シバちゃんのため息

善徳女王は皇極?

日本は大丈夫・・・、という事で、毎日楽しく「善徳女王」を楽しんでいます。もちろんドラマだから歴史と考えてはいけない。それでも三国史記を中心に、ある程度の史実に基づいて作られているから、まったくのフィクションばかりとはいえない。
毎回謎解きのような場面があり、視聴者は飽きることがない。うまいんだなー、韓国の脚本は。
さて、ドラマはドラマとして、この善徳女王というのは新羅ではじめての女帝である。
WIKIによると、「643年9月には唐に使者を送って高句麗・百済を討つ救援軍を求めたが、唐からは援軍を派遣するには女王を廃して唐の王室から新王を立てることを迫られた。こうした唐の姿勢に対して新羅国内では親唐派と反唐派の対立を生じ、女王自らが任命した上大等の毗曇らが647年正月に女王の廃位を求めて内乱を起こした。上大等に代表される中央貴族に対抗して金庾信ら地方勢力の有力者が女王を支援して乱の収拾に当たったが、同月8日に女王は陣中に没し、善徳と諡され、狼山(慶州市)に葬られた。」とある。

以前からこの事件は、つまり善徳女王を皇極に、毗曇(ひどん)を蘇我入鹿、金春秋を天智、金ユシンを鎌足にすれば両者の違いは年号が二年、場所が異なることをのぞけばまったく同じ事を述べている。つまり、絶対に日本書紀の大化の改新とこの毗曇の乱は偶然の相似じゃなく、同じ話をどちらも使ったのである。早い話、新羅と日本が共通の事件を共有したのである。日本書紀のほうが成立が早いので早い者勝ちといえない事もないが、承知で三国遺事などに記載したのは新羅として消すことの出来ない歴史的事実だったからだろう。

先日は日本はどこにあったのかという話題を書いたが、どこかで起きたこの事件が二国の歴史に載る以上、どこかでひとつの国が二つに分かれたことを意味する。それ以外に解釈する余地はない。
日本ではこの皇極がもう一度即位し、斉明として再び即位するが、新羅史では善徳は死に金ユシン等が真徳女王を立てたとしている。
日本史では皇極の次に孝徳が即位し、大化の改新を実施したとされるが、そのような事実は確認できていない。つまり、加治木説を取るなら、孝徳は天智に追われた倭国=蘇我氏が飛鳥へ逃げ込み、そこで亡命政権を打ちたて即位したとなる。その後、そこも追われ残った倭国の女王様、斉明が立てられたが九州で処刑され、倭国が終わるという事になる。
加治木説は実に明快で説明がわかりやすい。ただし、本当?という気がして未だに納得は出来ていない。
ただ、そのような混乱があったことは間違いなく、いつまで立っても私が迷うところである。

そんなことを考えながら「善徳女王」を見ていたら、昨日、善徳女王になる公主「トンマン」が国仙に対し、「どうして女帝はだめなのですか?」と聞き、国仙は答えとして、「男なら皇位継承で争いは少ない。しかし女帝は婿を迎えることで争いが起きる・・・」と答えた。うーん、そうじゃないでしょう、「男と決まっている」といえばよかったのでしょう。しかし、どうも善徳さんも真徳さんも生涯独身だったみたい。婿さんを取って、生まれた男を王にするという例はないんだよね・・・・。建て前としては。

それにしても日本成立の大きな謎がこの時代にあることはわかっているが、もうひとつはっきりしないな。
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by sibanokuni | 2010-06-16 09:37 | マヨちゃんの古代史
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