シバちゃんのため息

2010年 02月 24日 ( 1 )

本国の仇を日本で?

世界情勢に詳しい人なら、現在、トルコの動きが非常に活発なことを御存知であろう。なぜ今トルコなのか・・・・・?

さて、先日から悩みぬいている加治木説だが、私はツラン同盟派で、日本の皇室とトルコ民族とのつながりに非常に興味を持っている。しかし、加治木氏は卑弥呼等はギリシャ出身の烏孫族という。
久しぶりに「邪馬台国エジプト説」などを眺めていて、はやいはなし、太古の昔から、このギリシャとトルコはライバル同士で、ひょっとしてその対立をそのまま日本列島に持ち込んだの?という気もしないではない。あまりにもギリシャからエジプトへの行程が出来すぎなのである。これは偶然ではないと考えるが、いかに?あまりにも面白いので地図だけ貼らせていただきます。(すいませんね)
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さて、サムライさんから明治天皇の崩御した年にトルコでなにがあったのか調べることという連絡があった。
調べてみると、・・・・・バルカン戦争が始まったのである。
① 1912年~1913(大正2)年 バルカン同盟諸国(ブルガリア、セルビア、ギリシア、モンテネグロ)が、イタリア・トルコ戦争に敗れて窮状にあったオスマン・トルコ帝国に対し、仕掛けた戦争。 トルコの敗戦で終わる。 ロンドン条約の結果コンスタンティノープル周辺を除くヨーロッパ域領土の大部と、クレタ島を失う
② 1913(大正2)年
トルコの割譲したマケドニアの分割争いから、バルカン同盟中のブルガリアと他の三国(セルビア、ギリシア、モンテネグロ)との間に起った戦争。 トルコ、ギリシア、モンテネグロ、ルーマニアもブルガリア側で参戦するが、ブルガリアの敗戦で終わり、ブカレスト条約を締結 、この結果、バルカン同盟は崩壊。 この戦争でやぶれたオスマン帝国、ブルガリアはドイツへの依存を強め、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」となった。

また、大正天皇崩御の年(大正15(1926)年12月25日)の場合、ヨーロッパにヒットラー、ムッソリニといった新しい芽が芽生えている。アメリカも当時デビューした。ヨーロッパ王室連合は、王室の財産を中立国スイスの銀行に統括。そして、金を裏付けとする固定相場制へ移行する。・・・・とある。

このことがなにを意味するのか?それは私にはわからない。ただ、日本の天皇が崩御した事と、これら遠くはなれた中東やヨーロッパとどのような関連があるのか・・・。

さらに昭和天皇崩御の年は何があったか?wikiで見てみると・・・天安門事件が起こっているのだ、さらにベルリンの壁がなくなった。 チェコスロバキアでビロード革命、共産党政権が崩壊。
12月3日 - ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連最高会議幹部会議長兼ソ連共産党書記長がマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言。(マルタ会談)

うーん、天皇が崩御すると世界が動き出す?つまり、日本の天皇家はツラン地域の権益を(いやな言い方だな、その地域の平和を)守る立場にあるという意味だろうか。
天皇家の内部に問題がおきると英国地政学が働き出すのである。
現在世界が大きくうねりだしたのは天皇の健康問題と無関係ではないと言う事だろうか?
私には答えは見つからない。賢明な読者の皆さん、考えてください。

ただ、このトルコとギリシャから海と陸に分かれて世界の東の果て、ジャパンにたどり着き、そこで本国の延長戦をしているとしたら、まあ、しつこい連中だな。いいかげんにしなさい。
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by sibanokuni | 2010-02-24 09:09 | マヨちゃんの陰謀論



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