シバちゃんのため息

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たまにはmayo理論の更新

難しくて、読みにくくて、私を悩ませていた栗原茂氏の「超克の型示し」をまずは一読した。本当に厄介な書き方がしてあり、まるでなぞなぞゲームのような本である。ちょっと高価だが、私にはそれだけの価値はあったと思っている。
さて、この本の中で、皇室に非常に近い立場である彼が書いているのだからこそ無視してはいけない言葉がいくつかある。ひとつは、南北朝問題などどこにもない。という事、そして皇紀2600年の間血流の途絶えたことは一度もない。さらに、皇室の継承に口を挟むなど許されることではない、という事。

その三つを頭に入れながら日本の支配者を考えて見ようという企画であります。まず、前提は皇室の力は誰にも逆らえないぐらい強いという事。そして庶民には見えないだけで、皇室がひそかに動かすことができる影の勢力があるという事。そして、皇室に嫁ぐことの出来る家系が政治を動かすことができること。この前提が崩れたら本日の理論は全部なかったことにしてください。

足利幕府末期、キリスト教の侵略に危機感を覚えた皇室はいくつかの勢力を統合し、日本全土をひとつにする必要を感じ、国内でトーナメント争いを演じさせることにした。思わぬ伏兵は信長だった。仕方がないので、秀吉と家康を使い、なんとか天下を統一させた。つまり、秀吉も家康も天皇の支配化にあったという事ですな。これは天皇家がキリスト教に対し危機感を持ったことがきっかけなのである。
政治は徳川に任せ、その監視役として天海を派遣した。ところが家綱のころから徐々に徳川家も野望を持ち始め、天皇家をないがしろにし始める。
そんな中で、西欧諸国が日本を視野に入れ始め、時折り日本に来航するようになる。海外に派遣していた秘密諜報部員は盛んに皇室に対し危機感を煽っていた。皇室は今一度大きな変革が必要だと感じ、水戸藩、長州藩、そして徳川に対し大政奉還を申し出る。
そこへ英国の組織が薩摩に働きかけ、その陰謀に対し協力を申し出た。まあ、いろいろあっただろうが、とりあえず明治維新は成し遂げられ、新政府は出来上がった。つまり、明治維新は天皇家が西欧の植民地主義に対抗するには徳川家では不十分と考えた事になる。

さて、栗原氏が大室寅之助に対しどう考えるかと言うのは微妙な問題である。ただし、血流は途切れていないと彼が言い切る以上、私としては大室氏にはそれなりのお種があったと解釈する。
京都の公卿が長州へ落ち延びたのは長州にそれなりの玉をお連れしたとも考えられるわけで、そのようなことを庶民が論議するでない、とのことだろう。

このときの出来た新政府は主流が長州、そして次に薩摩、そしてこっそり徳川も参加している。
新政府は長州を主体とし、英国の圧力をかわしながら大アジア構想を推し進め、日本はアジアの大国になっていく。明治、大正時代、国家理念としては大アジア主義であり、西欧風植民地支配だという思惑はなかったと考えている。(これは異論があるだろうな・・・)
問題は昭和に変わるころである、このとき山縣が失脚し、長州の主導権にかげりが出始める。つまり、ここで支配層がチェンジしたのである。わかりやすく言うなら皇道派が破れ、統制派に変わった。いうまでもなく統制派と言うのは親英派薩摩である。昭和から終戦まで彼らが日本を動かした。
終戦後、反省をしたのであろう、支配者は皇道派にゆだねられ、日本は奇跡の経済発展をした。
戦後の政治をとやかく言う人もいるが、政権に参加できなかった者達のひがみや嫉妬も考慮に入れる必要がある。とにかく日本は成長し、庶民は大変に潤ったのは認めてもいいんじゃないか。

それが変わるのは昭和天皇の崩御である。平成の世となり、皇族の構成が再びチェンジした。つまり、もう一度統制派に政権が移るのである。
それから20年、彼ら統制派はやってはならない決定的なミスを犯した。すなわち、皇位継承に口を出してしまったのだ。天皇は何もおっしゃらないが、しかし、天皇の継承は天皇のお決めになる専権事項なのである。
あの小泉の苦笑いの意味はなんだったのか、あれは「やられたー!」である。かくして自民党の下野は決定され、今回の政権交代が成し遂げられたのである。

超右翼の皇国史観バリバリの栗原氏とアナキ思想の私と見事に一致するのは、天皇こそ日本の国家元首であり、諸外国であろうが、誰も犯すことが出来ない高貴な存在であるという事だ。栗原氏は皇紀2600年の伝統で、私はアムール川から降臨された「お種理論」でそれを裏付ける。
つまり、今回の政権交代は平成天皇がお認めになり、皇位継承に口出しをしようとした自民党に対する天誅なのであった。
この理論が正しいかどうか、ここ数年見守る必要がある。違っていたらごめんなさいね。こういう考え方も面白いんじゃないかな?
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by sibanokuni | 2009-10-03 10:17 | マヨちゃんの陰謀論

夫婦別姓する?

夫婦別姓の法案が出されそうだと言う。現時点で国民的論議がなされているとは思えないので、やや疑問符が付くのだが、論点は色々とありそうだ。ほんとに提出するのだろうか。
まず日本の伝統的家族制度が崩壊するのではというが、すでに崩壊しているからいまさら・・・という気もしないではない・・・・・。まあ、庶民に苗字が与えられたのは明治以後のことで、貴族や豪農、さらに武士以外は「山田村のごんべえ」とか、「尾張のまよちゃん」だったわけで、伝統というほど古い物ではない。もちろん貴族にとっては命より尊いものだっただろう事はいうまでもない。とにかく、姓があると言うのは大変にありがたいことなのだと、お国に感謝しましょ。ただ、姓を与えたのは徴兵制と税金を取るためだったんだけどね。

えーっと、結婚すると配偶者の実家に組み入れられた様に感じ苦痛である?最近は奥さんの実家に居候したり、女房の実家と二世代住宅を作ったりと、現実の方がすすんでいたりして・・・・・。
勤め先で姓が変わることで不便だ?うーん、確かに・・・、このあたりは柔軟に対応した方がいいかも、ただ、離婚した場合は旧姓のままの人のほうが楽だな。もちろん、男だって養子に行ったら同じだ。この辺は何とでもなるんじゃないか。
昔のような家対家という結婚の概念はすでになく、出来ちゃった結婚が主流となった今、家が滅ぶとか名が消えるなんて格別な血流以外はたいした意味はないかも。
まあそれと、男女差別撤廃を叫びだしたらもうどうしようもないやね、全部田嶋陽子さんのおっしゃるとおりですよ。
でも、今は逆に男の方がはるかに差別されてる気もするんだけどな・・・・まあ、田嶋さんなんかはきっとよほど損する事が多かったんだろうね。

誰と話をしても、やはり子供の問題が大きいと思う。試案では出生届を出す時に選択するという案らしいが、途中で気が変わった場合、あるいは、兄弟で姓が違ってもいいのか悪いのか、離婚するとどうするとか・・・。
私はこの論議はパスします。全然わからないや。どっちでもいいようなわるいような・・・。

いっそ、混合氏名にしましょう。田中・山田・華子、鳩山・小沢・一郎、・・・なんか外人と比べてかっこ悪いな。
ただ、僕の知ってる女の子で自分の苗字が嫌いで嫌いで、結婚する理由が姓が返られることだったってこともありましたよ。苗字が変わると自分も変われるってあるんじゃないかな。
ただし、私の専門、古代史において夫婦別姓だったとしたらこんなうれしい事はない。なぜなら系図を読み解く場合、母方をたどることで非常に苦労するのだ。藤原・佐々木、笹川・石橋、と書いてあったとしたらどんなに楽だろう。うん、これはいい。過去に遡ってぜひやってもらいたい。前にも言ったように、横田めぐみさんのお母さんの実家は絶対にわからないよう緘口令が敷かれている。仮に別姓なら一発ではないか。うん、やっぱり別姓がいいかも・・・。
うーん、でもわからない、まだ法案提出は早いんじゃないの?ただ、お役所としては大変な事になることは間違いないだろう。
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by sibanokuni | 2009-10-02 06:00 | シバちゃんのため息

張作霖を殺したのは・・・

月刊日本の10月号、落合莞爾さんの疑史を読み、なんとなくむずむずしていた、が、あいにく余り時間がない。下の記事は昨晩、二時間ぐらい掛けて資料やネットを駆使し調べたものです。
何がむずむずしたかと言えば、薩摩上原元帥の草であった吉薗周蔵がこの事件、つまり張作霖の暗殺事件の内幕を知り、草であることを辞める事を決意するのである。つまり、上原氏が裏で何かを裏切ったことを知った吉薗は自分の親分に失望したのである。もっというなら、国益を損ねたと言うべきなのか?

じっくり調べたいのは山々だが、あいにくそれほど時間が取れるわけではない、月刊日本の8月、9月、10月、それにGoldwarriors、もうひとつ、栗原氏の「真贋・大江山・・・」、それと「天皇の陰謀」などを順々に読み、とりあえず結論のようなものを出してみた。実際、参考資料はいくらでも在り、調べだすと一週間は必要だろう。ただ、一点、この事件は誰が考え、何のために起きたのかだけを考察してみた。
内閣の面々、政治状況、それら全部を考えるとそれだけで一冊の本になってしまう。それほどの意味があるとも思わない。不十分ではあるが、一応考察したが、もとより絶対に正しいと言う気はない。ひとつの考え方を述べるだけで、また他の状況から修正する必要はあるだろう。


月刊日本の10月号に、疑史(落合莞爾 第61回)が連載されており、ここ数回は張作霖暗殺についてである。たまには満州関連のお勉強をしよう。
ついでにということで、Goldwarriorsを引っ張り出し、その第二章を見ることにした。まず、シーグレイプ氏は「張作霖の暗殺は、中国の学生が奪われていた政治的金銭的権益の返還を求め、日本商品のボイコットを開始、公然と示唆行為をおこなっていた。そして、その裏に張作霖がいることを知った日本軍は彼を殺す事を決定した。暗殺は河本大佐で、日本政府も承知の上で実行する。」と書いている。(相変わらず下手くそな翻訳だ・・・・ところで、日本政府とは誰を言う?)
落合氏によれば、田中義一と蒋介石が会談し、交換条件を出す事で暗殺が決まったとある。つまり、蒋介石は満州の租借と引き替えに軍閥の一掃、即ち、張作霖を亡き者にするということである。つまり、田中義一は暗殺を知っていたとなる。しかし、吉薗日記によると、陸軍の人事権を握る田中と宇垣は上原とは不仲なのに、上原元帥が暗殺に関与しているというのである。
その前月号(9月)には、張暗殺を知った吉薗は、上原元帥がそれに関わっている事に気づき、「これで一番困るのは田中義一である。」と書いている。これでは少々つじつまが合わない。なぜ田中が困るのだ?落合氏の記事でこれはわからない。

wikiを見よう、「同年(1928年・昭和3年)に起きた張作霖爆殺事件に際して、田中は国際的な信用を保つために容疑者を軍法会議によって厳罰に処すべきと主張したが、陸軍の強い反対に遭ったため果たせなかった。このことを野党立憲民政党に批判され、また昭和天皇にも「(この事件を犯人不明としてその責任者を単に行政処分で終らせたといふことは、帝国の陸軍の綱紀を維持する所以でないといふことを御軫念になり、田中総理に対し)お前の最初に言つたことと違ふぢやないか」と強く叱責され、「(奥には入って鈴木侍従長に)田中総理の言ふことはちつとも判らぬ。再びきくことは自分は厭だ。」[3]と勅勘をこうむったため、田中は涙を流して恐懼し、翌1929年(昭和4年)に内閣総辞職した。」、とある。独白録で、「あれはちょっと・・・」と天皇が後悔したところである。軍の統帥権は天皇に属し、田中には何の責任がなかったと言うのに・・・・。

この数ヶ月後、田中は病死する。誰もそれを病死とは思わなかっただろう。
結局のところ、田中は暗殺というより、蒋介石の邪魔はしないよという言質は与えたのであり、暗殺までは考えていなかったとするしかない。なのに、暗殺が行われたため、驚き、怒り、本気で厳罰を与えるつもりだったが、上原元帥が関わっていると知り、処分を断念することになったのだろう。こう解くべきだ。
不思議なのは、軍部はこのにち中国側の報復を予測し、東京からさらなる援軍を送らせ、ついでに満州を占領しようと考えるのだが、内閣は援軍を送らず、満州の占領は石原莞爾の陰謀まで待つ事になる。

結果的に言って、これは上原元帥が田中義一の失脚と、張作霖の暗殺で、皇道派の構想である中国分断政策を妨害する策謀であったと言う事であろう。少なくとも結果的にそうなる。
戦前の話は恐ろしく難しく、専門家からみれば素人の分析などと笑われそうであるが、従来の史観に拘束されない分、単純に読み解く事が出来るのだ。

解説しよう。本来、田中義一を中心とする陸軍は張作霖と協力し、清国から譲り受けた満州を経営し、清王朝を満州へ避難させる。そして中国本土は国民党と共産軍で戦わせるつもりだったのである。張作霖と協力関係にあれば清から譲り受けた満州の租借権は正当であり、西欧諸国も手が出せない。ところが張作霖が殺され、その息子、張学良が蒋介石の南京政府に統合されるや、日本が満州にいる正当性が国際法上無効にされるところとなる。
これこそ英国式ワン・ワールドの陰謀たる所以で、みごと罠にはまった日本は満州租借件を失い、世界中から孤立を深める事になる。ちょっと無理があるかな?つまり、張作霖暗殺は国益を損ねたのである、そしてそのトップに吉薗の親分、薩摩上原元帥がいたという事である。教科書に出てこない歴史とはこのようなことなのだろうか。

こんなややこしい話はほとんどの人が興味を持たないと思う。ただ、こんな些細なところに巧妙なうそが盛り込まれ、国民を洗脳してゆくのである。
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by sibanokuni | 2009-10-01 06:16 | マヨちゃんの陰謀論



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