シバちゃんのため息

宝貝って知ってた?

本当に恥ずかしいことだが、加治木氏の本を読むまで沖縄近海で宝貝がとれ、それが殷の時代、貨幣として非常に珍重されたことを知らなかった。
もちろん、昔、貝が貨幣の代わりに使われたことは知らなかったわけではないが、まさか卑弥呼の話にそのようなことが関わってくるとは予想もしなかったのである。自分の無知もさることながら、何にしても今まで一度もそのような視点を示した人がいなかったのは不思議である。っていうか、貝の貨幣制度など調べた事もなかったのである。反省・・・・・・します。
とりあえずタカラ貝をwikiでみると(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%82%A4)、「タカラガイは世界中の熱帯から亜熱帯の海域に分布し、全て海産である。特にインド洋や太平洋の、潮間帯から水深 500m にかけての深度に多く生息する。砂の海底よりも岩礁やサンゴ礁を好む。」
「キイロダカラなどの貝殻は、アフリカ諸国では何世紀にも渡って貨幣(貝貨)として用いられてきた。特に西欧諸国による奴隷貿易に伴い、モルディブ諸島近海で採集された大量のタカラガイがアフリカに持ち込まれた。・・・・最古の貝貨は中国殷王朝時代のもので、タカラガイの貝殻やそれを模したものが貨幣として使われていた。国内の通貨としてのみならず、タカラガイはインドとの交易にも利用された。漢字の「貝」はタカラガイに由来する象形文字であり、金銭に関係する漢字の多くは部首として貝部を伴う。」
うんうん、やはり、海部さんはその意味があるわけだ。

中国の貨幣制度を調べてみると、「殷・周では、子安貝の貝殻を貨幣としていた。このような貨幣を貝貨という。現在、買や財、貴といった漢字に貝が含まれているのはこの当時貝貨が使われていたためである。貝貨は春秋時代まで使われた。春秋戦国時代に入ると、青銅を鋳造して貨幣とするようになった。」

つまり加治木さんによれば、当時の沖縄はその宝貝の産地で、350万人の人口が集中するアジア有数の生産基地だったというのである。だから宮古島に天照さんが君臨したのもそれほど意外なことではなくなる。
殷、周が滅び、春秋戦国時代終盤には金属貨幣が登場してくる。それが理由となって、沖縄で宝貝貿易で生計を立てていた住民が沖縄を捨て、各地へ散っていったことが日本から韓半島にとって大きな波紋を呼ぶことになるのだ。

天照さんが宮古島から九州へ移動するには理由があったのだ。これで、なぜ天照さんが宮古島にいたの?という疑問のひとつが理解できた。よしよし・・・・。

ところで子安神社というのが各地にあるが、子安貝というのが代表的な宝貝なんだよね、なんか関係があるのかな?
それにしても、歴史というのは難しいな。
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by sibanokuni | 2010-02-12 06:10 | マヨちゃんの古代史
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