シバちゃんのため息

下調べ。「お万」がタカスする。

タカスの調査はなかなか面白いが、いかんせん時間がない。調べてから書いているのではなく、書きながら調べているのだから、どんな展開になるのか自分でもわからない。
ただ、はっきりしているのは「お万の方」の子孫が徳川宗家になり、ついでに皇族にも名を連ねたというサクセスストーリーなのである。
若干めんどうだが、ひとつひとつの裏づけをしてゆかねばならない。面白いかどうかは責任がもてないが、しばらくはその作業に専念しよう。

まずはスタートとして「正木家」から。いろいろ探しても詳しく書いてあるのはここしかない。このHPはいつも感心するが、実によく調べてある。助かります。引用しましょう。

「 正木氏の祖は、相州三浦氏という。すなわち、北条早雲に攻められた三浦道寸とその子義意が滅亡に際して、一子を船で逃し、これが安房の正木郷で成長し正木氏を名乗った時綱(通綱とも)だとされている。しかし、この説は年代的に無理があるようだ。
 一方、『集成正木家譜』では時綱を義意より三代前の三浦介時高の実子としており、「大多喜町史」「東金市史」などはこの説をとっている。三浦介時高は長く実子に恵まれなかったため上杉氏から義同(道寸)を養子に迎えていた。ところが晩年に至って実子弥次郎が生まれ、実子可愛さのあまり義同を疎外するようになった。これを怨んだ義同は、明応三年(1464)時高を急襲して討ち取ってしまった。幼少の弥次郎は船で安房国に逃れて、里見成義に庇護を求めたのである。」
ここで出てくる里見とは、あの有名な里見八犬伝の里見で、お犬様神話で有名だ。ただし、これはあくまで講談の世界で、実際はどうなのかな?
家紋からすると丸に三つ引きだ。桓武平氏とある。これは意外だが、この阿房国は平家そのものだからこれで間違いはないのだろう。
途中の歴史は格別面白くもないが、略するわけにもいかない。

「慶長十一年(1606)の分限帳では、八千石の知行を有し、御一門衆として里見家臣団のなかでずばぬけて大きな知行を与えられていた。里見家改易後は忠義とともに倉吉に行き、忠義の死後は鳥取藩池田光政に預けられ、寛永九年に同地で没したという。一方、時忠の家は時通が跡を継いだ。時通は父とともに各地に転戦した。時通には子が無く、小田原北条氏のもとへ人質となっていた弟の頼忠が安房に帰って養子となった。そして、父時忠、兄時通が相次いで没してのちに家督を相続し勝浦城に住した。
 天正十八年(1590)、里見義康が豊臣秀吉から上総国を没収されて安房一国になったとき、安房に帰り入道して環斎と号した。慶長期には、長狭郡八色村・丸郡平磯村・加茂村のうちで千石の知行地を与えられた。 頼忠には数人の子があったが、人質として小田原にあった時、北条氏隆の娘との間に為春・於万兄妹をもうけた。この於万は徳川家康の側室となり、紀伊頼宣・水戸頼房を生んだ。そのため、兄為春は家康に召されて紀伊頼宣の家老となった。里見家改易後、頼忠は紀伊におもむき、為春の許で一生を終えたという。為春の家は、のちに三浦を称し、紀州藩の家老として幕末まで続いた。」
長くてごめんなさい。これで徳川家康の十一男である松平頼房が常陸国下妻10万石を与えられ家を興す。1636年(寛永13年)7月、徳川姓を賜姓される。つまり、水戸家はここから始まるのである。
さらに、水戸家第六代藩主徳川治保の子、松平義和が高須松平家九代藩主となる。

その高須藩の第10代藩主・松平義建には子が多く、次男は尾張藩第14代藩主・徳川慶勝となり、三男は石見浜田藩主・松平武成となり、五男は高須藩第11代藩主・義比となった後に、尾張藩第15代藩主・徳川茂徳、さらに後には御三卿・一橋家当主・一橋茂栄となった。七男が会津藩主・松平容保で、九男が桑名藩主・松平定敬と幕末に活躍した藩主となった。十男・義勇は高須藩第13代藩主となっている。

さあ、どうです。これで水戸家、尾張、会津、一ツ橋家すべてにお万の方の「お種」が行き渡ったことになる。

そして松平容保ですな・・・・。WIKIから・・・「正室・敏姫は養父(実の叔父でもある)松平容敬の娘。子は松平容大(長男)、松平健雄(次男)、松平英夫(五男)、松平恒雄(四男)、松平保男(七男)。養子に松平喜徳。現在、徳川宗家は直系、徳川慶喜家、尾張徳川家は傍系で、血統上は容保と同系である(四男恒雄の子孫)。」
で、問題はこの4男、恒雄ですが・・・・「日本の外交官、政治家。外務次官、駐英大使、駐米大使、宮内大臣、初代参議院議長を歴任。1928年(昭和3年)、長女・節子(成婚後「勢津子」と改名)と秩父宮雍仁親王の成婚が突如決定する。これは戊辰戦争以降の「朝敵」・会津の復権に役立つ事にはなった」
とある。
あーあ、お疲れ様。しんどいけど仕方がない。要は、紀州家はともかくとして、おおむね徳川家の主要部分をお万が独占したことを説明した。
このことから何かがわかるのか?それは今後の課題です。今日は下調べですよ。
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by sibanokuni | 2010-03-31 10:02 | マヨちゃんの古代史
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