シバちゃんのため息

加治木さんという選択?の①

昨日の記事は加治木義博氏の本、「新説 日本誕生 虚構の大化改新と日本政権誕生」を読む前に自分の意見をまとめ、この本とどのぐらい違うかを比較しようと思って書いたものです。

最初に言っておきますが、この本を100%認めるわけではない。しかし、素晴らしい本なのである、今まで読んだ中でも、まさに何本かの指に上げれると思う。ただし、この種の本を読みなれていない人が読むと完全に洗脳される恐れがあるので、やや注意が必要だ。朝一コメントを見たらジェリコさんから注意するような意見が来ていた。
「彼は邪馬台国、九州説ですよ」と、しかし、これはしかたがない。まあ、九州には何がしかの王朝が存在したことは確実であるし、それが日本なのか、倭国なのか、それともまったく別の名前だったのかはともかくとして、どうせ消滅する王朝なのだからどっちでもいいじゃん・・・・。ジェリコさんの意見を転記しておこうか・・・。

「加治木義博説では、邪馬台国は九州です。韓半島なんかではありませんよ。海のシルクロードのほうが重要なんです。山形明郷はミクロ的には一部正解、マクロでは全然不正解。高句麗は倭国、また高句麗は物部氏のこと。それによって、義経がチンギス汗であるとするのは、当然の成り行き。渤海は百済系。百済とは蘇我氏そのもの。というより藤原北家の系統に近縁関係があるというべきか。私の想像ではこの北家が悪の権化である。取って代わる勢力が雌伏している。聖武天皇の直接の子孫である。二代前に源氏の血も受け継いでパワーアップした。もう物部の源氏勢力は逆らえない。佐々木源氏が北家になった? 逆でしょ。北家の縁戚の端っこの末座に加えられる栄誉に浴したということ。最新の歴史事実を全部出してしまうと、人類史のすべては私たち日本人が作った事がばれてしまう。それはまだ秘密なんだな。たぶんね。」

うーん、過激ですな。なかなかです。高句麗は倭国というのはある程度わかります。藤原北家についても意見を共有する部分もありますが、まだ私はジェリコさんの意見に「はい」というところまで行きませんね。まだまだ調べるべき事がたくさんありますから。

さて、加治木氏の本を解説する前にたくさん行数を使ってしまった。なかなか内容が濃いので簡単にはいかない。さらっと読んだだけなので、今日もう一度読み直し、問題点を洗い出したい。
今は時間がないので順次書き加えます。ただし、先ほども言ったように、彼は邪馬台国九州説であり、その点では一致していない。そして、唐が白村江の戦いで日本の大阪まで攻め込んだと言われるが、当時、唐にはそのようなゆとりも理由もないので、これは残念ながら間違っていると思う。みんな騙されている。つまり、当時の唐は淵蓋蘇文に乗っ取られているから、淵=燕国の唐であり、中身は高句麗である。
この本は大化の改新と白村江の戦いまでを取り上げているので一番のメインは天智天皇の正体と持統天皇、さらには蘇我入鹿が何者なのかという事である。

まず、日本書紀を天武天皇がなぜ編集しようとしたかという問題からはじめましょ。
彼は、このように書いている。「天智天皇はその前の「倭国」を亡ぼしているから全面的に書き換えなくてはならない。だから書紀は亡ぼされたのは「倭国」ではなく、一介の大臣に過ぎない蘇我氏とした。」(p28)
さらに、天武の目的は「倭国を亡ぼした天智天皇の朝廷をなぜ亡ぼさねばならなかったかを説明し、それには天智が亡ぼした倭国の全支配者「蘇我氏」のカタキを討ったことにする・・・云々」ということで、蘇我氏の祖先に当たる欽明天皇から書き始めたのだ。」(p34)、とある。

今日はここだけにしておこうかな・・・・。

彼は倭国は邪馬台国がそうであったように女帝しか認めないといっている。つまり、彼は邪馬台国を九州に持っていったため、どうしてもそれに縛られていると感じる。たまたま魏国が公孫氏を亡ぼすために提携した小国の邪馬台国をあたかも列島までも含む大国にしてしまっている。
まず、倭国はどうして「やまと」なのかを考えなければならない。「わこく」と「やまと」がどうして同じ国であろう。
やはり、私の考えでは「ヤマト」は大和であり、倭ではない。倭に「やまと」の読みをふったのは極めて悪質な捏造だと考える。
彼は日本という国が鹿児島に近い高千穂あたりから始まり、最終的に倭国を亡ぼし、旧唐書に書かれている「日本はもと小国、倭国を併せる」となったと書いている。この認識はなんとなく納得できる。つまり、九州の南部のその地域は極めて怪しい。以前私も西都原こそ邪馬台国であると確信していた時期があるが、あのあたりに有力な王朝があったことは確実で、豊富な古墳群はまったくといって手付かずなのである。そこが日本発祥の地であることは私もまったく異存はないのだ。ただし、日本の歴史と天皇家の「お種」の歴史は別回路であり、天皇の歴史が列島の歴史ではないことに注意していただきたい。
いずれにしてもこの本を解読する前に、この倭国の認識が違うことだけははっきりしておかねばならない。

ところで面白いことが書かれている。つまり、「蘇我入鹿は高句麗の泉蓋蘇文」としているのだ。私は泉を淵としているが、どちらも正しい。書紀には「イリカスミ」として登場するが、「入鹿」は「イリカ」であり、「スミ」は神の名前の敬称だという。例えば、「ワタズミ」とか「オオヤマズミ」のように・・・。つまり、「イリカズミ」という事である。ようは、蘇我入鹿は泉蓋蘇文だったという事か。

蓋蘇文が高句麗王「建武王」を殺し、「宝蔵王」を立てているが、書紀には同じ時期に入鹿が執政になり、舒明が死ぬ。そして皇極天皇が即位している。これが偶然なのか?
皇極天皇は「天豊財重日足姫」(てん・ほ・たから・かし・ひ・たらし・ひめ)であり「たから」は「高麗(たから)」だから「宝という高句麗王」のことだという。そして、舒明天皇の「息長足日広額」は「息長」は「そなか」「足日」は「そか」。「広」は「こう」で「高」、「額」は「がく」で「岳」つまり「たけ」、それらをみると、建武王の「高・建・武」で一致し、高句麗本紀に書かれた出来事と日本書紀でおきたことがまったく同じことだと結論する。
まったく、息詰まるような展開である。これらのことは歴史学者では出来ない、言語学者だからこその発想である。本当にたいしたものだ。問題は、このようなことが何を意味するかという事である。
つまり、日本書紀が書かれたころに三国史記はあったのである。そして蘇我氏の歴史、つまり舒明、皇極は高句麗の歴史を借用したことになる。
これらのテクニックは随所で使われ、歴史家たちを騙しているのだ。だから書紀を信じて日本歴史を語ると大変な間違いが起きるのである。
三国史記の新羅本紀も同様で、三人の始祖がいる以上、三つの国の歴史を縦つなぎにしたものである。そんなものを信じてどのような歴史が出来るだろう。
日本書紀もたくさんの歴史書を縦つなぎにし、同じ出来事が両方から描かれたりするから大変におかしいことが起きてくるのである。その最大の場面が大化改新であり、白村江の戦いなのである。

難しかったね、今日はこのへんで勘弁しましょう。またこんどね。
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by sibanokuni | 2010-01-22 06:17 | マヨちゃんの古代史
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