シバちゃんのため息

神武は垂仁だった?

お待たせいたしました。本日は朝床屋さんへ行きましたので、更新する時間がなく、遅い時間ですが、今から書き始めます。
本日は、加治木氏の「JINMU」のまとめになります。実は何回も読んだのですが、どうにも理解できなくて、都合三回は読んだかな・・・・それでも十分にこなせない。頭が悪いのだろうな。

話を始める前にひとつご注意を。これはあくまで加治木説を説明するもので、私が納得しているものではありません。また、論証はしません。つまり、今日の記事は私のための覚え書であります。そのつもりで。

まず卑弥呼が活躍した当時、つまり西暦250年ごろ近畿地方にはヤオ人がいたことは間違いなく、八尾人が支配していた。それがなまって弥生人になったのだという。本当かな?
そして昨日お話した宝貝で生活していた部族はカリエン人といい、ベンガルを含むミャンマーあたりが原産の人種だそうで、和国人=カラひとで、韓も同様、「黒」という意味である。これに対し倭人は「ウワイ」といわれ、「白人」という意味だという。つまり、インドに来たアーリア人のことのようだ。倭人は仏経を広めるためにインドから日本方面にやってきたシャカ族なのだ。それに対しヤオ人は中国から来たので道教、和人はどちらかというとヒンズー教のようである。(神道に近いのか・・・)

238年 魏は司馬仲達に命じ、燕王、公孫淵を亡ぼす。高句麗・山上王位宮は魏に味方し出陣する。魏は燕の旧領を楽浪郡と帯方郡として併合する。
239年 倭人連邦女王、卑弥呼が魏の帯方郡へ使者、難升米を派遣し朝貢する。

さて、この卑弥呼は実は加治木氏によれば宮古島からやってきた天照さまでごじゃるそうで、和人である。
問題の邪馬台国は鹿児島の隼人にあった。そしてその弟こそ崇神である。公孫氏と関係の深かった卑弥呼はその源は呉国で、烏孫から川を下ってきたというギリシャ人なのだそうだ。

こののち魏の母丘倹(かんきゅうけん)は高句麗を攻め、高句麗王位宮は破れ種子島へ逃げる。そしてそこから卑弥呼のいる邪馬台国を攻める。この種子島は三国志には狗奴国と書かれている。そしてその位宮こそが垂仁天皇である。卑弥呼は帯方郡へ助けを求めた。しかし遠征して来た張政が駆けつけたとき、卑弥呼はすでに死んでいた。そしてその弟、崇神がたつも狗奴国の垂人天皇が反乱をおこす。
そして邪馬台国と狗奴国が戦争をし邪馬台国は破れ、垂仁天皇が即位し、女王には台與(いよ・とよ)をたて、戦争は終る。出来た国が邪馬壱国となる。これが神武東征の中身で、垂仁は神武と同一人物なのである。
つまり高句麗王・位宮とは神武であり、かつ垂仁である。これが247年、神武元年なのかな?

では高句麗王が邪馬台国を亡ぼしたから日本は朝鮮人に占領されたのかといえばそうではなく、高句麗王・位宮は和人で琉球出身なのだそうだ。
結論から言うと、神武は孝元天皇、垂仁、吉備津彦で、なおかつ山幸彦、彦火火出見尊もすべて同一人物なのである。そしてひどい目にあったのが海幸彦であり、崇神天皇なのである。
これで仏経国の隼人国(邪馬台国)がほろび、ヤマト(神道)が誕生する。

日本書紀のなかの「磯城彦」が「彦五十狭芹彦の命」で崇神天皇で、かつ孝元天皇、この姉、「倭迹迹日百襲姫」が卑弥呼である。
では卑弥呼が天照なのだから戦った高句麗王はスサノウということになるのだ。ははは、わっからないよね。

三回読んで、私はおおむね理解したけど、それでも十分な説明はとても出来ない。ただよく調べてあり、かなりいい線の様な気がする。特に複数の天皇が同一だったとするのは実に鮮やかなのである。
納得できない人は、申し訳ないけど「卑弥呼を攻めた神武天皇」を読んでくださいね。
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by sibanokuni | 2010-02-13 17:45 | マヨちゃんの古代史
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