シバちゃんのため息

加治木さんによれば、天智は沖縄出身?

またもや加治木さんの話である。三冊も発注してあるから当分はこの話題になると思う。もちろんそれだけの価値がある気がするからで、賛成するところとそうでないところを含めてであるが・・・・。

「たちばなは、己が枝々実れども、玉を貫くとき、同じ緒に貫く」、これは天智十年の正月、旧三韓人に位を授けた時、流行したわらべ歌であると書記にある。
加治木氏はこの「たちばな」を「種子島出身」を意味すると述べている。そして「ジンム」参照のこととある。
「うへー、その本を読めってか?」、そして、歌の意味は、「種子島出身者は、今では多くの国に分かれていて、それぞれ独立して好きなようにやっているが、何か事があればひとつに団結し、自分たち同族だけが甘い汁を吸う」という解釈をしている。韓人がどうして種子島なんだ?やっぱし「ジンム」を読まないとダメか・・・。

毎度おなじみWIKIで橘氏をみると、「橘氏の実質上の祖は県犬養宿禰三千代とされている。三千代は天武朝から命婦として仕え、文武天皇の乳母をつとめたともされ、後宮の実力者として皇室と深い関係にあった。三千代ははじめ美努王の妻となり、葛城王や佐為王を生んだ。694年に美努王が大宰帥として九州へ赴任すると、代わって藤原不比等の夫人となり、藤原光明子(光明皇后)らを生んだ。和銅元年11月25日、元明天皇の大嘗祭に際して、天武天皇治世期から永く仕えてきた三千代の功績が称えられ、橘の浮かんだ杯とともに橘宿禰の氏姓が賜与された。」

これから考えると、天智天皇が日本を統一(加治木氏によれば、日本軍が大阪を攻略し、倭国を乗っ取ったことなのだが、)したときにどうもこの橘氏ご一党が要職を独占したと読める。そして天武朝に藤原家と姻戚を結ぶことになるから、どうやら、この橘氏が天武派の主力部隊だったことはある程度見当がつくというものだ。
これはまた直感だが、この話も額田姫と似た雰囲気が見られるけど、気のせいか。

問題というのは、加治木氏は天武天皇の漢風しごうである「天淳中原瀛真人」のなかの瀛(えい)と真で、「ラティン」で、ラテン・羅典と同じだといい、「沖縄・南西諸島の始皇帝の子孫・ラテン人の「天皇」だとする。
むむむ・・、なんとラテン人だって?
ここで久しぶりに思い出すのは、飯山氏がかつて、天武は斉州島出身だと述べていたことだ。

たちばなを植物として考えると、WIKIによれば、「日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。和歌山県、三重県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生する。近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)があり、萩市と韓国の済州島にのみ自生する(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)。」、うん、萩というのがなにやらやばそうな秘密が・・・、これも匂う。

私は以前から天武は淵蓋蘇文だといい続けている。今もそれは変わらない、ただし、間違いなく本人だというつもりもない、要は天武は高句麗を制圧した淵の一味だという意味で十分なのである。
淵が日本へ攻め入る時、斉州島の軍勢を率い、天智の日本軍と戦ったのかもしれない。天武は殺されてもその軍団の将軍が橘氏として残ったということである。むしろ積極的に天武を裏切ったとも考えられる。当然、それは持統天皇ではないか。
しかも斉州島は日本で言えば伊豆のような流刑地であり、昔から高貴なお種を持つ人が多かったのである。むしろここに百済の王室が避難していた可能性だってある。斉州島は高麗がモンゴルに屈服する時、最後まで抵抗した島であり、その残党が沖縄に逃げたという伝説があるという。

ところで、天智が日本を統一し、その後どうなるのかの続編が出ていないのである。「TAIKA」が平成6年の出版で、「篤姫を生んだ鹿児島こそスメル八千年帝国の... (真説日本史)」が昨年発売されているから、これを読めって事かな?やれ、金のかかる人じゃわい。しかたがないな、商売なんだから。

この人は言語学者?だそうで、天武は沖縄語だったといっている。逆だってあるじゃんね、つまり、沖縄には斉州島から移住したのかも・・・。そうであれば日本国にとって天武は消したい王朝であり、当然沖縄は疎ましい存在だった可能性がある。米軍に常駐してもらいたい原因が案外そのあたりにあったりして。

いうまでもないけど、私は645年に高句麗が唐を降伏させたと信じている。これは鹿島氏の桓檀古記にしか載っていない情報なのだが、三国史記の高句麗本紀を読んでも唐は完璧に負けている。その数年後(649年)、李世民は死んでいる。次の代の高宗のころに日本まで攻め込むゆとりがあったとは私は信じない。つまり、加治木さんにはこの高句麗情勢がわかっていないのだ。彼はおそらく歴史学会の描く半島地図しか頭になく、淵蓋蘇文を過小評価している。鹿島氏の受け売りでやや信頼性に問題があるが、桓檀古記は信者が命がけで日本軍から秘匿されていたという。偽書扱いされるのは慣れっこだがいくつかの真実が含まれている可能性があり、唐が降伏したと書いてあるところにこの古書の値打ちがあるのだ。
何より淵蓋蘇文が死んだ後、彼の息子の男生は「668年、長安に入朝し、特進・遼東大都督・平壌道行軍大総管・持節安撫大使に任ぜられ、玄菟郡公に封ぜられた。」とあり、唐から任ぜられた様に書かれるが、高句麗が滅んだとするならいくらなんでも淵の息子を任ずるとはちょっと考えられないのだ。

ちょっとマニアックな話になってしまったな。加治木さんの本は面白いが、半島の情勢に付いてはやや手抜きをしている気がするが、他の本を読んでからもう少し考えてみよう。
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by sibanokuni | 2010-01-27 06:09 | マヨちゃんの古代史
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