シバちゃんのため息

2010年 02月 25日 ( 1 )

加治木さんへの中間報告

ツランを研究したいとは思うが、なにせどこから手を付けてよいやら・・・という状態であります。先日東京の中村さんからいただいたCDの地図のなかにすばらしい物が載っている。しかし、これがまた全部ロシア語で、テキストなら翻訳可能だが、画像では取り込むことは難しい。では、キーで打てば・・・といってもそのキーがない。
安いロシア語の電子辞書でも買おうかな・・・・。あと、ロシア語の翻訳ですが、いきなりロシア語から日本語へ翻訳するよりも、一旦英語に変換し、それから日本語へ翻訳するほうが修正し易いかもしれない。なんといっても英語なら比較的わかるからね。
とりあえず、目先の難題を片付けないと・・・つまり加治木さんだ。

毎日毎日、ずーっと加治木氏の本を読み続けている。中身が濃いこともあるけど、はいそうですかと言うわけにはいかないところもあるから、何とか彼の弱点を見つけてやろうと思っているのである。しかも5冊まとめて読んでいるから頭の中は大変なのだ。

一番気にかかるのは韓半島の地図がいまいち描けていない事である。帯方郡の場所は他の歴史家と同じく一般的な地域、即ち現在の北朝鮮付近と考えているようである。すなわち遼東にいた公孫氏を滅ぼす時、まさしく公孫氏は帯方郡を占拠していたはずであり、一般的な地図によればそれは遼東ではなくなってしまうのである。私の理解では公孫氏は満州にいたのであり、韓半島には居なかったのだが。
それから卑弥呼が朝貢したのは魏志によれば公孫氏が滅びる直前の238年である。ところが彼の作成した年表には239年、公孫氏が滅びた後に帯方郡へ使者を送ったとしている。事実はこれで間違いないとは思う。しかし、魏志には238年と書いてある以上、なぜそのような書き間違いをしたのかを考える必要がある。彼は中国の史書に誤りはないと断言している。だからこそ邪馬台国なのか邪馬壱国化を明確に区別するし、倭国と俀国はまったく別のものと主張している。
私は景初2年と書いた事を魏志の意図的な間違いと考えている。だからこそ隋書はそれとなく間違いを指摘するため、わざと俀国と書き、さらに「公孫氏を滅ぼすや卑弥呼が朝貢した」と訂正したのではないか。中国の史書が絶対に正しいとは限らないのである。彼の「黄金の女王卑弥呼」を読めば書いてあるかもしれないが、もうこれ以上加治木さんの本ばかり読む気にもならない。

彼の大化の改新と白村江の戦いに関する考察はなかなか見事で絶賛に値する。正直、目からうろこと言ってもいいだろう。しかし、高句麗と唐が戦い、唐は大敗するのだから、実際、唐の援軍がわざわざ瀬戸内海まで進軍し、九州から北上した新羅軍と力を合わせ倭国を滅亡させたと言うのはどうしても納得ゆかない。韓半島のほとんどは空っぽだとでも言うのだろうか。彼は百済の本体は大阪にあり、半島の百済はほんの出先機関だったという。しかし旧唐書のどこにも日本まで遠征したとは書いていない。また、百済は小国で半島の先端にあったという、だとしたら高句麗を攻撃するのに百済を亡ぼす理由は何もなくなる。

彼は九州の鹿児島には高句麗や百済の地名がたくさんあり、高句麗や百済、そして新羅が九州にあり、半島へ攻め込んだと言う動かぬ証拠だとする。しかし、逆もあるのではないか?高句麗の水軍が種子島に集結し、そこから九州へ進出したと言うのもあるのではないか。

日本の天皇と高句麗、百済、新羅の王でどう考えても同一人物がたくさんいるという。これは私も以前から指摘しているが、彼は倭国がそれらを支配していたからだと主張する。しかし、これもまた逆もあるのではないか。

シャカ族はすべて南方から来た仏経伝道集団とするが、同じ様にシルクロードを通り攻め込んできたスキタイ族のやはりサカ族、すなわちシャカ族なのだから、すべてインドから来たわけではないのではないか。

彼は垂仁天皇は高句麗の位宮であると述べている。これが神武だという。これは卓見で、すばらしい。しかし垂仁の次の次が応神天皇になると言う。それはすなわち高句麗族のはずだ。しかし彼は百済だと言う、これは理解できない。

倭の五王と日本の天皇との対応は実に見事で文句のつけようがない。ただし、彼らの君臨した地域、そして属性に関しやや意見が異なる。といっても、彼の意見を否定する材料がなかなか見つからないのも事実なのである。彼は満州地域からの流入をまったく否定しているが、日本海側の各地域に満州地域から渡来しているのは歴史的事実であるから、これを否定して正しい歴史が描けるとは思えない。彼はすべてが南方から来たものとして日本史を完成させようとするが、高句麗、渤海、北魏等が頻繁に日本へ渡来している。

韓半島に日本語の痕跡があることで倭国が韓半島を支配したと決め付けるのはやや無理がある。逆に万葉集には韓国語があふれているのである。ましてや古代、高句麗や契丹の言語は今は失われていて、彼らが原日本語を話していた可能性は捨てきれない。それが日本人が高句麗を支配していたと見るか、高句麗人が日本を支配したと見るのかは歴史を語るものの主観に過ぎない。つまり、同族に違いないのだから。
新羅、百済の出現が謎に満ちていることは確かで、それが列島から出発したのかもしれない。しかし、当時、倭国は列島西部から半島に渡る広い地域をカバーしていたのであり、どちらが始まりなのかは現在の国境を定めたことに原因があり、古代においてそれは何の意味もないのである。

いろいろ書いてきたが、加治木説との相違点を書き出しているのであり、私が絶対に正しいと書いているのではない。とりあえず、問題点を書き出し、今しばらく研究するつもりなのである。
したがって、これが済むまでトルコやツランについて研究する暇が取れない。早くけりをつけたいけど、私の研究の根源でもあるので簡単には済ませられない。
[PR]
by sibanokuni | 2010-02-25 06:28 | マヨちゃんの古代史



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
以前の記事
フォロー中のブログ
その他、お知らせ。
捏造の日本歴史研究所へどうぞ・・・・http://mayonokuni
.web.fc2.com/
*******
メールでのご連絡は
palio@beach.ocn.ne.jp
へお願いします。
カテゴリ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧