シバちゃんのため息

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訂正?小沢氏降板のわけ

昨日の民主党代表戦の様子を見ていて考え方が変わった。つまり、出来レースじゃないかと。管さんが出ない、前原氏もでない・・・という事は・・・・単に総選挙前の踏み絵に過ぎないのでは・・・と考える。

小沢氏はいうまでもなく闇将軍、田中角栄の秘蔵子だ、表に出るより裏支配の方がはるかに権力を行使しやすいことを知っている。中曽根は田中に支配され、中曽根は竹下を操縦してきた。
今回、小沢氏は全国を回り、政権獲得の手ごたえとともに地方での支持基盤を確立した。そして、日本の権力構造である闇支配を確立することにしたのではないだろうか。お人よしの金持ちボンボンである鳩山は首相の座をちらつかされ、ついつい誘惑に乗った。(きっとぼろぼろになるよ。)

今回の辞任劇では私も少なくとも10通りぐらいのシナリオを考えた。大きく分けて、圧力が掛かり辞任したのか、自分からすすんで辞任したのかである。この二つからさらにいくつかに分岐させれば10通りぐらいはすぐに出てくる。
昨日は私も驚いたおかげでついつい圧力鍋で考えてしまった。もちろん、そちらも考慮に入れる必要があるが、代表戦のやり方を見ると民主党内をひとつにまとめる目的が見えてくる。これは八百長ではないか・・・と思えてくるのだ。

仮に、天の声なら麻生さんは辞任を知っていたはずだ、しかし、記者会見を見ると、どう見ても麻生さんも驚いていた。しかも、民主党の鳩山氏ですら知らなかったように思う。辞任の発表の前に、鳩山氏は「小沢代表は説明責任を果たすべきだ・・・」なんて会見をしていたぐらいだから。

大体これで、民主党の選挙準備は完了だろう。鳩山代表で、裏の将軍に小沢さんが座るという事だ。
あと、自民党が超ウルトラCの北方領土返還を成し遂げなければ政権は民主党になることがほぼ決まった。
まあ、いちど小沢さんの政治を見ることにしましょう。

話は大幅に変わります。
飯山さんのブログに載っている北朝鮮情勢を読んで、私が大いに反省しなければいけないのは、戦前から戦後にかけての朝鮮半島の歴史を何も知らないという事である。
今まで日本軍に関わるたくさんの本を読んできたが、ほとんどが満州関係で、韓半島内の日本軍の行動は何も知らないに等しい。日本軍が悪いことばかりして朝鮮人に合わせる顔がない、そんな謝る事ばかりの歴史しか知らないのだ。
ひょっとして、これも洗脳? 進駐してきた米軍は日本人に、朝鮮半島で日本軍が行なってきた悪行を強調し、朝鮮人には、不幸の元はすべて日本の進出からだと教え、日本が半島で行なってきたすべてを否定してきたのではないだろうか。そして、半島での日本の統治はなかったことにされているのではないだろうか。

「親日派のための弁明」という本がある。これは韓国人、キン・ワンソプが書いたもので、このおかげで彼はひどい目にあったようだ。それはそうだろう、日本人が読めば本当に恥ずかしいぐらい日本人をほめているのだ。とても韓国人が読める内容ではない。あまりにもほめすぎなので、日本人がこれをすべて信じてはいけない。しかし、何事にも光と影があるのだ、現在の韓国や台湾の繁栄は間違いなく日本人の残したインフラや教育のおかげであることも認めて欲しい事実なのである。
全部を鵜呑みには出来ないが、この本を読み直し、今も北朝鮮に残留している旧日本軍の軍人達の生き様を調べるのも正しい歴史認識を知る上で必要なのではないだろうか。
そして、そこを調べなければ金王朝が理解できないのではないだろうか。
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by sibanokuni | 2009-05-14 10:00 | マヨちゃんの陰謀論

「サスペンス劇場」蟹江一家殺傷事件・・・

「蟹江町殺人事件」はゴールデンウィーク中の事件で、旅行から帰ってきたら結構大騒ぎであった。ここへ来て、本日発売の週刊誌の見出しを見ると謎だらけの怪事件に発展しそうである。
一番謎なのは、事件後数日過ぎてから犯人と思しき第三者が現場にいて、警官がそれを認めながら取り逃がしたという事実の発表。そして、母親の死体が押入れから発見されるのにまる一日も掛かっていること。凶器だって、家の中で見つかるのに何日も掛かっているのだ。まあ、詳しくは報道を見てもらうという事だが、警官が犯人を取り逃がしたと言うのはどう見ても不自然で、実は「手が出せない相手なので、逃げてもらった。」と見るべきではないか。

世田谷一家殺害事件と極めて似ているとも言われるが、つまり、迷宮入りする可能性が高いということだ。
素人の私には何もわからないが、沖縄でライブドアーの幹部が殺された事件と同じく、県警レベルでは踏み込めない領域ではないかと推察できる。まあ、どうなるか、サスペンスドラマよりも恐ろしいですな・・・・。

定額給付金の申請書がようやく届いた。周辺の市町村ではもうすでに使われているというのに、大都市は大変なんだな。この申請書にいろいろ書き込み、本人確認のために通帳か銀行カードのコピーを添付せよだって、普通の家にコピー機があるの?本当に役人はなに考えてるんだろう。その申請書を送ると確認のうえ、後ほど振込みの報告書が来るのだそうだ。役所も本当にご苦労さんです。めんどうな手続きの上、口座に振り込まれたってありがたみは少ないな。私はやはり金券、買い物券のほうが良いと思うが、まあ、いいっか。しかし、銀行の口座に入ると女房の許しがないと使えないんだよ・・・・とほほ。

さて、誰も待っていないとは思うが、「天皇の陰謀」第五巻から、「なぜ松岡外相は東京裁判で死刑になったのか・・・・?」

あくまで「天皇の陰謀」を読んだ上での話であり、他の本ではまた違う見解になる恐れはあるものの、まず間違いなく結論は当たっていると思う。

要は、1941年(開戦の年)1月、裕仁は松岡に日ソ不可侵協定を早急に結ぶように指示を出した。しかし、松岡はドイツが一年以内にソ連へ侵攻するという情報を手に入れており、アメリカとの戦争を避け、ドイツの侵攻にあわせ日本もシベリアに侵攻するべきだと考えた。ところが、裕仁さんにも予定というものがある、支配者からのスケジュールにあわせ、少なくともドイツとソ連が戦うまでにはソ連と条約を結ぶことが必要で、それが遅れるとドイツとの三国同盟(1940年9月に調印)で、日本は北進する必要がでてくる。これは困る!

裕仁は3月3日、松岡にソ連と中立条約を結ぶため、ヨーロッパへ行かせることにした。
4月14日、松岡は裕仁の望んだスターリンと日ソ不可侵条約条約を結ぶ。これはスターリンが大幅な譲歩をしたからだが、松岡はいつでも破棄出来ると考えたのだろうか。
別の本によれば、松岡はソ連を三国同盟に引き込み、アメリカに対抗するように考えたというが、私はいずれドイツがソ連とたたかうことになるのを見越し、仮調印だけでソ連を後にしたのだと解釈する。もちろん、もう少し検討を要する。

6月22日 ドイツはソ連と開戦。
松岡は皇居を訪れ、シベリア侵入を進言する。
なんとか南進したい裕仁さんの前に立ちはだかる閣僚、外務大臣松岡は自分をヒーロだと思っていただろう。
内閣で彼の演説に打ち勝つものはいなかった。なぜなら、彼は絶対に正しかったからだ。
困り果てた天皇は最後の手段、内閣を総辞職させ、外務大臣と、これまた北進派の平沼男爵以外を再任し、ようやく北進をとめることができた。冷や汗たっぷりかかされた天皇はさぞかし松岡を憎んだことだろう。
これが7月18日のこと。7月24日には陸軍がサイゴンへ侵入しているところをみると、かなりスケジュールが詰まっていたことがわかる。その間にも近衛首相はアメリカと戦争にならないよう水面下で交渉をするが、このあたりの動きも裕仁にとっては要らんお世話だったのではないか。こうしてみると、近衛さん、平沼さん、松岡さん・・・・・閣僚や皇族の多くは八百長を知らされていないことがよく分かる。(高松、秩父は知っていたはずだ。)

細かく分析すればもっと微妙な動きはあるだろうが、ざっくり言ってしまえば、松岡一人で日本を背負っているという気概が彼を有罪にしたという事だろう。この本を見る限り、松岡の分析は正しく、しかも国益に合っていたと思う。外務省が正しいことを言えなくなったのはこれがきっかけだと思うのは私だけだろうか。

松岡が外相を辞めてから12月の開戦まで、スケジュール通り順調に進むことになる。
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by sibanokuni | 2009-05-13 06:33 | マヨちゃんの陰謀論

天の声?

驚きました。まさかの辞任、もちろん民主党党首、小沢さんのことですが、・・・・
やはり小沢さんに政権を任せることはありえないことだったのだろうか。新聞やテレビにはろくな情報がないから無視して、ここはマヨちゃん独自の解釈をしなければならないな。

マヨちゃん理論で小沢さん辞任をどのように解釈するか?

やはり、天の声しか考えられない。天の声といえば、いうまでもなく世論調査の結果です。あれはどのように実施されているのか、我々にはまったくうかがうことの出来ないブラックボックスである。各新聞社、そしてテレビ局が独自に実施するというが、その現場を我々は見ることはない。ただ、しかし、何かの意見を象徴していることは間違いない。
即ち、これが「天の声」たる所以であろう。 その天の声が「小沢さんは首相にふさわしくない。」、と結論づけたのだから、小沢さんとしてはさっさとやめざるを得なかったのだ。それほどに、この天の声は重大な意味があると考えなければならない。

コンピューターで無作為に選んだ2000名に電話をして、内、約1000人ぐらいの回答者が日本の明日を決めるのだから、これは考えてみれば恐ろしいことだ。私の憶測ではそのコンピューターには日本を動かす支配者の住所録しか入っていないのではないだろうか。つまり、この2000名が日本の現在の枢密院という事になる。本当に2000人なのかは知るよしもない・・・・。

小沢さんはサンカである、と先日ブログに書いた。即ち、田中首相以来、久しぶりに日本原住民の首相が誕生する期待があった。田中政権にもいろいろな闇があったようだが、日本の隅々まで税金をばら撒こうという発想があり、日本が一時活性化したことは間違いのない事実である。その一番弟子である小沢氏が、自他共に認める実力がありながら、いまだに首相になっていないにはやはり支配者達がそれをどうしても彼を認めないからだろう。

小渕政権で連立を組み、成果があがりそうになった時小渕さんは殺された、福田さんは彼と連立しようとして排除された。よくよく考えれば、小沢氏の背後にある組織を支配者がいかに恐れているかの証明である。

なにやら残念な気がするが、日本の政治というのはこの程度のものなのだ。

ちょっと前、女房から、「ねえ、こんどの総理大臣は誰になるのー?」と聞かれ、「鳩山じゃないのー。」と答えた、「どっちの鳩山?」って聞くから、「どっちかの鳩山」って言った。案外当たるかも・・・・。

さて、昨晩、ドキュメンタリー番組、「告発 現職警官」をみた。地元愛媛テレビによる1500日の密着番組で、よくぞ報道したなと感心した。裏金作りに協力しなかったため出世をあきらめ、嫌がらせをされ、よくぞ定年まで勤め上げた、テレビ局としてその涙の日々をよく描いていた。

ただし、不満も残る、つまり、警官達が苦労して作った裏金をどのように活用しているのかが報じられていないのだ。問題は、裏金が積もり積もって最終的に上層部へ上納されるという事であり、単に、裏金というだけならどこでもあるじゃないか、で終わってしまう。ここら辺が報道するにちょっと難しいのかな?

もうひとつ。同じような疑問に直面している人は全国にたくさんいるはずだ。警察に限らず、市役所、県庁、国家公務員、すべてに裏金は存在すると見てよい。それらを告発したいと考える人が昨日の番組を見たとすれば、おそらく大多数の人は、俺にはあんな勇気はないな、で終わるのではないか。
結局、彼が頑張り、くじけなかったわりに、組織はびくともせず今でも裏金作りに精をだしている。
新しく告発しようとしても、相手はびくともしないなら単なるドンキホーテになってしまい、人生を棒に振るぐらいなら、より楽なほうを選択するだろう。裏金の根絶は困難で、それを取り締まる立場の警察からして汚染されているのだから、国民としてはなんとなくあきらめてしまう。そんな気を起こさせるのがこの番組の目的だったりして・・・・。

番組をみて、うれしさ半分、むなしさ半分でした。
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by sibanokuni | 2009-05-12 09:43 | シバちゃんのため息

菊の垂れ幕の背後への引退?

昨日は夕方までお祭りに行っていたのでお勉強が出来ず、本日はブログに書くことがないなあ・・・・。
女房の実家は大垣で、義理のお兄さんはとても頭の良い人だ。ビックリするほどたくさんの本を読み、あふれるほどの知識は頭に納まらずメタボのように腹の中に収納されている。ただ、残念なことに、極めて保守的な考え方で、言ってみれば私の天敵のようなものだ。
昨日もいろいろと論争したが、見事に合わない。しかたがないな・・・・・。年は3っつしか違わないけど・・・。

北朝鮮の話題になり、「横田めぐみさんは金正日将軍の皇后なんだよ・・・。」と述べると、真剣に「本気でそんなこと信じてるの?」と、もはや精神異常ではないかと心配してくれた。いいでしょう、今に真実が判明した時思い知らせてやる。もっとも、それは10年も20年も先のことかもしれない。墓場のなかで、「やはり、マヨちゃんのいう事は正しかったみたいだね・・・」と言わせてやる。

兄貴は一応、建築関係としておこう。彼は最近の景気を、「マヨちゃんたちとは違って、今の建築業界は恐ろしいほどの不景気で、売ること自体より売って引っかかるのが怖くて売ることも出来ないんだよ・・・」と述べる。
冗談じゃない。私の本業、繊維関係は20年間、絶不況を続けてるんだ。むしろ最近不景気になった人たちとは経験が違う。太平洋戦争の経験はおろか、西南戦争から戦争をしていたほどのつわものなのだ。

私は20年間の繊維不況を国策不況と呼ぶ。細かいことは言うまい。とにかく国策として繊維産業は中国へ移転した。この国策は一体誰が決めたのか?

以前から、平成になってから日本が変わったのは平成天皇になったからだというのが私の主張だが、ほとんど人は怪訝な顔をする。では、他に何がどう変わったというんだい?偶然なのか?

「天皇の陰謀」、第5巻に東京の軍人が三日間かけて大阪の財界と話し合いをしたとある。P110
1940年10月24日、皇室の仲介によって海軍将校の代表が日本の銀行家との三日間の会合のため、日本の商業中心地大阪を訪れた。海軍のサムライにとって大阪へ足を運ぶことは譲歩を意味していた・・・・・。
海軍の代表は連合艦隊総司令官、山本五十六に率いられていた。・・・・・

これはノモンハンが終わり、いよいよ大戦争に向けて不足する軍費の調達をお願いするため、海軍が大阪へ頭を下げに行ったのだ。ミニー氏が日本の歴史をどのぐらい承知しているかわからないが、日本の支配構造の中で、大阪にその一角があることを彼は気付いていたようだ。
以前から私は大阪府と京都府は日本ではないと言っている。つまり、江戸政府は軍部で、大阪は財務で、京都は権威の都なのであり、大阪とは、銀行と商社が支配する「銭儲けの都」なのである。

大阪商人はゼニのためならなんでもする。(これは私の偏見ですが・・・) 古代のソグド人がシルクロードで武器売買や奴隷売買を繰り広げてきたそのままの伝統が今も大阪に残っている。軍部は膨大な戦費の調達をするため、悪魔と手を結ぶことにしたのだ。

ついでにこの年の十月、三国同盟が確実に西側との大戦争の引き金になると悟った皇室は、戦争が敗北に終わった場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始したと述べている。P108

その計画の第一段階は、皇族を責任のある地位から退けること。第二に、戦争準備段階で何の役割もなかったかのように見せる、表向きの筋書きを作ることだった。

その菊の垂れ幕の背後への引退は、十月三日に、閑院宮が陸軍参謀総長の職を辞した時に始まる・・・とある。

天皇の戦争責任を述べる場合、このように一歩ずつ外堀からうめてゆかないとなかなか説得力が出てこない。八百長をする場合、絶対にそれがばれないようにする努力が一番重要なので、八百長試合自体はそれほど難しいことではないのだ。
さあ、戦争が始まるまで一年と少々、これから外交でのアリバイ作りが始まる。一番気の毒だったのが、東京裁判で死刑になった松岡外相である。彼は一体どうして裕仁に嫌われたのだろうか。
この疑問に答えるのにはもう少し時間をくださいね。

お知らせ・・・本日、テレビ朝日系、報道発ドキュメント・・(夜7時から)で、先日記事にした「さらば警察、裏金告発した現役警官、報復人事・・・・盟友の死・・・定年までの壮絶1500日」というナガーイ題名の番組が組まれています。テレビ局が警察の腐敗にどこまで近づけるか、とくと見せていただきましょう。
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by sibanokuni | 2009-05-11 06:35 | マヨちゃんの陰謀論

大垣まつりから帰りました。

「シバちゃん、帰ったよー。」
「フンニャー、遅かったジャン」
「ゴメン、ゴメン」
「写真みせてよ・・・」
と言う事で、少しだけ公開します。あんまり上手に取れなかったな・・・・。
11台のやまが次々と登場しますが、全部のせるのもなんなので、
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やっぱし、女の子のかわいらしいところもね・・・
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最後に八幡様の前に集合します。
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by sibanokuni | 2009-05-10 19:29 | シバちゃんのため息

大垣祭へ行きます。

「シバちゃん」、「ふんにゃー。なにー、マヨちゃん」
「今日は大垣祭に行くから、お前はお留守番しろよ・・」
「ぎゃー、なんてこったい!僕も行くー。」
「だめだめ、猫は見つかると焼かれて屋台で食べちゃうんだぞ。」
「うそー、でも恐そうだな、やめとくかにゃー」
「うん、そうしなさい」

と言う事で、昨夜無理やり記事をアップして今日はおやすみ。
いい写真が取れたら公開するね。

最近コメントが少ないんだけど、アクセス数は多いんですよ。
まあ、読者に媚びないマヨちゃんだから、しかたないっか。

追加・・・昨夜書いた記事で、北朝鮮問題のアプローチで私は黒龍会と書いたのですが、今朝飯山氏のブログをみると、ちゃんとそこへ言及している。すごい!あの人はすばらしい。うーん、ここでユダヤか・・・・。
まだまだ国民の知らない日本の秘密はたくさんありそうだな。
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by sibanokuni | 2009-05-10 05:36 | シバちゃんのため息

サイモンとガーファンクル

「ねー、マヨちゃん」
「どうした、シバちゃん」、「サイモンとガーファンクルが名古屋へ来るよ。」
「知ってるさ、でも平日だし、高橋真梨子は行くけどガーファンクルはやめとくよ。」
「フーン、でも久しぶりに聞きたいね。」
「うん、じゃあDVDで聞こうか?」
「にゃー、うれしいにゃー」

・・・・てことで、1981年にニューヨークのセントラルパークで収録されたサイモンとガーファンクルを聞きながらブログを書いてます。ここだけの話し、たぶんレコードを聞いてたほうがいいと思うよ。

今年は拓郎の最後のツアーに行かなきゃいけないし・・・、たぶん年末にはこうせつもあるだろうし・・・、忙しいな。

テレビは新型インフルエンザで大騒ぎ、ホテルに缶詰にされた人たちはかわいそー、人の予定もひったくれもありゃあしない、あちこちのブログで単なる風邪じゃないかと言ってるのにマスコミの騒ぎはなんだ。いやな感じ。

さて、「天皇の陰謀」、全7巻を買われた方もいらっしゃるようですが、先ほどアマゾンで見ると一冊2000円なんて値段がついている。いくらなんでも、元は750円ですから、こんなぼったくりで買ってはいけませんぞ。
根気よく一冊ずつ探してください。鬼塚さんは図書館で全部コピーしたと言ってた、根気がいいね。

今日は第五巻を読んでますが、ちょっと無視できない記事があったので、そこだけ引用しておきます。
第五巻p38より
1937年(昭和12)三月十八日には裕仁の弟秩父宮が、十五名の直属の部下を随員として日本を出発して、ロンドンで挙行されるジョージ六世の戴冠式出席の途に就いた。西欧側の文献では知られてないが、彼はジョージ六世を説得して、最近退位した兄のエドワード八世との間では成立していたと裕仁の感じていた、中国における日本の特権的な地位を認めるという合意条項を更新するという、秘密の使命を帯びていたのである。

私のガーター勲章理論を思い出してもらいたい、二二六事件の翌年である。いよいよ本格的に戦争に向かって準備を進める段階で、裕仁は念には念を入れ弟を英国へ派遣し、確約を求めに行ったと思うのは私の考えすぎか?
しかし、ミニーさんは英国主導の八百長戦争とはまったく主張していないので、偶然書き留めた出来事だったのか・・・ただし私的には無視できない。

ついでにもうひとつ、私の忘備禄として引用して置きます。五巻P99より、

黒龍会解散の後、地下の頭領、頭山満は1936年に皇室と停戦し、天皇の叔父東久邇宮と取引をした。その結果、頭山は貧民街の支配をつづけ、皇室の側近達は頭山を警察には不法だと思われる仕事に利用した。
木戸内大臣は・・・・日蓮宗の行者、井上日召を通じて、頭山と連絡を定期的に取っていた。

この記事が気になるのは、現在でもこの関係は切れていないのじゃないかと言う事を指摘しておきたいからで、色々な含みを持つ文章だと思う。

飯山さんは最近いろいろなところで注目されているようだが、インフルエンザの記事はもちろんのこと、横田めぐみさんの連載は格別興味深い。今日の記事では在朝日本人なんて話が出ていたが、私のアプローチはそちらではない、在朝黒龍会なのだ。あいにくこれ以上の情報はないので書けません。もう少し勉強します、お待ちください。

最近古代史はどうしたの?との質問はまったくないけど、実は、シベリア南部からスタートし、アムール河を下り日本までやってきた金大好き、トンネル掘り大好きな人々が日本のご先祖様に違いないと考えたところで研究がまったく行き詰ったと言うのが本当のところです。何処から調べればいいのかを考えながら、少し途中下車してます。たまには昭和史をひっくり返して気分転換します。また、なんか思いつくんじゃないですかね。
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by sibanokuni | 2009-05-09 19:42 | シバちゃんのため息

世紀の八百長、ノモンハン

いよいよノモンハンの話になってしまった。戦前の歴史の中でこれほど謎の多い戦闘はないのではないか。世紀の八百長という以上、じっくりとその陰謀を解き明かさねばならない。

ここまでの数々の陰謀は主に国内問題であり、比較的単純な八百長だったといえる。すなわち、天皇の中国進出の野望に対する、国内の反戦派の議員や陸軍北進派との内紛だった。従って、暗殺にせよ反乱にせよ陰謀論的に言うなら初歩的な構図であり、見え見えじゃん!というべきものだった。
しかし、このノモンハンの戦いは違う。その陰謀のスケールはドイツ、ソビエトを巻き込む壮大な八百長だったのだ。しかも、この間にドイツがヨーロッパで本格的に戦争を開始するのである。

では説明しよう、昭和14年(1939)の日本の状況だが、首相は反共産主義に凝り固まった平沼で、裕仁がソビエトに圧力を掛けないことで若干いらいらしている状況であった。そしてドイツとは防共協定は結んであったものの、本格的な条約を結ぶべくヒットラーからイタリアを含む三国同盟を結ぶ依頼が来ていた。
裕仁はそれに対し、二つの条件をつけることでヒットラーの機嫌を損ねていた。条件とは、「民主主義諸国を相手とする同盟についての条項は秘密協定とする。」、もうひとつは、「ドイツの参戦後、すぐに参戦するわけではなく、軍備が整い次第参戦する。」の二つだった。

ドイツは英仏との対戦を望んでいたが、ロシアに背後を突かれない為、ソビエトと不可侵条約を結ぶか、もしくは日本に対し軍事的な同盟を結ぶかの二者択一であった。

ソビエトとしては、二方面で同時に軍事脅威を感じることは国家の存亡の危機になってしまう。
早い話、ドイツと日本が手を組み、ソビエトに両側から圧力をかける事が両国にとって一番有利な戦略だったことは明らかである。

そしていよいよ裕仁は昭和14年五月11日、ノモンハンに向けての侵攻を許可した。しかしながら100万からの大部隊である関東軍から第二十三師団と第六軍のあわせて6万という比較的小編成の部隊であり、しかもひどく狭い範囲での作戦であった。
このときソビエトは日本で活動しているゾルゲから裕仁は本格的に進行する気がない事を聞いていた。

7月18日、スターリンはヒットラーに対し不可侵条約を結ぶ意思を表明する。
そして運命の8月19日、ソビエトの反撃は日本軍の想像を超えていた。つまり、西部戦線に回すべき部隊のほとんどが極東地域に回されていたのだ。
このときの戦闘で、東久邇の息子、東久邇護博中尉は側近に勧められ敵前逃亡をした。(一部で捕虜になったという説もあるが、ほとんどの目撃者が死ぬか自決させられ、真実は闇の中である。)

別の資料だが、小松原師団長の7月28日の日記を見ると、「敵の頑強なる抵抗をみると、平沼首相が全面的な戦争にならないと言明していること。7月3日の戦闘で、我が軍の飛行集団の作戦命令が敵に渡り、我が軍の編成が判明した・・・・」と書かれ、ソ連は日本が事件を拡大しないことを知っていたから安心してやってくるといっている。

8月19日、ヒットラーとスターリンは相互不可侵条約を結び、日本との協定は無視すると言明する。
8月22日、ドイツを信じていた平沼首相は「複雑怪奇なり・・」と述べて辞職する。
9月1日、ドイツはポーランドへ侵入。英国は直ちにドイツに宣戦布告する。
9月1日、裕仁はノモンハンの前線へ向けて、戦争を中止するための努力を開始する。
関東軍は反撃の許可を求めるが、反攻を望む関東軍司令官植田大将を更迭。
9月16日、ソ連との休戦協定を合意。
二十三師団の小松原中将は日本に帰国後切腹。将校の多くが戦死するか自決して果てた。

簡単に書くとこれだけの話なのだ。どう考えてもおかしい。何十万の兵士が関東軍には無傷で待機していた。誰が考えてもソ連と休戦する必要はないのだ。ドイツとさっさと協定を結び、全軍を挙げてシベリアを目指せば、ソ連は間違いなく崩壊し、ドイツも心置きなくヨーロッパ戦線に専念できたに違いない。

歴史にIFは禁物だけれど、裕仁がドイツとの同盟を躊躇しなければまったく違う世界がそこにあったはずだ。
共産国家ソビエトを育成するのが英国王室の方針で、それに対し日本もドイツも逆らえなかったという八百長の真髄がここに明らかに見えているではないか。
最終的にドイツはソ連と闘うことになるし、日本も最後にソ連に裏切られる。その悲劇の大元はこのノモンハンから始まったのだ。

司馬遼太郎がノモンハンを書けなかったのは当然である、いかに優秀な小説家であってもこの戦いを美化することは不可能である。なぜならこの戦いの戦犯は天皇その人だからだ。司馬遼太郎も松本清張も書けなかった、それが日本の現実で、ペンは金より弱しという事だろう。
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by sibanokuni | 2009-05-09 11:02 | マヨちゃんの陰謀論

しまった!騙されてた。

いやー、まいった。皆さんに謝らなければ・・・・甘かったな。
昨日、「天皇の陰謀」第四巻、二二六事件の巻を読み終わった。以前読んだ時にはわからなかったけれど、今回ははっきりと理解した。相沢事件と二二六事件、ともに八百長だ。これは間違いない、明白な陰謀だ。

私の勘違いの元は山下少将(あのマレーの虎だ)で、彼が東久邇に雇われた南進派のスパイだとはうかつにも気がつかなかった。山下と秩父宮は関係が深く、これで線が一本につながる。青年将校は国体原理主義の過激派にそそのかされ、頭山満や北一輝などに扇動されたのだ。最終的に秩父が頭に立つように見せて決起させた。北進派は計画を知っていたが、まさか本気だとは思わなかったのではないか。というのも、クーデターにしてはあまりにもおおっぴらで、ずさんな計画だったからだ。憲兵隊はもちろん、軍幹部はすべてを掌握していたのだ。

では、相沢事件は一体何だったのか?以前、宇垣大将を失脚させる原因となった偽装クーデターといわれる三月事件を計画したのは永田軍務局長で、荒木は永田の作った計画書を入手していた。そして、真崎教育総監の更迭に激怒した荒木大将は林陸相にその計画書を提示し、脅迫していた。この計画書を表に出し、永田を問い詰めれば天皇周辺に被害が及ぶことは確実である。そこで、永田の口封じのため、東久邇が相沢に頼んだのであろう。北進派としては生き証人を殺されたというべきだ。

陸軍全体として二二六事件はむしろ巻き込まれたというべきで、積極的に関与した幹部はいない。ただ、東北の冷害や、折からの不景気で青年将校たちの主張にはある程度の共感があったことは間違いない。
しかし、天皇のあまりの怒りに陸軍幹部は圧倒されたということだ。

いずれにしても私も騙された。秩父宮と裕仁が不仲であったかどうかは永遠の謎ではあるが、まんまと原理主義派はいっぱい食わされた。彼等は宮様に救ってもらえるものだと思っていたが裏切られたのだ。もちろんアルカイダみたいなもので、もともといかさま用のテロリスト集団といったほうがふさわしいのかもしれない。

この後、北進派はほとんど要職を追われ、真崎、荒木は失脚し、本庄侍従武官長は天皇の下を去った。
この事件で裕仁は天皇の権威を不動のものとし、望みどおり中国戦線を拡大させていく。
ついでに言うと、このとき朝香宮は反乱兵士に同情し、裕仁の不興を買う。このことが南京での虐殺の命令に逆らえない源流になっていく。

考えてみても、当時の軍部にとって陰謀であることは明白だったが、よもやその中心に裕仁がいたとは思いもよらなかったのではないだろうか、もしくは承知していたのだろうか。それも謎か・・・・。
とにかく北進派はほとんどの勢力をそがれた、彼等に皇道派という名前が付けられたのはまさに皮肉というべきだろう。
この事件の後、日本の軍事支出は三倍に膨張し、軍隊の規模も十七師団から二十四師団へと拡大する。

松本清張は昭和史発掘といいながら二二六事件で筆をおいた。司馬遼太郎はこの後のノモンハン事件を書くことは出来なかった。清張はあほらしくなり、司馬は真実を知ったため、猫のシバちゃんのようにおとなしくなったのだ。
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by sibanokuni | 2009-05-08 06:33 | マヨちゃんの陰謀論

天皇の憂鬱

「天皇の陰謀」を読んでいるところですが、私も含め、学校ではその時代をあまり習っていない気がしてならない。高校時代は受験勉強に忙しく、いわゆる戦中、戦後の歴史をまったく駆け足で通り過ぎ、ほとんどを、「こんなことがあった・・・」程度で済ませ、興味を持つ人は本を読むか、または映画やテレビで知識を補ったものと思う。
いうまでもなく、それらの映画やドラマ、そして御用学者の書いた「結論ありき」のノンフィクション物は完全に偏向しており、シーグレイブ氏やバーガーミニー氏のような書物に出会うと従来の知識はなんだったんだろうと驚くことになる。どちらが正しいかの判断は自由であります。
とにかく「天皇は軍部の独走を止めることができず、やむを得ず戦争に踏み切った。」という結論に落ち着くようにドラマは組み立ててある。そう思いたい人たちはそう思えばいい。そのほうが幸せならばそれでいい。
私の母も、「もういいの。たくさんの人たちが国のために死んでいったんだから。いまさらあなたのようなことを言ったって死んだ人は生き返らないのよ。」といい、決して真実に耳を貸そうとしない。無理もないか・・・。

歴史の真実が明らかにされるには時間が必要で、関係する人たちが、しかも権力を持っている人が生存している限り明らかには出来ないのだろう。ただし、例えばあるとき、本庄日記の未公開部分が明らかにされたり、木戸日記で未公開部分が発表されたりすれば、現在の歴史教科書は大幅に書き換える必要が出てくるだろう。
また、米国の公文書はよほどのことがない限り公開されることが原則である。今に私の説がまんざらでもないことがわかる日が来るだろう。

さて、二巻から三巻には満州事変から二二六事件に至るまでの事件が書かれている。これらをこの本中心に考察することは公平ではないだろう。またたくさんの抗議を受けるのも億劫である。早い話、たくさんの人が暗殺された、それが偶然の出来事だったのか、あるいはひとつの目的のために仕込まれたものなのかと考えるのではまったく違う世界になってしまう。偶然だったにせよ、計画通りだったにせよ、はっきりしていることは戦争の障害になっていた人物がよくもこれほどうまい具合に殺されたものだと感心してしまうことだ。それは浜口首相であるし、犬養首相であるし、井上蔵相だし、高橋是清たちである。
それらの中で、おそらく偶発だったのは相沢事件と天皇機関説事件であろう。
この天皇機関説事件はまことにわかりにくい話で、YamatoDynastyの翻訳時に少しだけ調べたが、まったく何が問題だったのか理解できなかった。しかし、裕仁をはじめとする南進派にとって極めて重大な事件だったようだ。この件は日を改めて検討する。
いずれにしても、裕仁にとって一番目の上のたんこぶは西園寺公だった。彼は暗殺されることもなく、また二二六事件にもリストからはずされ、要はどちらの陣営からも別格の存在だった。なぜか?たった一人残った元老だからか・・・?
鬼塚氏は彼の著書「日本の一番醜い日」のなかで、裕仁の出自にふれ、彼は西園寺の孫に当たると書いている。大正天皇は子種がなく、節子皇后は幾人かの男と子供を作り、最初に毛利家から養子になった西園寺八郎と関係した。秩父や高松については闇の中であるが、それぞれ父親が違うことは、その顔を見れば予想できるではないか。(僕が言ってるんじゃないよ、本にそう書いてあるって言ってるんですよ。)
裕仁にとって西園寺公に頭が上がらないのもあたりまえか・・・・・。それにしても節子は秩父を溺愛し、二二六事件が本当は天皇を交代させようとする一大クーデターであったという説もまんざら根拠がないわけではない。青森から急遽東京へ戻る道中、高松宮が列車に乗り込み説得したためクーデターが失敗したという。もちろん当日の高松日記には何の記述もない。
天皇裕仁に男子が誕生せず、いっそ廃帝しようかとの論議はあったようだが、そんな時、突然皇后良子は男子を出産した。なにか、紀子さまが男子を生んだ状況と似た話だが、いずれにしても裕仁は絶えず秩父宮の存在におびえていたことは間違いがないようだ。
つまり、裕仁が圧倒的な権力を持っていたと考える方法と、やはりその地位が常に危ういものであったと考えるのと二つの方向からアプローチしなければならないのだ。
ただし、二二六事件が片付き、西園寺が死んだ後は、もう誰も天皇を制御することが出来なかったというのは歴史的事実ではないかと考えます。
なんてことで、また危ない記事を書いてしまいました。
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by sibanokuni | 2009-05-07 09:52 | マヨちゃんの陰謀論



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