読者の質問に答えます
非公開でコメントをいただく場合がありますが、実をいいますと、非公開のコメントは気がつかないことが多いのです。それはログインし、コメント管理を見ないとわからないからで、そのためまったく無視されたように放置される場合があります。今日はたまたまある理由でコメントをさかのぼっていたらいくつかの非公開コメントが放置されているのに気がついたのです。
ひとつはやまさんからの質問です。 別に非公開にする必要はないと思いますので公開します。「 質問があります。マヨのぼやきの中の「古代史」に「はるかなるシルクロード」がありますが、そのなかの「聖徳太子が法華経を一番重要視したのは有名な話であるが、やはり、突厥のにおいを感じてしまう。」とありましたが、聖徳太子と法華経、突厥の三つの関係について教えてください。また、聖徳太子は存在しなかったという説もありますが どうなのか教えていただけたらありがたいです。」 聖徳太子に関していまだに確信はありません。実在するかと言えば、いたと思います。ただし、書紀に書かれているのとおそらく違う立場であり、おそらくは倭の皇太子だったと思われます。書紀では年代や場所をごまかしてあるため、まったく別々の話になっていますが、加治木さんの説のように、天智天皇の頃、倭が新羅の金春秋によって攻められ、日本が建国される段階で大阪から河内へ、そして飛鳥へ逃亡した蘇我氏が倭の大王だったのでしょう。その皇太子が聖徳太子だったのではないかと考えます。加治木氏の受け売りをするなら蘇我馬子が聖徳太子だった可能性は高いと思います。つまり、倭の史書を日本の歴史に組み入れる時、何人かは名前を変えるしかなくなったのでしょう。だから、日本書紀はまっすぐに読むのではなく、いくつかに切り分け、並べ直す作業が必要になります。未だにできてませんが。 突厥ですが、匈奴やフン族と同じような遊牧部族で、ほとんど民族としての区別はつきません。ただ、時代により宗教が異なります。匈奴は法華経の影響が強いと聞いていたので、聖徳太子は匈奴系部族かなと推測しています。具体的な資料は忘れましたが、匈奴があまりにも残酷な殺戮を繰り返すので有名な僧侶(有名ですが、名前が出てこない・・・・)が法華経を教え、人を殺してはいけない事を教えたそうです。それ以来、匈奴は法華経を信仰するようになったと聞きました。根拠はただそれだけです。 私は天武を淵蓋蘇文と考えています。そして、淵は高句麗を乗っ取り、唐と戦いそして唐を破ります。つまり、淵は突厥族と連携、もしくは突厥そのものだったのではないかと考えています。 おそらく突厥は仏教徒(法相宗)で、平城京は突厥が支配していた気がします。しかし当時の天皇は北魏系で唐の母体、鮮卑族であります。すなわち、北魏の後継国である渤海の使者は聖武天皇に対し、親子の関係であると書き送っています。平城京が出来るころに唐本国は再び突厥が追放され、元の鮮卑系に戻ります。 これが遣唐使が送られる要因になったのではないか。 つまり、平城京時代、何度も遷都されたのは突厥と鮮卑の勢力争いがあったと思うのです。残念ながら研究が進みませんが、今注目されている平城京遷都1300年祭で忘れてはならないのは、遣唐使よりも渤海使の方がはるかに盛んであり、影響が強かった事を忘れてはならないのです。 さて、やまさんへのコメントの返事は不十分とはおもいますが、これぐらいにしておきます。また質問してください。 さて、昨日いただいた非公開コメントは「宮子」さんからです。「シバちゃん」の一月末から二月初旬に大いに盛り上がった宮古島の話を教えてくれた方です。天照さんは宮古島(大神島)から沖縄本島へ出かけ、その後に鹿児島へ到着した。そしてそれが日本の神話になった。昨日はその証拠?(状況証拠?)となる話をいただきました。 「年に一度、日本中の霊能者が一同にそろい、お堀の中へ挨拶に行く行事があるそうです。 その時霊能者達は偉い人に対し一人の霊能者が真帳面に立つそうです。 その霊能者の後ろへ一歩下がり気味にピラミッド状のような形でずらっ~と並ぶそうですが、偉い人の真正面に立つ人は常に決まっているそうです。 宮古島の代々続く家の神人です。宮古島の人もあまり知りませんが神人達には有名でこの神人の家とお付き合いのある人はほとんど居ません。 昔、年寄りに彼らは血脈が違うと聞いた事があります。」 私は1月の末ごろ天照さまは宮古島出身であると確信した。そして現皇室はおそらくその政権を簒奪したのでしょう。禅譲だったかもしれないが、それはどちらでもいいことである。ともかく現在でも堀の中でこのような儀式を行い、霊を慰めているのだそうだ。 昨日、「本音」のほうに来ていた質問ですが、「なぜ沖縄は差別されてきたのか?」の問題です。 いくつかの原因が考えられます。ひとつは現堀の中の祖先が宮古島の神さまを簒奪したため、堀の中の人が未だに「ひけめ」を感じているのではないかということ。 もうひとつは、逆に堀の中の人たちは宮古島の神さまの子孫で、神さまが沖縄へずいぶんいじめられ、泣く泣く鹿児島へ逃げてきて、「一生、いや末代までいじめてやる!」と誓ったのか?この説を取ると、現堀の中の人は神人の子孫になりますね。 最後、加治木さんも指摘していますが、沖縄は高句麗王族の逃亡先だった可能性があること。日本の歴史の中で、高句麗民族は抹殺されています。日本書紀には高麗と書かれますが、高麗の成立は時代があいません。つまり、日本国成立以来、高句麗は常に恨まれてきた国なのです。その高句麗国の王族が沖縄にいたとすれば抹殺したくなるのも無理はないと・・・。 もうひとつ、本当の高麗国がモンゴルと戦い、最後にチェジュ島で決戦を行い、高麗は全滅します。しかし、このとき沖縄に逃れたと言う説があります。 早い話、沖縄がなぜ第二次大戦の決戦場になったのかは堀の中の人に聞くしかないのですが、戦後も「米軍の駐留は長いほど良い」と昭和天皇が述べたのには深い訳があると思うのです。それほど堀の中の人は沖縄を恐れているという事です。 さて、昨日過去のコメントを調べていたのはumeさんからのコメントのためで、ハンドルネームの複数使用を調べていました。「アリ子」さん、コメントを入れていただくのはありがたいのですが、HNはぜひ統一してください。「HNいろいろ」さんも、統一してくださいね。 コメントを受け取る側として、初めての名前は緊張するものです。 やはり宮古島へ行かねばなりませんね。(つづく)
by sibanokuni
| 2010-05-27 06:16
| シバちゃんのため息
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