シバちゃんのため息

2009年 10月 13日 ( 1 )

本当の事は?

ちょっと前の話だが、河村たかしが、「南京虐殺の30万人という数字はちょっとおかしいのではないか?」と発言した事で、名古屋と南京の友好都市の関係にひびが入る懸念が広がっていると新聞などに報道された。

この南京虐殺に付いては色々な書物を読み、両方の立場に立ち検討してみたことがある。特にGoldwarriorsの翻訳の時、シーグレイプ氏は完全に「あった派」で、やや納得がいかなくて、いろいろと読み漁ったのである。
けれど、結論から言って「まぼろし派」にも「30万人殺した派」にも加担できなかった。つまり、何らかの虐殺はあったに違いないが、戦争状態において、どこまでが不法で、どこまでが許容範囲なのかはあまりにも微妙で、誰にも判定はできないのではないかということである。しかし、たとえ一人でも不法な殺人があったとしたなら「あった」であり、ゼロだったなら「なかった」のである。したがって、「なかった」などはありえないのである。しかし、私は河村たかしの言う「30万は少々オーバーじゃないの?」という疑問は日本人の大半の気持を代弁していると思う。

ナチスがアウシュビッツで殺したといわれるユダヤ人600万人という数字もとてもじゃないが納得できるわけがない。しかし、ドイツではニュルンベルグ裁判の判決に対し異議を申し立てる事を法律で禁止している。これもまたひどい話である。「ガス室はなかった」論も読み、ホロコースト自体が非常に疑わしいという認識はあるが、これは日本人がとやかく言うより、やはりドイツ自身で解決するべき問題なのである。
しかし、どんなに疑わしいとはいえ、この虐殺の数字は記録として残され、未来永劫、日本人やドイツ人の歴史に残されるはずである。いまならまだ証言をする人間もいるし、ある程度の記録は残されているのである。今、それをタブー視し、検証を妨げるのは真実を明らかにしたくない人たちがいると疑われても仕方がないのではないか。っていうか、確信を持ってそうだといえる。

日本人はいつもこの「30万人」に苦しめられてきた、しかしそれがたとえ1万人でも大変な人数なのである。戦争をしたものの責任として、例えば交通事故ひとつとってもあらゆる状況を記録しその責任を問うではないか、戦争であれば士官クラスは必ず報告書や日記をつけていたはずで、つまり、今ごろ「あった」「なかった」というのはおかしい、国家として絶対に記録を残しているはずである。
我々がいつまでも中国から間違った数字で非難されるのは苦痛以外の何物でもない。これは我々の世代の前の人たちが決着をつけておくべき問題で、問題を放置したまま墓場に行ってもらっては困るではないか。

河村さんの指摘は当然で、彼は批判される事は何もないし、この発言で南京市との友好都市契約が破棄されるならそれは仕方がないことであろう。そんな友好は意味がない。お互いが真実を見つめてこそ友好ではないか。さる権威ある人が「30万人が殺された」といった事が事実として残るのは、「温暖化は二酸化炭素に原因がある」とか、「肺ガンの原因はタバコにある」と同様、何ら根拠のないことではないだろうか。

マスコミはこの虐殺事件に対し「あったこと」と決め付け、それ以上話題が広がらないように躍起となるが、マスコミは真実を追究するといつも勇ましいではないか、なぜ本気になって調べないのだ。私にはまったく納得がいかない。ましてや感情論でやりあう必要などないのである。
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by sibanokuni | 2009-10-13 06:05 | マヨちゃんの陰謀論



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