シバちゃんのため息

カテゴリ:マヨちゃんの陰謀論( 87 )

もうひとつの権力者は?

さて、前回までに天皇と政治の関わり合いを述べてきた。天皇だけですべての権力を説明できるなら現在の政治の混乱はありえない。つまり、内閣と議会以外にも権力者がいるのである。これは簡単なことだ。お金を出す人、すなわち財界・財閥である。それ以外に宗教も権力者であるが、今のところこちらは手がかりが得られていないので謎の権力としておきましょう。

明治以降、天皇家あるいは皇族との婚姻はもっぱら経済的な要因が主となり、お種の管理がややおろそかにされ、独特の閨閥を構築する様になったしまった。まさしく蜘蛛の巣のように広がった閨閥はよほどの達人でもない限り解明できないほど複雑になったのである。しかし、やはり対立する部族と婚姻関係になることは少なかったのではないかと想像できるのである。心配しなくても本当に重要なお種は守られているでしょう。

さて、私の独断と偏見でこれから述べるが、残念ながら裏づけも根拠もない話である事をお断りしておきます。

平成になり、新しい天皇は政権を財閥系の親英ワン・ワールド派閥に渡した。(と、私は思っている。)このため、戦後せっかく解体された財閥が再び復活する様になったのである。戦後日本が躍進できたには色々な要因があるが、やはり農地解放と財閥解体により国民に富の再分配が行われた結果、経済的な活力が起きた事が大きいのであろう。もちろん、天皇家が戦時中に獲得した莫大な資金が株式市場に投入されたことも大きな要因である。

さて、再び復活してきた財閥も今回の政変で大きな壁にぶつかってしまった。日本をアジアの中心としてアジア通貨圏を構築するつもりだったはずである。もちろん世界ワン・ワールド化の一環である。弱肉強食の市場経済は大企業には心地よいが、中小・弱小企業にとっては存亡の危機であり、現実に多くが自然淘汰の憂き目に会ってしまったのだ。それが突然中断し、「友愛」の政権になったのである。アメリカがオバマになったことも偶然には思えない。つまり、世界の中心は中国へ移ったのである。

国民も戸惑うが、財界も大いに戸惑うのである。どう考えても自民党が復活する事は難しい。しかし、財閥としても、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。長期政権となると思えば思うほど財界にとってもここは踏ん張りどころではないか。現在の状況はそんな感じではないだろうか。
民主党へのネガティブキャンペーンはテレビ、新聞そしてネットでも盛んに行なわれている。これはそれらのスポンサー様のご意向である。
つまり、話し合いのサインなのである。財界との付き合い方を熟知する小沢氏は、財界とどのような取引をするつもりなのか、しばらくは情報戦で火花を散らし、参議院選の結果をみてお互いにテーブルに着くことになるであろう。

さて、それらとは別の権力の持ち主が宗教界だが、残念ながらこちらはお手上げで、未だに何の手がかりも得られていない。うかつなことも書けないし、研究を続けていきますのでしばらくお待ちください。
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by sibanokuni | 2009-12-09 06:12 | マヨちゃんの陰謀論

戦国時代からの歴史観

kitaさんへの返事を考えながら、天皇に関する私の考え方の変化を書いてみよう。
私は明治維新以前には皇室の政治的な力はまったく、もしくはほとんどないものと考えていた。おそらく大多数の国民もそう思っているのではないか。しかし、私は昭和から平成の現代において、天皇は国家元首であり、世界的にも最高位の権力を持っているとしてきた。このことは、昭和天皇が皇太子時代に英国へ行き、ガーター勲章を授与されてからだと主張してきた。
しかし、最近の研究で判明してきたことは、明治維新はもともと宮中から仕掛けられた政変だったこと、それは西欧のアジア進出(アヘン戦争など)に危機感を覚えたからで、幕府から大政奉還させ、天皇を中心とする強力な国家にする必要があったからである。さらに、戦国時代にサンカである秀吉や家康に国家を任せたのは、イエズス会の国家侵略に備えるためであり、イエズス会から援助を受けて日本を統一しようとした信長を排除する必要があったのである。そのほか、天下の大乱のほとんどが裏には皇室がいて、誰に権力を持たせるかで争われたとも思われるのであり、少なくとも天皇の位を奪おうとしたものは歴史書によれば足利義満、義教ぐらいのもので、ほとんどは暗殺されることになるのである。

つまり、皇室の権威、権力は私が想像していたよりはるかに強大で、日本においては並び立つものはなかったと考えられるのである。すなわち、歴史書はうそだらけで、意識的に皇室の権力がなく、貧乏をしていたように見せていたのではないか。これは、否定されそうな意見だが、全国各地に諜報員を配置し、また、海外との交易を幕府も気が付かない方法で継続し、知られているより皇室の財政は豊かだったのではないかというのが、現時点での私の考え方である。(いうまでもなく、これは仮説であり、また考え方は変わる可能性は十分にある。)
そしてその前提で明治天皇を考えた時、英国・ワン・ワールドと薩摩が連携し、明治維新を乗っ取られてしまったのを見て、皇室は相手の大きさに一歩控えたのではないか。そして、徳川の本拠地、江戸城へ行幸してしまえば人質になってしまう。そこで、偽物天皇を仕立て、本物は京都に残したのではないかと考えつつあるのである。
皇室は長州を前面に立て、薩摩に対抗したのである。少なくとも大正末期まではそうだった。

さて、kitaさんへの答えになるのかな?可能性は二つである。つまり、裕仁が英国にぞっこんになり、自らワン・ワールドの一員になったのか、もうひとつは、政治のすべてを薩摩閥に任せ、自分は傀儡として「我関せず」としたのかである。彼が一番恐れていたのは秩父宮、高松宮への皇位移譲の可能性だったのではないか。なにせ、大正皇后は裕仁が気に入らなかったようである。
彼は自分の地位を守るために親英派閥と手を組んだのではないかという事である。
以前は私の考えは前者だった。今は70%ぐらいで後者になっている。しょせん塀の中のことは国民にはまったくわからない、どちらが正しいか、あるいはまったく違うのか、永遠の謎である。

日露戦争の賛否については私自身、やや迷うところはあるが、すべては英国ワン・ワールドによって仕組まれたものであり、どのように日本が動こうが戦争は避けられなかったのではないかとは思う。これは動かしがたいことであり、日本が正しかったとか、間違っていたとは別の問題ではないだろうか。
ただし、日韓併合ではなく、日韓合邦だったとしたら、今ほど日本が非難されることはなかったのではないだろうか。張作霖の暗殺がなく、満州国を国際連盟が黙認する方法で建国されたのであれば、現在でも満州国は独立国家とし存続できたかもしれない。これは歴史の「もし」はタブーであることを割り引いても、日本国民としては悔やまれる痛恨事なのである。
結局、戦国時代が始まる原因も、現在の混迷の時代になった原因も、すべては西欧に存在する悪魔たちとの戦いの歴史であるというのが私の歴史観になる。どうでしょうか・・・。
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by sibanokuni | 2009-12-08 06:32 | マヨちゃんの陰謀論

孝明天皇とお種理論

孝明天皇を祀る神社が武豊にあるということを、太田龍さんの「天皇破壊史」で知り、数回訪れたことがある。そしてその本を読んでから鹿島昇氏を知り、彼の本を一生懸命読むことになった。さらに、鹿島氏の本「歴史捏造の歴史②」の中でシーグレイプ氏のYamatoDynastyを知り、どうしてもそれが読みたくて英語の原書を翻訳する事になった。さらにその当時鬼塚さんの「天皇のロザリオ」に出会い、天皇に関する情報が飛躍的に集まってきた。その次に翻訳し始めたGoldwarriorsで私もネットデビューをすることになったのである。
そういう意味で、武豊にある玉鋒神社は思いで深い神社だったのである。

孝明天皇は攘夷と公武合体を主張しすぎ、最後は英国コスモポリタングループに暗殺されたのであり、当時日本にいたアーネスト・サトウなどは当然それを知る立場にいたようである。
彼は著書の中で「時節がらタイミングはよかった」というようなことを述べている。もちろん、英国にとって、という意味である。誰が暗殺したかは知るすべもないが、伊藤博文や岩倉の名前があげられるが、おおむね真実が伝わることはあったためしはないから、まったく違う犯人だろう。
今でもネットで騒がしい明治天皇すり替え説では、私も長らくすり替え・偽物説だった。が、正統派右翼の本を読みすぎたせいであろうか、やや考え方を変えざるを得なくなってきた。
最初は鹿島氏の言うように、南朝の末裔である大室寅之助説をとっていたが、次に鬼塚氏が主張した、伊藤博文と同郷の部落出身者、大室寅之助説になった。いわゆる田布施の謎である。

現在は、自分で発表したお種理論があだ?となり、どうしても大室すり替え・偽物説ではちょっと説明不足ではないかと言う事になった。ただし、江戸へ行幸した明治天皇は間違いなく睦仁ではなく、大室であったと思う。
つまり、可能性は二つ、大室にはそれなりのお種があったということ。もうひとつは京都に本物が残り、東京へは替え玉が送られたと言う事。

つまり、明治天皇が生んだ皇女はすべて皇族へ嫁ぎ、たった一人の男子である大正天皇は、京都からこっそりと送り込まれた正規品の天皇であったということになろうか・・・?

なぜこんな事を言わなければならないかと言うと、我ながら「お種」理論は正しいと思っているので、前々から明治天皇のなぞを「お種」理論で説明する必要が出てきたからである。

昨日、まゆみさん家で玉鋒神社の名前が出てきたので、それを思いついたのであります。
せっかくだから玉鉾神社の鮮明な写真を一枚お見せしましょう。
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菊の紋章も立派で、静かな落ち着いた神社です。
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by sibanokuni | 2009-12-07 06:08 | マヨちゃんの陰謀論

溥儀も自分の国が欲しかった?

先日見た「ラストエンペラー」の原作、「紫禁城の黄昏」を読みたいのだが、パリが上巻を先に読み出したので、私は仕方がないので下巻から読むことにした。
さて、張作霖の事である。誰が殺したかに付いては、先日考察した。それにしてもこの暗殺は日本の内部にも大きな影響を与えたのである。

落合莞爾氏の「疑史」(63回、月刊日本12月号)な中に、「満州政策にはもともと二つの流れがあり、満州の地に愛親覚羅による後清国をうちたて日本の保護国とする旅順派と、現地で張作霖を育成して地方政権とし、日本が支援すべきとする奉天派である。」と述べている。
いずれにしても張作霖の暗殺により、蒋介石の優位性がたかまり、日本が表に出ざるを得なくなり、満州国の正当性が世界に認知されにくくなったのは前に書いたとおりである。

さて、著者ジョンストン氏によれば、映画とは違って、溥儀は張作霖に誘われ、婚礼を期に奉天の先祖の墓を尋ねる振りをして満州国を現地に再建するつもりだったようだ。なぜか映画では、城の外へ出て自由に町を歩きたいと思ったが官僚たちに阻止されたように描かれている。しかし、真実はどうも溥儀が満州行きを望んでいたようである。
また、宦官たちがひそかに宮中から宝物を横流ししている事に気が付いた溥儀はすべての宝物の在庫を報告するよう命じた。横流しの発覚を恐れた宦官は宝物の保管場所、建福殿に放火し、建物もろとも周時代からの宮廷の財宝が消失したと本には書かれ、映画にもそう描かれている。
しかし、これはどうもインチキ臭い。おそらく、溥儀と溥傑は満州へ亡命する前にひそかに財宝を奉天に送ったのではないか。以前、やはり「疑史」に、王朝の財宝を紀州家が大量に買い取った様に書かれてあったから、おそらく事前に紫禁城からこっそり持ち出していたのが真実ではないか。
日本軍は張作霖を陰で操り、溥儀を奉天に亡命させて、満州国を打ちたてれば、国際連盟も文句をつけれなかったのである。陸軍の主流はやはりこのように考えていたと思う。
張作霖が暗殺された事により、関東軍は大幅に戦略を修正する羽目になったのであり、この暗殺は旅順派でも奉天派でもなく、薩摩ワン・ワールドの極秘指令だったのである。
満州の問題は非常に複雑なのだが、従来の史観では溥儀の意志が無視されているが、彼もやはり皇帝になり自分の国が欲しかったのは間違いないのである。

月刊日本の「遠攻近攻」(佐藤守)に、「現在中国では、江沢民と胡錦涛の権力争いに加え、毛沢東を信奉する左派の巻き返しが始まっている。これは中共体制内部の変革を求め、溥熙来を首領として擁立せよという権力闘争である・・・・」とあるが、彼は知日派として知られる大連市長を務めた前商工大臣で遼寧省省長、共産党長老の溥一波の息子で、太子党のエリートであるという。彼は、おそらく清王朝の血を引いているのではないか。これはちょっと憶測だが。

中国は共産党の独裁政権と思われているが、私はそうは思わない。見えている部分より、見えない部分に権力者がいることは世界の常識なのだから。
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by sibanokuni | 2009-11-28 04:11 | マヨちゃんの陰謀論

ラストエンペラーの真実は?

ゆうべ、届いたばかりのDVDで、映画「ラストエンペラー」をじっくり見た。昔一度だけ見たのだが、当時は何も知らなかったので、訳も分からず何のことやら・・・と言う感じだったけど、さすがに歴史のお勉強をしただけあって、よく意味が分かって楽しく見ることが出来た。
清王朝、最後の皇帝、溥儀が生れて死ぬまでの物語で、もどころは北京の紫禁城ですな。

ジョン・ローがかっこよすぎるのと、東洋の宝石という割りに、川島芳子がちっとも綺麗じゃなかったのが残念だったかな?
全体として、戦後の自虐史観そのもので、実態がどのようであったのか私には判断しかねる。また、溥儀に関しては、東京裁判における彼の証言は連合国による誘導があったといわれているだけに、それをそのまま信じることは出来ない。いくら傀儡国家だったにせよ、一応は清王朝の皇帝だった方に、関東軍があれほど失礼な扱いをしたとはちょっと信じたくない。
多くの著者が勝手な真実を作り上げたため、今となっては誰の言う事も信じることは出来ないが、清王朝を亡命させ、王朝の母国満州に新国家を建国するというアイデアーはまことに文句の付け用のないものだった。
出来る事なら溥儀の皇后に日本の皇族を嫁がせ、もう少し上手に根回しをすれば上手くいったのにと思うが、今となっては仕方がないことである。このあたりがワン・ワールドの分かれ目であり、現在言われているような東アジア共同体も一歩間違えれば同様の危険性を持っているのは多くの論者が心配している通りである。
そうならないよう、統一大統領であるとか、統一憲法、統一通貨などの議論にならないよう、歯止めをキッチリかけておく必要がある。それが怪しげであるなら、やはり鳩山はユダヤ・フリー・メーソンだといわれてしまう。

それにしても、私の好きな甘粕氏は坂本隆一が演じ、なかなかかっこよかったけれど、あまりにも悪役過ぎて気の毒である。映画だからといっても、もう少しなんとかならなかったのかな・・・。

話は変わって、映画の最後の方で文化大革命が描かれていた。この革命の評価はいったいどうなのだろう。
なんとなく、毛沢東が学生を扇動し、むちゃくちゃな事をしてしまった様に思われているが、マヨ理論からすれば、悪くかかれる人は正しかった人で、良く描かれる人はおおむね英国の回し者という事が多い。そうすると、毛沢東はあまりにも正しい事をしたために殺され、その暗殺の首謀者は次にトップに立つ周恩来になるのだが・・・・・真実やいかに。・・・・てことは、スターリンは正しくて、フルシチョフが英国のエージェントとなるのだが、そんな気もしないではないな。
話をもどし、当時は1960年代、当時文化大革命で活躍した学生は、そろそろ70前後になっている。中国に言論の自由があるなら、文化大革命の真実が分かってくるのだが、日本には伝わってこないだけなのか、やはりまだ真実が書かれていないのか・・・。
日本でも満州国の真実が未だにわからないのだから、中国ではもっと分からないか・・・。
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by sibanokuni | 2009-11-22 06:24 | マヨちゃんの陰謀論

ゾルゲはどこのスパイ?

ゾルゲは一体どこのスパイ?

いま読んでいる本は「ゾルゲとの約束を果たす」(松橋忠光・大橋秀雄著)という本です。たまたまブックオフで掘り出したんだけどね。
マヨ理論の原則は、例えば、「ゾルゲはソ連のスパイで、特高に捕まり処刑された。」と書いてあれば、「ゾルゲはソ連のスパイではなく、処刑もされなかっ。」と考えてみる。どうしても証拠や証言が全部揃って、それ以外にないとなった場合はやむを得ずそれを事実と考えようとする。そんな感じでゾルゲを考察してみましょう。

栗原氏の本「歴史の闇を禊祓う」には、長興稱吉がドイツへ留学した時、現地の女性との間に子供が出来たとの話があり、月刊日本の天童氏によればそれがゾルゲだと言う。ここで長與氏の話をするとキリがなくなるので、元は藤原姓で後に男爵に叙せられるとだけ記しておこうか。(ひょっとするとゾルゲは藤原氏のお種を持っているということだね)

さて、スパイたるもの、逮捕され拷問されたとしてそう簡単にゲロすることはないはずだ、しかし、その本の著者である大橋氏は拷問もなしに完璧に自白させたのだ。ただし、白状する条件として、将来必ず真相を明らかにするという約束をしたのだと言う。この本の題名はそこから来ている。しかし、元特高の人間が真実を書いても出版させてもらえず、やむなく自費出版を重ねたが、松橋氏がようやくその遺志を継ぎ、出版にこぎつけたのだと書いている。

ゾルゲがソ連のスパイだったとすると一番怪しいのは、日本はソ連に対し人質の交換を提案し、ゾルゲを引き渡そうとしたが、ソ連側は自国のスパイだとは認めなかったということ。もうひとつ、一応ドイツ人であり、友好国の人間をスパイだとは言え、簡単に死刑にするのは外交上問題にならなかったのだろうかという疑問も残る。

何よりも情報元は尾崎秀実という近衛首相の身近にいた人間である。いくら友好国の人間だからといっても、日本にも諜報部員はいくらでもいたのであり、まさにマンツーマンでゾルゲも尾行していたはずである。
ゾルゲが一番活躍したのはノモンハン戦からドイツのロシア侵攻あたりで、まさに第二次大戦に到る肝の部分である。
実に際どいタイミングで、ソ連は日本と戦う時はドイツと条約を結び、日本と不可侵条約を結んでからドイツと戦争を始めるという、これがひとつ間違えればソ連は間違いなく亡びたのである。
その点、確かにゾルゲは日本、ドイツを手玉に取り、ソ連だけが一人ほくそえむ結果になっている。ならばソ連にとってゾルゲは英雄に違いない。しかし、ソ連が彼を英雄にしたのはフルシチョフが亡くなった後なのである。
彼が処刑されたかどうかは疑い出せばきりがないが、記録上は間違いなく昭和19年11月7日、ロシアの革命記念日に尾崎秀実とともに処刑されたことになっている。いまはそれを信じる以外ないが、ヒットラーだって、イラクのフセインだって、私は生き延びていると考えている。まあ、歴史的には死んでいないとしてもそれほどの意味はないかもしれないが・・・・・・。

彼が行なったスパイ活動がいかなる効果を上げたかといえば、例えば、昭和11年、ドイツのリッペントロップと大島陸軍武官が極秘の交渉をしているとソ連に打電し、ソ連はすかさず交渉を妨害し、その交渉をご破算にさせた。また、昭和16年、松岡外相のヨーロッパ訪問で、外相はドイツと政治的なことは予定にないが、ソ連とは政治的な何かをしても良いという許可があると本国へ伝え、見事に松岡と日ソ不可侵条約を結んだとなっている。見事なものである。仮に本当だとしたら・・・・。
さらに、ドイツがソ連に侵攻する日時、日本が南進政策を決定し、ソ連とは戦わないという御前会議の内容も伝えたのだと・・・・・。もし本当ならゾルゲは世界一のスパイである。
だから八百長臭いのだ。こんなこと出来るものか?ジェームスボンドよりすごいぞ。

私の仮説は、ゾルゲの役割は将来にわたって第二次大戦が八百長戦争であることがばれないためのアリバイ工作である。
近衛文麿さんはおそらく最後まで騙され続け、いいように利用されたのだと思う。誰に?そりゃあ、英国ワン・ワールドにである。役者はチャーチル、スターリン、ヒットラー、裕仁、ルーズベルトである。
ゾルゲもワン・ワールドに泳がされ、利用され、最後は口封じで殺されたか、もしくはこっそり釈放されたのではないか・・・・と私は現時点で想像する。

ゾルゲと筆者との約束である真実とは何なのかはもう少し待ってて、まだそこまで読んでない。

いずれにしても謎が多いので、もう少し研究しなけりゃはっきりしないけど、たぶんそんなに間違いはないと思うよ。っていうか、むしろ近衛さんをもう少し調べなければならないな。なにやっても失敗ばかりで、ほんとにお気の毒なお方だ。自殺した事になっているが、あの人がもしGHQに出頭したら全部しゃべっちゃったんじゃないかな。私は本音のところで近衛さんがかわいそうな気がするのだ。
それにしても、昭和史はおもしろい。
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by sibanokuni | 2009-11-19 06:20 | マヨちゃんの陰謀論

敵の敵は味方?

在位二十周年で記者会見に臨んだ天皇陛下は記者の質問に答えた。(すいません、こんな書き方をすると戦前なら大変にお叱りを受けるでしょうが、なれない敬語を使うととんでもない文章になるので、あくまで普通の書き方をします。お許しを・・・)

「問2 両陛下にお伺いします。両陛下はこの20年,常に国民と皇室の将来を案じてこられたと思いますが,皇室についてはこの先,皇族方の数が非常に少なくなり,皇位の安定的継承が難しくなる可能性があるのが現状です。昨年末の天皇陛下のご不例の際,羽毛田信吾宮内庁長官はご心痛の原因の一つとして「私的な所見と断った上で「皇統を始めとする諸々の問題」と発言し,皇室の将来を憂慮される天皇陛下の一面を明らかにしました。両陛下は皇室の現状,将来をどのようにお考えでしょうか。皇太子ご夫妻,秋篠宮ご夫妻を始めとする次世代の方々に期待することも交えながらお聞かせください。
天皇陛下
皇位の継承という点で,皇室の現状については,質問のとおりだと思います。皇位継承の制度にかかわることについては,国会の論議にゆだねるべきであると思いますが,将来の皇室の在り方については,皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。二人は長年私と共に過ごしており,私を支えてくれました。天皇の在り方についても十分考えを深めてきていることと期待しています。」

この文章をじっくり味わうと宮内庁長官の「私的な所見」の意味するところと大いに違うとは思わないだろうか。国会の論議というのはあくまで憲法上の建前であり、憲法に皇太子の考えを尊重するなどという文章はない。つまり、本音はこちらであり、国会で論議するなと天皇陛下は述べているのである。
宮内庁長官は私感と断って暗に世論を操作しようしているのである。

この長官をwikiで調べると、「宮内庁長官就任時の任命権者である内閣総理大臣小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持している。寛仁親王が男系維持を希望する発言をした際には、発言を自粛するよう要請した。悠仁親王が誕生した直後に、皇位継承の安定は図れないとして、女性天皇・女系天皇の容認に含みを残した。」

つまり、陛下が男系の継続を望んでいるのは明らかであり、皇室のすべてのごたごたは、まさに皇室と宮内庁長官との内輪もめにあったのである。

私が雅子さんに関する情報を信じないのは「堀の中の事は真実なのかが確認できない」からであり、雅子さんが本当にサボっているのか私にはわからないからである。
例えば、小泉劇場でも田中真紀子に対するバッシング、さらに鈴木宗男に対する外務省の大嘘など、報道が意図的にとんでもない情報を流していたではないか。マスコミの報道は決して信用してはいけない。肝に銘ずるるべきである。

ところで、私は男系か女系のどちらを?どっちだって?そんなこと知りませんよ、人のうちのことなんて・・・。ただし、どこのうちでも後継者は主(あるじ)が決めるに決まってる。国会で決まったからって、「俺はいやだ」が言えないのは少々お気の毒ですな。しかし、現憲法下で仮に国会が女系容認と決まれば天皇もそれに従わざるを得ないのではないか?とするなら、当然でしょう、小泉が引退したのは・・・。

私が絶えず主張している、「天皇は今でも日本の支配者である」という証明は、このようなことでしか出来ないのである。しかし、いま一歩でそれを出来なかった勢力もなかなかの力を持っている。

基本的に反天皇であった私は変節したつもりはない。その反天皇の勢力が天皇側よりもうひとついやなだけである。敵の敵は味方というところかな。
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by sibanokuni | 2009-11-15 04:53 | マヨちゃんの陰謀論

サンカの話の2

昨日に引き続き、サンカに関連した話をしましょう。
明治維新の謎の中で私がなかなか理解できなかったのが、廃仏毀釈とほぼ同時に行われた修験道の禁止なのである。文献によれば、あまりも神仏が習合したため、もはや分離が出来なくなり禁止することにしたとある。これで納得する人がいるのだろうか。何かを隠してると思いませんか?

ずいぶん長い間この疑問に対する答えを求めていた。結果、私の憶測ではあるが、答えらしきものが浮かび上がってきた。それは明治新政府は大江山衆を恐れるあまり、その行動を封じようとしたのではないかということである。

明治維新は西欧諸国のアジア進出で、あの大帝国、清国がアヘンでボロボロに崩れてゆくのを目撃した大江山衆の報告を受けた皇室が、徳川幕府に任せておいては国が危ういと考えた結果起きたものである。それは光格天皇から始まり、指令は水戸家に下った。

(注)従来の史学では江戸時代には皇室に権威はなく、貧乏で、その日の米にも事欠くと言われているが、私の説はそのあたりのごまかしをいわゆる大衆洗脳とするものである。つまり、家康もサンカであり、皇室の指名がなければ天下統一は出来なかったという前提だ。史学のとおり皇室に権威がないとするならmayo説はトンデモ論になるだろう。少なくとも佐々木源氏の出身、三井家が皇室のスポンサーだったはずである。

ここから幕府の内部で醜い争いが始まったのだ。英国の支援を受け薩摩は篤姫を徳川家へ送り込み幕府の滅亡を画策する。皇室はそれに対し和宮を降嫁させて対抗し公武合体を狙う、お互い主導権を争ったのだ。
公家の岩倉具視、三条実美などは大江山衆を操り長州を引き寄せるが薩摩の陰謀が勝り、神道を国家の宗教にするというえさで伊勢神宮を反徳川陣営に引き入れたのではないか。(ここは憶測)
言うまでもなく神社は寺院に支配されひどく抑圧されていたため、維新前後にすでに廃仏毀釈は爆発していたのである。徳川時代の寺社の横暴は神社側にそのエネルギーを溜めさせる働きをしたのである。

細かい事はさておき、天皇を江戸に人質に取られた京都の公家、そして寺院、さらには修験道はそれ以来地下に潜り活動を始めたのである。
(注)注が多くてごめんね・・・・今回は孝明天皇の暗殺、大室天皇のすり替えは述べないことにしよう。

そのひとつが大本教だったと考える。大江山衆はひそかに軍部にも浸透し、西南の役に対する不満を利用し玄洋社や黒龍会などを組織する。そして徐々に勢力を伸ばしていったのだ。

ここで今ひとつ言っておかなければならないのは、清国王朝と清和源氏は同根だと考えられている事である。したがって、日本軍の中に清は潰し、日本が取って代わると言う考えと、清国が潰れるのは避けれないものの清王朝は救うべきだという考えとがあった。
清和源氏の末裔と考える大江山衆としては清朝のもともとの出身地である満州に王朝を築くことで天皇家の兄弟国を作り、併合した朝鮮とともにアジアの西欧に対する橋頭堡にしようと考えたのである。

詳しい話は今回のテーマとは違うのでこのぐらいにしましょう。
つまり、大江山衆に見られるように、自分の出自を秘し、普通の職業に従事しながらも本部からの指令を待つ、いわゆる民衆の中に潜む草がサンカの本質なのだと私は考える。
したがって、ここでは大江山衆を主に取り上げたが、他の派閥のサンカも今でも全国で草となって活動を続けて入ると考えるべきである。ある日、あなたも父親から系図を見せられ、秘密を引き継ぐ羽目になるかもしれない。これは家系に伝わる掟であるから逆らってはいけませんぞ。
私の家系もかなり怪しげなのだが、幸い父親が早死にしたため、何も知らないで死んでいけそうである。
よかったよかった。

それではまた・・・・
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by sibanokuni | 2009-11-10 06:11 | マヨちゃんの陰謀論

サンカってなに?

昨日まゆみさんの誘導にのせられて?ついついコメントを入れたが、よせばいいのについ踏み込んで書いてしまった。しかも、サンカの名を使ってしまったため、「サンカってなに?」という羽目になった。
私の歴史研究の中でサンカは主要なテーマのひとつで、何回も取り上げている。しかし、必ずしも一本道ではなく、何回もあっちこっちへぶれて、結局答えは未だに道途中なのである。というより、答えは出ないだろうと思う。

いうまでもないけど、サンカに正式な定義はない。研究する人によってさまざまなとらえ方がある。
いま、私がサンカという場合はもっぱら大江山衆を指す。しかし、同様の研究に詳しい落合莞爾氏はサンカの親分をアヤタチといい、彼等は古代イスラエル部族で敦賀の籠神社から日本へ侵入したニギハヤヒと考えている。その配下には穴太衆という石工部族がいて全国へ散り、職人集団として築城や灌漑工事をする傍ら情報をアヤタチ本部へ伝えていたと述べている。もちろん石工以外にも色々な職人集団がいた事は間違いないであろう。これが間違っているのではなく、これもひとつのサンカだと考えてもいい。
自らがサンカだったという月海黄樹氏の著書も得がたい情報をもたらしてくれたが、私は出口王仁三郎を研究し、さらに、堀川辰吉郎などの研究を通じ、従来の歴史家が決して言及しなかった大江山霊媒衆にたどり着いたのである。
もちろん、栗原茂氏なくして絶対に判らないことばかりだが、それでもなぞなぞのような彼の著作はそう簡単なものではなく、解読作業はその都度ブログに書いてきたから詳しくは過去ログを読んでいただきたい。

落合氏が指摘したように、三角寛や八切止夫氏らのサンカはどちらかといえば本当の浮浪民で、たしかにそのような戸籍を持たず、各地でセブリを張り官憲から逃げ回っていた民はいたようであるが、それはあくまでサンカの本質をたぶらかすための煙幕で、実態はやはり秘密諜報組織としてのサンカが私の言うサンカなのである。
ヤタカラスなどもサンカのひとつであり、伊賀や甲賀の忍者も分類としてはサンカに属するといえるだろう。
いま私が問題にしているサンカ、つまり大江山霊媒衆というのは源氏の配下と考えている。そして根源的には近江に渡来した仁徳王朝とその配下である。日本が成立したのち、桓武天皇の頃に日本の国体が確立したと考えるが、仁徳王朝がその中で藤原の北家として皇室への婚姻家系の一角を占めるにいたる経過は未だに解明できていない。ただ、私の考えでは、日本に渡来した鮮卑族が動乱の中談合した結果、婚姻家系として四家に集約したように理解している。もちろん、藤原不比等は合成家系であり、架空であろう。
したがって、大江山衆はあくまで皇族の中の北家のために働くのであり、他の三家にもまたそれぞれに配下を持っていたと考える必要がある。それは未だに表に出ていないが、見えないからといって、その存在を否定する必要もないのである。

栗原茂氏はもっぱらこの大江山衆に詳しいので私はこの派閥に詳しくなったのだが、当然、対立する薩摩ワン・ワールドにもそのような裏組織がいるはずである。
このいくつかの支配組織が天皇の支持の元、政権を担当してきたのだ。明治維新では長州と薩摩が中心となり、大江山衆はおそらく冷や飯を食わされたのだと思う。明治の廃仏稀釈の時、全国にいる修験道が禁止されたが、この修験道こそ大江山衆の隠れ蓑である。このおかげで大江山衆は打撃を受けたはずである。
その代わり、ヤタガラス(これもサンカ)、即ち、伊勢神道が主力に躍り出た。

長州は表向き毛利なのだが、実質は尼子氏の末裔、鉢屋というサンカが主導したのではないか。それは大正末期、山県の失脚で権力を失い、昭和は薩摩コスモポリタンが主導権を握る。ちょっとややこしいね。

あー、つかれた。わかっってもらえたかな?明日続きを書きます。
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by sibanokuni | 2009-11-08 19:35 | マヨちゃんの陰謀論

一生を国家へ

先日読んだ「政治家「辻政信」の最後」の本で、彼はベトナム戦争を終らせるためラオスからハノイに向い行方不明になったと書いてあった。途中でゲリラにつかまり処刑されたのではないかと・・・・。もちろん真実は闇の中だが、あのような危ない地域に単身乗り込むこと自体が自殺行為で、どこで殺されても不思議ではない。そして、彼が何者だったのか、未だに私の頭は???なのである。

今読んでる、「金正日は日本人だった」の第十章に、著者が「得体の知れない人物で、身元を一切詮索してはならない人」とのインタビューをした場面がでてくる。そこに、ちょっと面白い話が載っているのだ。

著者に対し、「あなたは先の戦争はいつ終結したと認識しているかな?」、もちろん応仁の乱じゃないですよ、大東亜戦争のことですよ。それに対しその老人は、「歴史上はともかく、1975年4月30日、サイゴンが陥落した時点と考えています。」と答えるのである。
つまり、ベトナム戦争は日本の残置諜者国家・北朝鮮とアメリカの戦いであり、ベトナムを分断支配しようとしたアメリカの野望を阻んだのは実は旧日本帝国軍が裏から操る北朝鮮軍だったという。そしてベトナムで多くのアメリカ人が捕虜になり北朝鮮へ送られたのだと。

仮に、そうだったとすれば、その軍の指導者は黒龍会であってもおかしくはない。圧倒的な軍事力を投入するアメリカ軍に対し、巧妙に隠された塹壕やトンネル。突然攻めてきて、あっという間に引き上げる。まるでフン族の攻撃法である。スキタイの攻撃は常にそのようであった。つまり逃げてゆくのを追いかけていくうちに相手は深追いさせ、知らないうちに周りを囲まれるのである。
まあ、そんなことはいい。
辻政信はそれを知っていて、あるいは、自分の死に場所としてベトコンを選んだのではないのかとふと思ったのである。北朝鮮の金策も、この辻政信も帝国陸軍の情報将校として一生を国家へ捧げた可能性は高いのである。問題は、その人間が人生を捧げるほど国家は国民の事を考えてくれているだろうかと言う事なのだが、戦前の軍人は我々と違うね。
こういうのをマインドコントロールだというと怒られるかな・・・・。
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by sibanokuni | 2009-11-08 06:15 | マヨちゃんの陰謀論



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
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