シバちゃんのため息

「あなた」は誰なの?

穴太衆に関し、いくつかのコメントが来ています。返事代わりに記事にしておきます。コメントありがとうございます。
穴太衆というのは私も長い間追及してきた部族で、古代の石工集団である。想像としかいえないが大規模古墳、あるいは堤防工事、その他高度な土木、測量技術を持った渡来人だったと理解している

それが地名として残るのは琵琶湖のそば、大津だが、そのほかにも丹波地方にも、あるいは当て字に変え全国に散っているものと思われる。いずれにしても戦国時代、城郭を築くためにはこの頭脳集団を利用しないことにはおそらく完成できなかったものと思われる。
昨日、サムライさんとコメント欄で話題になったのは私の早とちりですが、ピラミッドの建築技術とその穴太衆との関わりであります。まあ、それはなかなか証明できるものではなく、古代マヤの遺跡とか、アンコールワットであるとか、どちらかといえば私のジャンルでは解決できない方面から分析できていくものと思っています。(他力本願であります。)

さて、matsuさんからいただいたコメントには、「吉野の近くに「「賀名生(あのう)梅林」という場所があるみたいです。月ヶ瀬梅林より多い2万本の梅林で、南朝の皇居跡が残っている場所だそうです。
「あのう」と「皇居跡」がひっそりと残っている場所が気になってしょうがありません。」・・・とあり、「あのう」との読みが引っかかってきた。穴太?と関連あり?
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まあ、ネットとはたいしたもので、はるかスペインでそれを調べる人がいるんですね。私のヨーロッパ連絡員(秘密諜報員ですのでhiromiとしか明かせないが・・・)からコメントが来て、wikiによれば、「・・・もと「穴太」(あなふ)と書いたが、後村上天皇が皇居を吉野からこの地に移した際に、南朝による統一を願って叶名生(かなう)と改め、さらに1351年(正平6年、北朝の観応2年)、いったん統一が叶うと(正平一統)「賀名生」に改めたという。明治になって、読みを「かなう」から原音に近い「あのう」に戻した。・・・・」ときたもんだ。つまり、最初は穴太だったのである。

さらに異星人の梅干さんからも相変わらず面白そうなコメントが入り、ゴールデンウイークの旅行は意義深いものになりそうな予感がしてきた。

姓氏録にあるのは

連番    本貫    種別   細分氏族名 姓  同祖関係     始祖
1107山城国未定雑姓穴太村主村主       曹氏宝徳公之後也

未定雑種とあるから、出自が不明の部族出身である。しかし村主である以上、古市まゆみさん家と同じぐらいの地位、すなわちけっこうな豪族なのである。
落合莞爾氏によれば、彼らはアヤタチと呼ばれるサンカで、そのドンが上田家だという。そこと大江山衆とが結びつき大本教が結成されてゆくというのは以前考察したとおりである。

その穴太氏の始祖、「曹氏宝徳公」とは誰?でありますな・・・・。私の直感ではやはりソグド人になるのだけど、今日のところは時間がないので、後で調べます。

なにが言いたかったのかと言えば、賀名生梅林が穴太梅林だったという事だけですな。でも、ネットというのは面白いですね。
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by sibanokuni | 2010-02-15 09:20 | マヨちゃんの古代史
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