倭国の支配者は九州大宰府の伽耶国を占領した。そして天武に亡ぼされるまでの歴史は三国史記の新羅本紀と日本書紀と両方に登場する。要は歴史がダブったのだ。
この謎の多い4世紀から7世紀にかけて列島中で戦乱が繰り返された。鹿島神宮では蘇我氏と中臣氏が戦い、出雲から追われた部族は富山から諏訪へと逃げ物部氏を亡ぼす。高句麗からから追い出された百済王家は越後から信州に入り、たぶん善光寺あたりに宮殿を築いた。それらの物語はそんなに昔のことではなく、れっきとした歴史時代なのだが、つじつまを合わせるために編集者は出雲を神話に押し込めてしまった。

一番困るのは淵蓋蘇文は裏支配専門だったのである。これは漢の時代、匈奴が漢を占領したにもかかわらず、漢皇帝を許し、王座を守る代わりに毎年貢物を納めさせたやり方である。フン族も同じ手を使っている。
淵はソグド人で皇帝になる資格をもっていなかったのかな?つまり、将軍にしかなれないお種だったわけだろう。
高句麗の支配方法も同様で、高句麗は唐に亡ぼされたように書かれているが、それは違う。実質は淵が裏支配していた。しかし歴史書は唐が高句麗を占領したことにした。実質は淵の息子が高句麗を支配した。
淵はその後統一新羅を攻め、その勢いで九州まで来た。白村江の戦いとは、淵が率いる新羅軍(天武)と九州でそれを待ち受けていた倭国・伽耶軍(天智)の戦いであった。最終的に九州は破れ、淵は天武として歴史に残るが、残念ながら九州で死んでしまった。

当時、日本も新羅もそして唐も女帝が多い。つまり、突厥をバックにした淵蓋蘇文がそれらを実効支配し、男子の皇帝を認めなかったのではないか。しかし淵が死に、突厥は西方へ引き上げる。そのとき代わりに攻め込んできたのがウイグル族だった。日本では聖武天皇が死にその後平安京へ移行していく時代である。十分に解析できないでいるが、日本に残ったのは突厥とウイグルの仏教軍事勢力である。これが平城と平安の違いではないか。ウイグルは日本を支配する正統の「お種」を百済王家とした。だから桓武が選ばれたのである。
突厥とウイグルの違いを私はいまのところ説明できない。ただしウイグルはアルタイ王室(これはマヨちゃんの勝手な想像王室だが・・・)から派遣された中央軍の可能性が高い。彼らは中国、満州、韓半島の正統な王統を定め、再び西方へ去っていったのである。突厥はアルタイから見て右へ進み、カザール王国を建設した。これが問題のアッシュケナジーユダヤの王国である。
あー、ややこしい。わからない人のほうが多いだろうな・・・。私も説明がうまく出来ない。
つまり、このような出来事が事実あったとしても三国とも歴史に書く事は出来なかったのだ。だからみんなで歴史書を改鋳し、つじつまを合わせたのだ。
結局のところ、アルタイ王室が左軍として派遣した皇子はアムール川を下り、高句麗や百済を建国、最終的に日本へ逃げ込み、善光寺に匿われていたところをウイグル族に助けられたってことかな?
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by sibanokuni | 2010-01-21 06:30 | マヨちゃんの古代史
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