世界で一番はじめて一神教をはじめたのがエジプトのアクエンアテン(アメンホテフ4世)だといわれ、諸説あるが、その次のツタンカーメンの時代に再びエジプトは多神教に戻る。そしてアクエンアテン治世の首都、アマルナは破壊され、一神教は忽然と消えた。と同時に、モーゼのエジプト脱出と言う歴史がここから始まったと考えられる。つまり、アクエンアテンその人がモーゼなのだと言う人もいるぐらいで、ユダヤ教の原点、もちろんそれはキリスト、イスラム共通の出発点がこのアマルナだという言い方も出来るのである。このことは以前お話した。そのアテンの紋章が橘とほぼ同一であると言う話であった。
(アクエンアテンはエジプト新王朝第十八王朝時代に属する。紀元前1570年頃 - 紀元前1293年頃に当たる) ある本によると、アクエンアテンはベンベン石に魅せられていたとある。ベンベン石はおそらくヘリオポリスに受け継がれていた伝統の中でもっとも重要な信仰の対称だったのだろうと書いてある。さて、このベンベン石がどのようなものかはわからない。聖なる石は角錐形で、小型のピラミッドのような、あるいは階段状の形をしており、ヘリオポリスで「ベンベンの館」あるいは、「不死鳥の館」と呼ばれる場所の中庭に台座に載せて置かれていたという。古代エジプトの宇宙論ではベンベン石は「原初の天地創造の地」、即ち天地創造の時又は場所を表す。 また、モーゼが「グノモンの代わりに柱を立てた」と言われている点で、これがアテンの石がモーゼの柱と同じ意味だとするなら、諏訪大社の御柱や、日本の各地に残る巨石がそれだとするのもそれほどおかしな話ではない。というのは、グノモンとは、ヘリオポリスの郊外を見下ろすように立つ背の高い花崗岩のオベリスクのことで、カルナク(ルクソール東岸)やタニスのようなほかの重要な宗教の中心地にも同様なものがあったようである。WIKIからそのオベリスクの写真を借用するが、これはまさしく御柱である。 写真はギリシャのナヴォーナ広場の記念碑 ![]() もちろん、出雲なり諏訪がモーゼと関わりがあると言っているわけではなく、エジプトの最古の信仰の対象が御柱として日本にもあるとしたら興味深いとの話である。 出雲は地域柄、韓半島との関係が深そうに見えるが、もちろん単純に南方からの文化がたどり着いたとも考えれる、それは半島に御柱のようなお祭りでも残っていればはっきりするが、あいにく私にはそのような話は聞こえてこない。実はあるのかもしれないが、ご存知の方がいれば教えて欲しいものである。 日本は大丈夫・・・、という事で、毎日楽しく「善徳女王」を楽しんでいます。もちろんドラマだから歴史と考えてはいけない。それでも三国史記を中心に、ある程度の史実に基づいて作られているから、まったくのフィクションばかりとはいえない。
毎回謎解きのような場面があり、視聴者は飽きることがない。うまいんだなー、韓国の脚本は。 さて、ドラマはドラマとして、この善徳女王というのは新羅ではじめての女帝である。 WIKIによると、「643年9月には唐に使者を送って高句麗・百済を討つ救援軍を求めたが、唐からは援軍を派遣するには女王を廃して唐の王室から新王を立てることを迫られた。こうした唐の姿勢に対して新羅国内では親唐派と反唐派の対立を生じ、女王自らが任命した上大等の毗曇らが647年正月に女王の廃位を求めて内乱を起こした。上大等に代表される中央貴族に対抗して金庾信ら地方勢力の有力者が女王を支援して乱の収拾に当たったが、同月8日に女王は陣中に没し、善徳と諡され、狼山(慶州市)に葬られた。」とある。 以前からこの事件は、つまり善徳女王を皇極に、毗曇(ひどん)を蘇我入鹿、金春秋を天智、金ユシンを鎌足にすれば両者の違いは年号が二年、場所が異なることをのぞけばまったく同じ事を述べている。つまり、絶対に日本書紀の大化の改新とこの毗曇の乱は偶然の相似じゃなく、同じ話をどちらも使ったのである。早い話、新羅と日本が共通の事件を共有したのである。日本書紀のほうが成立が早いので早い者勝ちといえない事もないが、承知で三国遺事などに記載したのは新羅として消すことの出来ない歴史的事実だったからだろう。 先日は日本はどこにあったのかという話題を書いたが、どこかで起きたこの事件が二国の歴史に載る以上、どこかでひとつの国が二つに分かれたことを意味する。それ以外に解釈する余地はない。 日本ではこの皇極がもう一度即位し、斉明として再び即位するが、新羅史では善徳は死に金ユシン等が真徳女王を立てたとしている。 日本史では皇極の次に孝徳が即位し、大化の改新を実施したとされるが、そのような事実は確認できていない。つまり、加治木説を取るなら、孝徳は天智に追われた倭国=蘇我氏が飛鳥へ逃げ込み、そこで亡命政権を打ちたて即位したとなる。その後、そこも追われ残った倭国の女王様、斉明が立てられたが九州で処刑され、倭国が終わるという事になる。 加治木説は実に明快で説明がわかりやすい。ただし、本当?という気がして未だに納得は出来ていない。 ただ、そのような混乱があったことは間違いなく、いつまで立っても私が迷うところである。 そんなことを考えながら「善徳女王」を見ていたら、昨日、善徳女王になる公主「トンマン」が国仙に対し、「どうして女帝はだめなのですか?」と聞き、国仙は答えとして、「男なら皇位継承で争いは少ない。しかし女帝は婿を迎えることで争いが起きる・・・」と答えた。うーん、そうじゃないでしょう、「男と決まっている」といえばよかったのでしょう。しかし、どうも善徳さんも真徳さんも生涯独身だったみたい。婿さんを取って、生まれた男を王にするという例はないんだよね・・・・。建て前としては。 それにしても日本成立の大きな謎がこの時代にあることはわかっているが、もうひとつはっきりしないな。 「女系ではなぜいけないのでしょう。」という質問が来てしまった。どこかの有名な女性議員の「なぜ二位ではいけないのですか?」みたいな素朴な質問で、これに十分答えるのは至難の技なのではないだろうか。
栗原さんから王統は女系、皇統は男系でつなぐと聞いていて、その理屈は私には理解できないものであった。つまり、よくわからないのだ。一番正しい言い方は、「日本は代々男系だった」という事で、女系になれば日本ではなくなるという解釈である。恐らく理屈ではなく、とにかく男系でないとだめなのである。これを私に聞かれても私は答えにつまってしまう。結局、これが日本国の掟なのだ・・・・たぶん。 日本には古代から女帝が存在したと歴史書は語る。しかし私からいわせれば、日本という国が成立したのは早くても持統天皇のころであり、天皇制として国体が確立したのは桓武天皇の時代だと考えている。したがって、桓武以前の女帝は倭国と日本の橋渡しの時期になり、実際は日本の歴史ではないという事になる。 じゃあ、神武天皇はどうなのよ・・・と聞かれそうだが、日本はもと小国であり、倭国の地を併せたのだ。つまり、日本の歴史と日本列島の歴史を同列に考えることは間違いの元なのだ。日本のもとの場所は未だに議論は尽きないだろうが、加治木説によれば鹿児島だし、マヨ説を取るなら九州大宰府、もしくは韓半島南端の伽耶国近辺であろう。 一応日本列島を元倭国?としておこう、私は倭国と日本列島が同じとは考えないが、少なくとも天智天皇が日本列島に侵略し、日本国を建国するとき、どうしても倭国?の女王を妻にする必要があったのだ。そして祭祀専門に倭国女王が、そして支配者たる国王には男王という二重支配体制が出来たのではないか。 古代エジプト史のなかでヒクソスと言う国がエジプトを支配したが、これもエジプトの女王を嫁にすることで成し遂げた。つまり、女王の体は国そのものと考えるのであろう。恐らく天智は倭国の女王を娶ることで列島を乗っ取ったのである。 その後、天武が日本をひっくり返し列島そのものである持統天皇を娶り、再び持統天皇がひっくり返し、さらにその後何度も政権が入れ替わり、最後に平安京で落ち着いたのである。あいにくこの歴史はまだ十分に解明できていない。そしてこれまた私の想像だが、その後、女系の天皇は伊勢にある斎宮で祭祀に専念したのである。 これを砕いて説明するなら、歴史には書かれていないが、日本は万世一系の皇統を保持してきたという事になる。日本が列島を簒奪したことを隠すため日本書紀や古事記を改竄したことで、皇統が保てていないというのは実に皮肉だが、仮に書紀が正しいというなら女系はあったわけで、いま女系を否定する必然性は説得力がないといえる。早い話、男系を維持してきたと言い張ると、逆に日本書紀のうそを明らかにしなくてはならなくなる。それはいやだから、「太古の昔からそう決まっておるのじゃ」と言わなければならなくなる。 で、コメント欄の質問に戻ります。なぜ女系ではだめなのですか?はい、お答えします。「昔から日本の天皇は男系と決まっており、他に選択の余地がないのです。」でございますが、いかがでございましょう。 木村愛二さんの「アフリカ史・・・」を読みながら、人類はどこから来たのだろう・・・と考えるのである。私たちはもっぱら宗教家から、人類は「神さまがお作りになった」と聞かされ、さらにダーウインの「進化論」では猿から進化したと教えられた。たぶんほとんどの人はそのどちらかを信じているか、もしくはどちらでも構わないと思っているのか・・・・、あまり人と話をしたことがないのでわからないが、はっきりしているのは、「どっちも違うのじゃないか」と内心は思っているのではないかということである。
私の考えでは人類はアメーバーのような細胞、つまり人間の元は腸のような胃袋から始まり、それに手とか足とかが付き、最後にコンピューターのような頭がくっつき、厳しい自然の中で順応するうちに現在の人類のかたちだけが生存したと言う考えである。、間違っているかもしれないし、異論はたくさんあるだろう。どうせ本当の事はわからないのだから、人がなんと言おうとも私はこれで納得している。 もちろんこの進化は何億年に渡って行なわれた自然の営みである。私たちの知る人間の歴史としての5千年程度の話ではない。つまり、それらの中間物質の証拠などは跡形もなく消滅するに十分な期間が経過しているのだ。その長い間に生存に適していない人類や植物、動物はすべて消滅したのである。他に説明があるだろうか、同じ人類がいろいろな地方へ移住し、寒さに強い白人種が残り、暑さに強い黒人種が残り中間の農耕地には黄色人種が適合したのだ。元は同じような人類だっただろう。 神さまが人間をお作りになったと考えるのも、宇宙人が持ち込んだと考えるのも勝手だし、それなりに説得力がある。が、それらはあらかじめ人間を支配する何かが存在することを認めさせようと言う意図があることも忘れてはいけない。あくまで宗教というのは人間が作り出したもので、自らを合理的に説明しようとしたものである。科学が進めば違う合理性がでてきてもやむを得まい。 西欧文化に汚染された我々日本人は、白人と黒人はまったく別の起源を持ち、文化の始まりはオリエントであり、そこからあらゆる文化が世界中に広められたように聞かされている。エジプトに最古の文明があったというのは皆が認めるが、同時にシュメールが最古の文明のように言われている。しかし、人類の歴史からすればシュメールだろうが、ほんのちょっと昔の話に過ぎないのだ。 しかしヨーロッパ人の主張がどうも間違いであるような気がしてきた。アフリカには旧石器時代からのすべての遺品が見つかり、オリエントよりはるかに古代から進んだ文明が存在したというのだ。しかし、何万年ものサイクルで乾期と雨期が繰り返し、そのたびに絶滅や移動を繰り返し、そのなかで船を操ることの出来る部族や最古の鉄器文化を持つ部族だけが移住に成功し、世界の果てまで到達したというのが実体ではないかというのだ。 コロンブスやバスコダガマが世界に船旅をしたのはほんの昨日のような話で、実はシバちゃんの女王時代には、タルシシ船が世界を旅していたのである。これがソロモンの時代であり、シバちゃんたちの航路はアフリカ中部からオーストラリア、インド、アメリカ、南米、そして日本へも定期便が来ていた可能性が高いのである。シュメールよりはるかに高度な文明があったとしても不思議ではない。ただ、シバちゃんのいた場所がいまいちはっきりしないだけなのだ。 下の図は木村愛二さんの本にあったものだが、どうもここらあたりが太古の昔の文明の中心ではなかったかという事だ。 ![]() これらのことを説明するには私には知識がなさすぎ、とても皆様を納得させることは出来ない。ただ、従来の人類の歴史はあくまで西欧人に都合の良い解釈がなされており、それに反する意見は無視され、それらを証明する地域は西欧諸国の植民地になり、立ち入ることさえできないようになっている。彼らが争ってアフリカを征服したのも、ひとつは利益のためだが、本音は歴史の抹殺だった可能性は排除できない。 日本の歴史を学ぶうちに、やはり根源的な問題として従来の常識をすべて捨て去り、いっさい白紙から世界を眺めないことには砂上の楼閣を築くことになる気がする。 早い話、エジプト文明はナイル上流、ケニアあたりから移住してきた文明人が築き上げたものだとすると、世界史の考え方は大きく変化せざるを得ない。これらのことは考古学の研究に待つべきだと思っていたが、最近では遺伝子工学が進歩し、過去の常識がことごとく覆されている。彼ら遺伝子学者に良心と言うものがあれば考古学よりはるかに精度の高い世界の歴史がわかってくるだろう。 相変らず結論の出ない話だが、歴史を学ぶことは今までの常識を捨てることで、常識にこだわる人たちからは反発を食らうことは覚悟しなければならない。・・・・であります。
古代エジプトでは上下に王国を築く、二重王朝制をとっていたといわれる。その件が気になり、色々と調べ物をしてた。なぜなら明治以降、日本の都は二元制を敷いていたのじゃないかという仮説を私が提唱してきたからである。国内は東京、そして外交は京都であると・・・・。
久しぶりに木村愛二氏の『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(ネットで無料公開している)を昨日読んでいて思わず目に留まったのだが、エジプト文明の源流ともいえるナイル川の、そのはるか上流に位置する大ジンバブエを首都にしていたロズウイ王国について・・・・・・・、 「王は、中央集権的に構成された……諸組織の共通の頂点であるが、その権力は双分的な色彩を濃く帯びている。 たとえば『真の都』と称される王都は南北にひとつずつある。王は『北の都』の宮廷に住み、『南の都』の宮廷には第一王女が住む。これら2つの王都は同じ構造をもち、同じ形の国鼓、王室舟艇、かい、槍などをもつ。2つの都の評議会も同じように組織されている」(『アフリカの創世神話』、P.139)」という事で、古代に大変な天災(もっぱら火山活動に由来する大洪水など・・・)を受けた民族は本能的に中心地を二つ持ち、同じ文化が伝わるようにしたのではないかと考えられると書いてある。先日も誰かのコメントの中に、地下に地上とまったく同じ国家があるような都市伝説を読んだこともある。 また、かつて読んだ栗本慎一郎氏の「シリウスの都 飛鳥」にもスキタイが二元制をとっていたように書いてあった気がする。 私は以前から東京の都と京都の都の二元支配の可能性を提示している。これは明治天皇の行幸に先立ち、京都公家衆が編み出したウルトラCだったのである。明治天皇の偽物説が流布され、睦仁親王が岩倉具視に暗殺されたと言う話もネット上ではまことしやかに広まっている。いわゆる大室寅之助説である。しかし、私もいろいろ考えた結果、少なくとも公家衆が玉体を殺めることなどどう転んでもありえないという結論に達した。つまり、影武者しか考えられないのである。もともと京都御所の中で行われていたことなど国民は見たこともないし、知る必要もないのだから。 真実は一般に知られているところからもっとも離れたところにある。つまり、生きていたものは死んでいるし、殺されたものは生きている。韓流ドラマの見すぎ?いえいえ、皇室を甘く見てはいけない。 皇室はアヘン戦争で清朝が崩壊して行くさまを眺めながら、欧州の覇道主義がいかに恐ろしいものかを十分に認識していた。鎖国のおかげで日本は世界のことをまったく知らなかったとは、あくまで国民にはそう思わせていただけで、皇室は秘密裏に世界中にお庭番を派遣し、国際情勢は十分に把握していたのだ。つまり、明治維新は皇室が企画したのである。それは光格天皇に始まったのである。全部が皇室の思い通りになったのかは私には判断できないが、幕府に任せていてはこの国難は解決できないと皇室が考えたことは間違いのないことなのである。 そして万が一の保険として皇室を二つに分けたのである。 というより、南北朝の並立自体がすでにその準備だったとも考えられるのだ。以前から、南北朝についての見解を求められていて、思ったように答えることが出来なかったが、むしろ皇室はエジプト以来の二重王朝のメリットを知っていたのではないか。 武士階級が育ってくる前に、寺社勢力の勢力争いは皇室としても頭の痛い問題で、一番困るのが皇位継承に対する干渉であった。日本が乱れる原因はすべて皇位継承に絡んだものである。 南北朝にわかれ両朝並立したのが朝廷の陰謀だったとしたらなかなかやるものではないか。両雄並び立たず、寺社同士を競わせ、日本を二つに分断し、どちらが勝利しても片方の朝廷は残るのである。 栗原氏は南北朝などたいした問題ではない。と述べた。つまり、どちらも正当であり、どちらかが残ればよかったのだ。武力を持たない朝廷が考える生き残りの戦略だったのだ。 先日、姫さまから東と西は統合したのではないかとの質問があり、答えがやや迷走した感がある。しかし、やはり、二重王朝の特徴はどちらに転んでも片方が生き残ることであり、残念ながら未だに両建てではないかというのが結論なのである。 古代エジプトの歴史を調べながら、ふと今日はそう思ったのである。詳しくはそのページもごらんいただきたいが、真偽はともかくとし、エジプト人はもともと黒人だったという興味深い話もあるし、なぜ西欧諸国がエジプトの遺跡発掘に熱心なのか、その理由がなんとなくわかってくるのである。 日本史の源流を調べていたら遂にアフリカ中部、モザンビークにまで達してしまったと言うお話です。せっかくサッカーワールドカップが南アフリカで行なわれる。歴史の鉄則として不安定な地域にはさまざまな問題が隠されているというのは真理なのである。 ゆうべチャコさんから怒られました。「私が苦労して作った年表を利用してないじゃん!なによ・・・」、とかんかんでございます。へへへ・・・、忘れてました。いただいた時、少しゆがんでいるので画像処理をしなけりゃと思いつつ、ついついいつものくせで先送りとなっていました。
実はこの種の年表はなかなかないのです。まだ十分に眺めていませんが、一応皆さんと共有するためにブログに公開しておきます。たぶん縮小して表示されますが、クリックすれば大きくなるはずです。 チャコさん、ありがとね。 ![]() 先ほど追加をいただきました。これも大きな表です。クリックすると大きくなりますが、時間がかかるかも・・・ ![]() 久しぶりに「マヨのぼやき」にコメントが入っていた。内容は・・・・「万葉集が朝鮮語で書かれているということは。朝鮮語の表記が漢字を使って可能であると述べていらしゃると理解するのですが、現代の日本語が、万葉仮名使って表現できるように、現代朝鮮語は、漢字を使って表記できるのでしょうか。
過去現代を含めて、朝鮮語を漢字で表記した、万葉集以外に古本書、現代文はあるのですか。 また万葉集から、その時代の朝鮮語の文法を抽出して、万葉集のような文を現代人が、創作できるのではないかと思います。 わたしの理解では、漢字での朝鮮語表記が出来なかったので、ハングル文字を 工夫したと思っているのですが---。」 窪田さん、コメントありがとうございます。久しぶりに万葉集の話を思い出し、コメントの返事の代わりにこちらに記事を書きます。 さて、万葉集を韓国語で読むといっただけで感情的に受け付けない人は多い。彼等は天皇が韓半島からやってきたという考えを完全に否定している人たちである。つまり、そんなことはあってはならないと考えているのです。彼らは韓半島と口に出すだけで怒り出すのだから話にもならない。結論ありきでは学問は進みませんよね。 私は天皇が韓半島からやってきたという考えだけでなく、色々なルートを考えている。つまり、古代の日本には多くの王朝があったので、必ずしも天皇が韓半島からやってきたと限定する必要もないのではないかと思うのだ。(要は万系一世ではないと言っているのだが・・・ ) さて、コメントにもどると、私は万葉集が韓国語で書かれているというのではなく、日本語と韓国語の両方を知るものが、暗号文として、つまり、日本成立の真実を後世に伝えるために高度なテクニックを使って書き残したものだと思っている。もちろん全部ではなく、何人かに限ってであろうが。 つまり、天智から天武にかけて日本が成立したわけだが、その後、持統天皇から桓武に至るまでに何度も政権が変わって行く。、天智朝、天武朝で活躍したいわゆる渡来系の官使達は徐々に中枢から遠ざけられるようになり、自分たちの知る真実をどこかに残す必要が出てきた。それが万葉集の中に隠されたのだ。つまり、古事記、日本書紀のうそを万葉集の暗号を使うことで解読すると言う役目があるのである。 短い和歌の字数の中で五文字も使った先頭の文字を枕詞とされるが、日本語では意味がなくても韓国語なら意味が読めると聞けば、誰でも信じたくなるではないか。といって、私は韓国語で万葉集を読むという本を何冊か読んだものの、自分では検証が不能で、すべてを信じることは断念している。ただ、古代史の謎を解く段階で利用できるものは利用してゆこうというスタンスである。 古代の朝鮮に文字が存在したかは謎である。しかし朝鮮語というしゃべり言葉は間違いなくあった。しかし文字として最初に漢字が導入され、公文書はすべて漢文で表現された。したがって、官僚機構として公文書には漢文を、話し言葉では朝鮮語を使っていたものと想像する。つまり、漢字の音を使って朝鮮語が書かれた可能性はないわけではないが、なにより中華思想が尊重される中で、それらはまったく保存される事はなかったのだろう。 私の想像では、朝鮮人が漢字の音を利用して歌った詩は百済の王朝が日本へ逃れる時に日本へ持ち去ったのではないかと考えている。 朝鮮語はウラル・アルタイ語系で日本と同じ語順だったので、漢字のような表意文字ではそのまましゃべれなかったのである。そして中国の勢力が弱りつつあるころ、ようやく国威発揚のために自国の文字を使用することにしたのである。つまり、言葉はあったのであり、記号としての文字を当てはめただけなのである。 私はあいにくハングルはまったく読めないので、カタカナ、ひらがなとの比較は出来ないが、日本語の持つカタカナは外来語に、ひらがなは和語、そして表意文字として漢字も利用するというアイディアはまことにすばらしいものだと感じている。逆にそれがむずかしいのだが・・・・。 先ほど私は万葉集を韓国語で読むという考え方を断念したと述べたが、逆に、古代史でわかったことと韓国語で読んだ結論とすり合わせることで、その仮説が正しいかどうかを確かめるしかないと思っている。 加治木さんの言語学も同じだが、それらの学問は参考に出来ても前提には出来ないのである。 「ツタンカーメンと出エジプトの秘密」をここ何週間も読み直しているが、どうしても理解できないのが豚のこと。ユダヤ教もイスラム教も豚を食べないことは有名なのだが、豚を神聖なものとして食べないのか、不浄なものとして食べないのか、これがよくわからないのである。
いくつかの連立方程式からそのあたりを導き出したいのだが、頭が悪いせいか、さっぱりわからない。っていうか、矛盾に満ちた記述が多いのか、とにかく何度読んでもよくわからないのだ。 いくつかの記述を拾い出してみよう。 BC1550年から1200年ごろの後期青銅器時代、パレスチナ高原の遺跡には主食の一部としての豚の骨がある。それに反して、BC1200からBC585年の鉄器時代の遺跡からは豚の骨は発見されていない。しかも、その周辺でイスラエルと敵対関係にあった地域から大量の豚の骨が見つかっている。つまり、イスラエル人が豚を食べなくなったのは単に敵対する地域の部族と区別するだけだったと言う。そしてそれらが宗教上の問題となるのははるかに後の後付であり、豚を食べない人たちがユダヤ教を作ったと考えられるという事のようである。 「レビ記」には「いのししはひづめが分かれ、完全に割れているが、まったく反すうしないから、汚れたものである。これらの動物は食べてはならない。死骸に触れてはならない。これらは汚れたものである。」と書いてある。まず、この反すうがわからない。WIKIには「反芻(はんすう、rumination)は、ある種の哺乳類が行う食物の摂取方法。まず食物(通常は植物)を口で咀嚼し、反芻胃に送って部分的に消化した後、再び口に戻して咀嚼する、という過程を繰り返すことで食物を消化する。」とある。これで納得できる人はいいけど、これではわからない。さらに、「反芻を行う動物を反芻動物(Ruminant)といい、ウシ・ヤギ・ヒツジ・キリン・バイソン・シカ・ヌー・アンテロープ(以上は反芻亜目)・ラクダ・ラマ(ラクダ亜目)が含まれる。これらはいずれも偶蹄目である。」とあるから、少なくともユダヤ人にとっては食べていい動物は反すう動物なのだろう。さらに、ひづめがわかれと書いてある。このひづめの中で二つに分かれるものをウシ目といい、そうでないものをウマ目と言うそうである。WIKIでは「ウシ目(うしもく)または偶蹄目(ぐうていもく) Artiodactyla は、かつて使われていた脊椎動物門 哺乳綱の一目。偶蹄類(ぐうているい)ともいう。現在は正式な分類群としてはほとんど使われず、クジラ目と合わせてクジラ偶蹄目に分類される。」・・・とあるから、現在のクジラはこのウシ目の属するから食べてはいけないという事なのかもしれない。うん、これは勉強になる。 なぜ、ひづめが偶数の動物は食べてはいけないのか?それは神さまがそうお決めになったのであろう。アーメン! さて、ユダヤ人が中央高地に移住した時代に始まる豚の禁忌は彼らが目にした異教徒の習慣の一部である儀式のよって強められた可能性が高いとある。これは、エジプト人が満月の夜、豚をいけにえにし、月の女神セレーネーに捧げるという儀式のことのようだ。。エジプト人は豚を汚れた貪欲な動物として嫌っているにも関わらず、神聖な動物としていたという。なんだか矛盾するようだけど、逆に神さまへいけにえに捧げる動物は食べてはいけないという事だろうか。人間の足はひづめではないが、五本の指がある。つまり奇数だから、食べてもいいのかな? また、雌豚の乳を口にすると、思い皮膚病になって全身がうろこ状の発疹に被われると言い伝えられている。モーゼが率いる事になった人々の中にこの皮膚病患者(いわゆるらい病患者)がたくさんいたといわれているが、ある意味、逆にこの忌むべき豚を飼育していたのがイスラエル人だったとも考えるとどうだろう。エジプト人は豚を嫌い、飼育している人も同様に差別したとある。イスラエル人は自分達は絶対に豚を食べないようにし、豚の毒をばら撒き、エジプト人を大量に殺害し、逃げたのかもしれない。これらはもちろん憶測に過ぎないのだが、ユダヤ教を理解するにはどうしてもこの豚が肝心なのである。 日本で豚の飼育を調べると、真っ先に出るのが薩摩のクロ豚である。 はてな?一番ユダヤに関わりそうな薩摩が豚を飼育するとは?どう考えればいいのでしょうかね。 さてさて、長くなったのでこの辺りで今日のところは終わりましょう。 ・・・・・・まだ研究中です。
ノブンさんから質問が来ています。返事が長くなりそうなので記事として書きます。
「初めましてノブンといいます。皆さんにとってはわかりきったことかもしれませんが質問します。 マヨさんは天皇のお種度は高いと言われております。 ブログを読ませてもらうと、過去、古代はそうだったかもしれませんが、 今の天皇は明治時代にすりかえられたとか、昭和天皇は大正天皇の子ではないとか 本にも書かれています。 こうしてみると過去のお種がいくら高かったとしても今は全然関係ない人達なのでは ないでしょうか。」 天皇のお種度が高いというのは、言うまでもなくマヨの憶測であります、かつ重要な前提です。なぜガーター勲章を授与されたのかの疑問から、ひょっとして「お種度がたかいのではないか」との仮説を立て、それを前提に歴史を解明しようと考えたのです。従って、絶対に正しいなどとは申していません。しかし、天皇家のお種度が高いと仮定して歴史を考えると、従来では説明できないような事柄が理解できるようになるのです。 いくつかの仮説を立てています。ひとつはアルタイのお種、そしてスキタイの種、そしてフン族、匈奴、突厥、もうひとつ、一番可能性のあるチンギスカンなどであります。そして現在はエジプト起源も探っています。 それらは今後も解明に努めますが、いまのところ絶対と言えるほどのものはわかっていません。 ただし、ガーター勲章をもらうという事はそんなに簡単なことではないと考えています。 明治天皇のすり替えですが、私はもちろんすり替えだと思っています。ただし、睦仁親王は殺されたのではなく、替え玉が江戸へ行き、天皇に成りすましたと考えます。京都に本物は残ったのです。日本に天皇を殺せる人はいないでしょう。京都の公卿達も江戸へ行く気などさらさらなく、単に新政府に頼まれたから、そして政権があまりにも不安定だったから名前を貸したのでしょう。当然、大正天皇・昭和天皇が誰の子供なのか?は知るよしもありませんが、心配しなくてもきっちりとお種は保たれていると考えるのが普通でしょう。 もちろんこれらの話はすべて憶測であり、信じていただく必要はまったくありませんが、逆に本当の事を国民に知らせる必要はないと皇室が考えていると言うのも間違いのないことです。 私がなぜこのようなことを言うかというと、天皇がもし本当に「どこの馬の骨かわからない」人であれば、どんな人でも自分が天皇になれると思うでしょう。ところが日本はそうならなかったのです。つまり誰も真似のできない「お種」を持っていると考えるのが順当なのではないでしょうか。 さらに、天皇に会いたがる世界の要人は多いのです。単に外交だからではなく、本気で天皇に謁見したがるのです。「単なる馬の骨」だったとしたら、そんなことはありえないでしょう。 あなたの疑問は当然ですが、世の中には「小説より奇なり」という事はたくさんあるんじゃないですか。天皇の権威を不当に低く見せているのは天皇の指令でしょう。なるべく頭を低くし、無能に見せながら、実は世界を支配しているなんて、まるで映画のようではありませんか。・・・・映画の見すぎですかね。
久しぶりにお種理論を書きましょう。マヨ理論の中でも一番怪しげな「天皇のお種は世界一」でありますが、我ながら勢いとはいえ、とんでもない事を言ったものだと反省しています。仮にそれが真実と仮定するなら英国王室をはじめ、世界の王室の構造も明らかにしないことだめだしね・・・・。
もちろん英国王室がもともと英国種ではない事は有名で、いずれにしてもベネチアの黒い貴族から始まり、フン族からのお種をいただき、それを大事に保存してきたと考えている。そしてその同じフン族の血はかなり太古に日本にも到達しており、それこそが天皇がアジアに君臨する正当性を保証するものなのだ。これがマヨのお種理論の根底に流れる思想であります。 まあ、それが正しいと証明するのは最終的には遺伝子工学しかありえないわけで、支配者達がその研究を真実の解明に利用するとは考えられないので、我々はそれ以外の方法で証明してゆかねばならない。 さて、まったく別のアプローチからスコットランドのお種に関し、少々無視できない記事を読んだのでお伝えしようと思います。 「ツタンカーメンと出エジプトの謎」のp294から。 ギリシャのある国の王子があまりに野蛮なので国を追われ、エジプトへ逃げ、たまたまそこでエチオピアとの戦で活躍し、ファラオの娘スコタをもらった。ちょうどこの時、モーゼの出エジプトが起こり、イスラエル人を追いかけるついでに大船団を率い、スペインへ上陸し町を作った。そして王子とファラオの娘はそこで生涯を終える。そしてそのスコタの息子たちがアイランドへと旅だち、住民を殺し奴隷にしそこを領土にしたという。そしてその地に母をしのんでスコットランドと名付けたという。これはある程度史実に基づいているようなのだ。 問題は最初ギリシャから追い出された王子ガイテロスは「スキタイの貴人」だったといわれることで、ついでにスコタもスキタイみたいな名前ではないか。つまり、スコットランドのお種はスキタイとエジプトファラオの混合貴種なのである。 高句麗の好太王はそのまんまスキタイ王であり、私は応神もしくは倭王讃がその人だと考えている。つまりアジア全土を駆け回ったスキタイ族はこのようにして一本の筋でつながって行くのであります。 え?あまりにも強引?まあ、それはそうだが・・・・しかし、エジプトでピラミッドを作った技術が、スコットランドのストーンサークルや日本の大規模古墳にもつながっている事は、このような話を見つけていかないことには説明できないのではないかな。まあ、英国がどうしてあれほどイスラエル建国にこだわるのか?そのあたりを含め、なにやらエジプトにはそのヒントがいっぱいあるような気がする。 < 前のページ次のページ >
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