シバちゃんのため息

<   2010年 01月 ( 31 )   > この月の画像一覧

宮古島の「金のユリ」

「そうか!ゴールデン・リリーか・・・」、宮古さんから、小泉元首相が頻繁に宮古島を訪れ、下地島をうろついていて不安だとのコメントがあった。あのような場所に訓練用の飛行場がある事自体国民のほとんどは知らなかった事実である。地理的にいっても対中国の戦略的な意味の大きい要所である。
訓練用の飛行場をどうして日本の端っこに作る必要があったのかはまだ調べていないが、誰が考えても不自然な事はいうまでもない。
ところが今朝コメントを見て実にスッキリした。「これだ!」である。洛北さんのコメントを見てみよう。
「小泉が宮古へ頻繁に・・・・に反応して少しお邪魔します。
小泉は何か嗅ぎつけた様ですね。沖縄本島は勿論、周辺の島にはお〇がザクザク!!
宮古へは行った事ありませんが、沖縄本島は調査済みです。
昔何も無い小島(名前は忘れました)ボートで有名な大物が、外周道路とヘリポートと船着場を作った事が有りました。
国民の為に田舎をウロチョロする政治家などいません!
ごたぶんに洩れず、欲の為に右往左往しているのです。外国で歴代の総理経験者の
名前が出たことも有りますよ。」

あのように意味のない施設を作るには理由がある、早い話、Goldwarriorsで描かれた戦時略奪隠匿施設がそこにあるのだろう。私のブログを作るきっかけとなった日本軍の略奪作戦、「金のユリ」作戦をご存知であろう。
フィィピン島はもちろんだが、インドネシアにもたくさん金塊が隠匿されたのである。そうか・・・、宮古島の聖域にも埋めたのだ・・・・。
さあ、スコップもって発掘だ?残念でした。日本のトンネル技術は世界最高で、素人では絶対に掘り出せないし、下手に掘ると爆薬が仕掛けてあったり、罠があったり、そう簡単ではないのだ。ただし、この作戦の指揮官は秩父宮である。つまり、この図面は天皇家の手元にあるのだ。どうして小泉がそれを知ったかは定かではないが、公共事業をする様に見せかけそこらじゅう掘り返すつもりだったのだろう。だから失脚したのかな?

おわび。  昨日は非常に多くのコメントをいただきました。ありがとうございます。もちろん全部読んでいます、しかし、なにぶん読んでいるうちにどれがどれに対するコメントなのか、もともと出来の悪い私ですので一括し、十分に返事が書けたかいささか自信がありません。お許しを・・・・・
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-31 08:41 | マヨちゃんの陰謀論

沖縄と宮古島は仲がわるい?

忙しすぎて記事が書けない。っていうか、月末なので集金などの業務があり、パソコンの前にいる時間が少ないうえに、さらに加治木さんの本が3冊も到着。読みたいやら、コメントも読みたいやら・・・・なにやら、とても記事を考える時間がなくなってしまった。(まゆみさん状態かな?)

とりあえず、宮古島に関し非公開で情報が来ているので、それを引用しておきましょう。とにかく、ネットで探してもそれほど多くの情報が得られるわけではないので、この宮古さん(これは私が勝手につけたHNですが・・・)のコメントはおもしろいし貴重なのである。

昨日、大神島の御嶽が見当たらないので水没したのかな?に関してのコメントです。


「洞窟は水没していませによ。大神はピラミッド型の島ですが遠見台は山の上です。
写真の御獄もかなりの聖地です。かなりの階段をのぼります。不思議ですが、階段を上る前から入り口でチョウチョが待っていたかのように、一緒にてっぺんまで道案内をしてくれます。目の前が見ないほどのチョウチョの大群が待っています。
遠見台の下の方に向かい洞窟があるのです。大神御獄とは違いますが。
ただ誰も知らないし、というか誰も聞こうとしないし、聞いても島人は口を割りません。
なんせ天照大神に自分の仕事が終わり帰宅するまで、留守宅に誰も入れるなと言われており、それを未だに信じて帰宅を待っていますから。ただ大神の神女もかなり高齢で跡継ぎがいないようです。
この御獄は大神島で生まれた人しか守れないと云われて居ます。」

ここが重要です。

「余計な事ですが実は沖縄と宮古の人は犬猿の仲です。(笑)
宮古島が重要な場所と言えば、腹を立てるかもです。」、だってさ。(笑)

「沖縄の人曰く、政治犯などは石垣島に送り殺人犯や凶悪犯を宮古島に島送りにしたと未だに言っています。だから石垣の人はおとなしいと・・・・。宮古島の人は南国にしては物事をはっきりといいます。えこひいきにみても宮古島出身者は沖縄本島で成功者が多いんです。大阪商人にも負けないくらい商売に熱心です。
沖縄の人曰く、宮古人は家系図がないから先祖は凶悪犯だと未だにいいます。
この家系図がないと言う事はどうなんでしょうね。何か理由があるんでしょうね。
未だに宮古島の人は海外で何処の人と聞かれると、日本の宮古島と言う人が多い。
それくらい仲が悪いです。沖縄と一緒にするなという気持ちがあるようです。
母の時代は沖縄本島へいっても宮古出身と云う事で家も貸して貰えない時期がありました。言葉もお互い何をいっているかわかりませんから、沖縄語と宮古語は違う国の言葉くらい違います。コミュニケーションがとりづらい。」

こんな話を大々的にブログに載せていいのだろうかとは思ったが、だいたい国内でも差別の本質は「大事なものを隔離」するために話をでっち上げることが多いので、沖縄と宮古島の関係も、実は宮古島を保護するために、あるいは血が混ざらないよう積極的に差別したのではないかとも思われるのだ。

現地に行ったわけではないので無責任な話かもしれないし、味噌もクソもごちゃ混ぜの感も無きにしも非ずだが、私の被差別部落問題に対する見解は、「貴重なものを保存するために、あえて差別させる」ことがあるのではないか、というものです。
なぜ根も葉もないような理屈で宮古島を差別してきたのかの理由は、私の読者さんなら見当がつくというものだ。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-30 10:24 | マヨちゃんの古代史

地上の楽園から降臨したの?

きのう宮古さんからのコメントで、天照さんの出身地が宮古島と決定した。こんな簡単に決めて言いかという議論はともかくとして・・・・・、その本島のすぐそばにある小島、大神島に降臨されたのだそうだが・・・。
b0166522_20144038.jpg

写真はここから借用まさに地上の楽園、宮古島ですよ、いいな、行ってみたいな・・・。

その前に沖縄地方にたくさん存在する御嶽をちょっと説明しなければ・・・。当然wikiですな・・・・

「宮古群島には、約900近い御嶽が存在している。古くから信仰の対象として人々が祭祀を行う聖地は存在していた様であり、それらの聖地は様々な名称で呼ばれていたようである。 しかし、15・6世紀に琉球王国の支配が強固になり、琉球王国領内の土着の聖地を御嶽 (沖縄)と名付け体系化し、王家(向氏)と関連づけ、神女制度を整えた。御嶽とは、琉球の聖地で他府県の神社に相当する。しかし、神社とは全く異なった祭祀儀礼を行う。祭祀集団は地縁や血縁で組織され、御嶽の中へは、祭祀を行う時以外入ってはいけないとされている。一般の人々も、神社でそうするようには参拝を行わない。ただし、明治時代から昭和の初期に地域の文化を否定し、日本全国を均一化しようとした運動があり、そのなかで神社化された御嶽は例外となっている。」
とあり、いくつかの神社が沖縄にもあるが、どうも本来の信仰の対称はこちらが本命のようである。

これが宮古島
b0166522_19334861.gif


その大神島は現地の記事によれば、「宮古島本島北部に位置し、宮古島の北海岸に位置する島尻集落にある島尻漁港が、島に向かう唯一の交通機関・大神海運(ニューかりゆす)がある。島までは約4キロ。島の周囲が2.7キロ。標高は約75メートル・島の一番高いところまではロープを伝って上ることができる。
面積は0.27平方メートル。平成19年5月現在、世帯数17戸・人口40人」

なんとまあちっぽけな島ではないですか。どうしてよりによって・・・・しかしこの島のなかに

b0166522_1938159.jpg


うーん、これがご降臨の場所なのか?と思ったら、宮古さんからここの説明がありました。引用しますね。
「写真の御獄は遠見台と言って、山の上にあります。
この岩には絶対触っては行けないと注意書きがあります。この岩の上に降りたと言われていますがそこから洞窟に移ったといわれています。
洞窟が何処にあるか誰も知りません。神人だけしか知りません。
宮古島の神人もここへは来ようとしないそうです。
島一周道路を計画したのですが、けが人続出で、途中で打ち切りになりました。
一年に一度(祖神祭)うやがんさい、がありましたが人が減り今はないです。」

うーん、なんかすごいですね。現皇室が本当にアマテラスさんの子孫であればこの島自体を祀るはずだな。
という事は、これは関係ないか、もしくは天照さんと現皇室は直接つながっていないということ。

ところで、その御嶽は「ウダキ」と読むそうである。名古屋のそばに御嶽山(おんたけさん)という霊峰があり、今でも霊山として多くの信者が存在している。何か関わりがありそうである。同じ山岳信仰でも白山とはちょっと違う気がする。
もともと日本に仏経が入ってくる前までは自然崇拝で山や森を崇拝する人たちが多くいたようであるが、神社などと同様詳しいことは一切わからない。
このことから見ても、天照様たちが宮古島から日本へ上陸したにせよ、その足跡はきれいに抹殺されているようだ。御嶽には大きな特徴がある。それは女しか入れない聖域らしいのだ。
ここを見ると御嶽の写真が色々あって面白い。

いやはや、まさか天照さんが宮古島から来たなど考えた事もなかった。しかし、このことがなぜ沖縄は差別されるのか、あるいは米軍基地がいっぱいあるのかの答えにつながるかもしれない。ただ、沖縄周辺の島々はそれぞれ部族が違い、あまり仲良くなかったともいわれるからもう少し調べなければならない。

加治木さんの本を読み、マヨ理論はどうなるのか?関係ないですね、もともと仮説だらけで解決できてないことが多いのだから、正しいと認められることがあればいくらでも修正をします。自分の意見にこだわっていては真実は追究できません。まあ、何冊か読めば彼が正しいのか、それとも何らかの意図があるのかがわかってくるのではないだろうか。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-29 06:03 | マヨちゃんの古代史

たどり着いたヤシの実?

昨日種子島の話をしたらまゆみさんや姫さまや、そーみなーさん、宮古さんからコメントをいただいた。まゆみさんの古市と言う名前が怪しいことは今に始まったことではないが、宮古さんのコメントはちょっと驚いた。

非公開だったけど、本人のお許しもいただいたので内容を紹介しましょう。
「古代史に疎い私でも楽しく読ませて頂いています。又最近こちらに度々登場する古本を読み色々と勉強中です。
沖縄の話しが出ましたが、**が宮古島のツカサー(神人)という事もあり宮古島に伝わる神話なども良く聞かされていました。
神話などは資料ではのこっておらず神人の口伝えとして残っていますが、今は数人しかおらずこの神人達はかなり高齢です。
覚えているのは天照大神は大神島に最初におりたそうで、天照大神は神人にこれから仕事で家(大神の洞窟)を留守にするから、この洞窟をちゃんと護るようにと言いそして必ず家に戻ると言い残し本島へ向かったと云われて居ます。
大神島の神人は今現在でもそれを信じこの大神の御獄を護っています。
宮古島本島には天照大神の両親の御獄もあります。萬古山御獄です。
宮古島は小さな島なのに平成天皇、皇后様が何度か公式に訪れています。」

次に今朝いただいたコメントです。

「宮古のムヌスイ(物知り)の話しです。
天照大神は島で両親と暮らしていましたが、青年になり両親から独立を薦められ大神島を与えられ引越します。ここでしばらく暮らしたと伝説は伝えます。島の人に仕事で長い間家を空けるがちゃんと留守番をする様に伝え沖縄本島に出向いたと云われています。
必ず帰ってくるからと留守の家の事を念押ししたそうです。
両親共々稲作指導をしていて、非常に厳しく農業を教えられたそうです。
両親の墓は萬古山ではなくて、小さな山の麓にあります。」

以上ですが、HNは宮古さんにしておきます。**は一応念のためにです。おもしろいですね・・・・・。
アマテラス様は農業指導員だったわけだ。

私の古代史は基本的に卑弥呼以降を中心にしていますので、アマテラスやスサノウは出てきません。即ち、それらの人々が亡ぼされた後の時代をたどっているからです。
日本列島は東日本と西日本では構造がまったく違います。それは西日本が水耕栽培中心で、東はそれらがほとんど見られなかったことでもわかります。つまり、西日本に最初に稲作をつたえたのがアマテラスで、やはり南方から流れ着いたと見るか、もしくは積極的に移住してきたという事です。誰が想像しても列島の中で九州の鹿児島、宮崎にたどり着くのが順当でしょう。したがって、高千穂のあたりにアマテラス様御一行が王朝を築き、その後誰かによって亡ぼされたという事になります。

スサノウは半島、もしくは満州の臭いがします、ヤマカンでいうと出雲あたりが一番ふさわしいでしょう。つまり、これらが弥生時代の支配者達で、4から5世紀にかけて半島から侵入してきた渡来人に亡ぼされ、その歴史は神話にされてしまったと考えるのが妥当ではないかな。

コメントによれば宮古島本島にアマテラス様の実家があるそうで、天皇陛下も訪れているそうだからこれはもう間違いない、アマテラス様の御出身は宮古島に決定しておきましょう。

ただ、種子島については九州に近すぎるから・・・・アマテラス様の九州上陸の前線基地なのか、それとも九州王朝の防衛基地なのか、もう少し調べる必要がある。加治木さんは天智天皇が種子島出身だと述べているが、これがすべてではない。その前にどこから来たのかが重要である。

まゆみさんの古市家は本人もそう言っているようにシルクロードをラクダでやってきた放浪癖のある流れ者なのです。種子島にいる古市家の人間はたまたま大阪からフェリーに乗って種子島に居ついたのでしょう。落ち着かない人たちなのです。本当かな?

加治木さんの次の本がまだ着いていなけど、「こふん」を読めばもう少し彼の言いたい事がわかるかな。ただし、日本の源流を南からにしたい人たちはたくさんいますから、全面的に信じることは危険なのです。注意しながら考察は続けます。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-28 09:05 | マヨちゃんの古代史

加治木さんによれば、天智は沖縄出身?

またもや加治木さんの話である。三冊も発注してあるから当分はこの話題になると思う。もちろんそれだけの価値がある気がするからで、賛成するところとそうでないところを含めてであるが・・・・。

「たちばなは、己が枝々実れども、玉を貫くとき、同じ緒に貫く」、これは天智十年の正月、旧三韓人に位を授けた時、流行したわらべ歌であると書記にある。
加治木氏はこの「たちばな」を「種子島出身」を意味すると述べている。そして「ジンム」参照のこととある。
「うへー、その本を読めってか?」、そして、歌の意味は、「種子島出身者は、今では多くの国に分かれていて、それぞれ独立して好きなようにやっているが、何か事があればひとつに団結し、自分たち同族だけが甘い汁を吸う」という解釈をしている。韓人がどうして種子島なんだ?やっぱし「ジンム」を読まないとダメか・・・。

毎度おなじみWIKIで橘氏をみると、「橘氏の実質上の祖は県犬養宿禰三千代とされている。三千代は天武朝から命婦として仕え、文武天皇の乳母をつとめたともされ、後宮の実力者として皇室と深い関係にあった。三千代ははじめ美努王の妻となり、葛城王や佐為王を生んだ。694年に美努王が大宰帥として九州へ赴任すると、代わって藤原不比等の夫人となり、藤原光明子(光明皇后)らを生んだ。和銅元年11月25日、元明天皇の大嘗祭に際して、天武天皇治世期から永く仕えてきた三千代の功績が称えられ、橘の浮かんだ杯とともに橘宿禰の氏姓が賜与された。」

これから考えると、天智天皇が日本を統一(加治木氏によれば、日本軍が大阪を攻略し、倭国を乗っ取ったことなのだが、)したときにどうもこの橘氏ご一党が要職を独占したと読める。そして天武朝に藤原家と姻戚を結ぶことになるから、どうやら、この橘氏が天武派の主力部隊だったことはある程度見当がつくというものだ。
これはまた直感だが、この話も額田姫と似た雰囲気が見られるけど、気のせいか。

問題というのは、加治木氏は天武天皇の漢風しごうである「天淳中原瀛真人」のなかの瀛(えい)と真で、「ラティン」で、ラテン・羅典と同じだといい、「沖縄・南西諸島の始皇帝の子孫・ラテン人の「天皇」だとする。
むむむ・・、なんとラテン人だって?
ここで久しぶりに思い出すのは、飯山氏がかつて、天武は斉州島出身だと述べていたことだ。

たちばなを植物として考えると、WIKIによれば、「日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。和歌山県、三重県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生する。近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)があり、萩市と韓国の済州島にのみ自生する(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)。」、うん、萩というのがなにやらやばそうな秘密が・・・、これも匂う。

私は以前から天武は淵蓋蘇文だといい続けている。今もそれは変わらない、ただし、間違いなく本人だというつもりもない、要は天武は高句麗を制圧した淵の一味だという意味で十分なのである。
淵が日本へ攻め入る時、斉州島の軍勢を率い、天智の日本軍と戦ったのかもしれない。天武は殺されてもその軍団の将軍が橘氏として残ったということである。むしろ積極的に天武を裏切ったとも考えられる。当然、それは持統天皇ではないか。
しかも斉州島は日本で言えば伊豆のような流刑地であり、昔から高貴なお種を持つ人が多かったのである。むしろここに百済の王室が避難していた可能性だってある。斉州島は高麗がモンゴルに屈服する時、最後まで抵抗した島であり、その残党が沖縄に逃げたという伝説があるという。

ところで、天智が日本を統一し、その後どうなるのかの続編が出ていないのである。「TAIKA」が平成6年の出版で、「篤姫を生んだ鹿児島こそスメル八千年帝国の... (真説日本史)」が昨年発売されているから、これを読めって事かな?やれ、金のかかる人じゃわい。しかたがないな、商売なんだから。

この人は言語学者?だそうで、天武は沖縄語だったといっている。逆だってあるじゃんね、つまり、沖縄には斉州島から移住したのかも・・・。そうであれば日本国にとって天武は消したい王朝であり、当然沖縄は疎ましい存在だった可能性がある。米軍に常駐してもらいたい原因が案外そのあたりにあったりして。

いうまでもないけど、私は645年に高句麗が唐を降伏させたと信じている。これは鹿島氏の桓檀古記にしか載っていない情報なのだが、三国史記の高句麗本紀を読んでも唐は完璧に負けている。その数年後(649年)、李世民は死んでいる。次の代の高宗のころに日本まで攻め込むゆとりがあったとは私は信じない。つまり、加治木さんにはこの高句麗情勢がわかっていないのだ。彼はおそらく歴史学会の描く半島地図しか頭になく、淵蓋蘇文を過小評価している。鹿島氏の受け売りでやや信頼性に問題があるが、桓檀古記は信者が命がけで日本軍から秘匿されていたという。偽書扱いされるのは慣れっこだがいくつかの真実が含まれている可能性があり、唐が降伏したと書いてあるところにこの古書の値打ちがあるのだ。
何より淵蓋蘇文が死んだ後、彼の息子の男生は「668年、長安に入朝し、特進・遼東大都督・平壌道行軍大総管・持節安撫大使に任ぜられ、玄菟郡公に封ぜられた。」とあり、唐から任ぜられた様に書かれるが、高句麗が滅んだとするならいくらなんでも淵の息子を任ずるとはちょっと考えられないのだ。

ちょっとマニアックな話になってしまったな。加治木さんの本は面白いが、半島の情勢に付いてはやや手抜きをしている気がするが、他の本を読んでからもう少し考えてみよう。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-27 06:09 | マヨちゃんの古代史

京都へ還幸せんと・・・

ネタ切れを起こすころに到着するのが月刊日本です。でも、今回はめずらしくネタには困っていなのですが、届いた以上よまなければ・・・・・とりあえず、「特集 天皇論 京都遷幸のすすめ」を読みましょう。
さすが正統派右翼の南丘さん、格調高いですね。「天皇の政治利用は幕末に始まる。」として、孝明天皇を暗殺し明治天皇を江戸城へ押し込め、「玉」として天皇を「機関化」したとする。その主体は大久保、伊藤、山県ら一握りの藩閥勢力であるという、云々。

うーん、全文を載せなければ伝わらないかもしれないが、この記事を読む限り、長州が悪者になっているな・・・。「明治天皇は明治21年の憲法発布まえには、自らがないがしろにされたと伊藤に怒りを爆発させるという出来事があった。(八木秀次「明治憲法の思想」)」とあるが、このあたり、人それぞれの歴史観だから一概に言えないが、私は以前からどちらかといえば薩摩嫌いで、日本が大戦に巻き込まれる原因は薩摩・ワン・ワールドの陰謀と思い込んでいる。やや南丘さんとは異なる気もするな。
もちろんどちらが正しいのかは神(天皇)のみぞ知るである。私も司馬遼さんと同じく、明治はよかった派なのかな?正直をいいますと、私は宮中某大事件で山県が失脚するころがひとつの転機だったと考えてますが・・・みんなそれぞれでいいよね。

もちろん、明治以降、天皇が「玉」として政治に巻き込まれたのは間違いがなく、利用されたと考えるのが右翼で、いや違う、現人神が主体的に動いたと考えるのが左翼である。これはわかりやすい定義でしょ。正直を言えば、私は左翼気味なのです。しかし、古代より国難が起きるたびに力を発揮してきたのが天皇である以上、アジアを舞台に米英連合国が侵略活動を活発化させ、アジア同胞が略奪される状況で、まさしく神格天皇が動かざるを得なかったことを私は否定する気はない。問題は手段が間違っていただけで、言うまでもなく、文字通りアジア共同体の理念さえ貫かれていたなら、あのような悲惨な結果になるはずがなかったのである。

「昨今の天皇の政治利用問題が猖獗(しょうけつ、と読むのかな?)を極める状況を見て、慨嘆にたえない。この問題を回避するためにも、天皇は東京という権力闘争渦巻く地から離れ、まずは京都に御還幸いただくことを提案したい・・・略・・・京都に還幸し、祈りの世界に没入していただきたい。そこに、本来の天皇のお役目があると愚考する。」と締めくくっている。

サムライさんから平城還都であるとか、吉野還都だとかいろいろ言われているが、私も東京にいる限り、下らない政治の世界に巻き込まれることは避けがたいと考える。したがって東京から移られることは望ましいのだが、なにぶんにも世界の指導者が「世界の王」である天皇に面会したがっているのである。私としては日本の天皇という立場ではなく、アジアのさらには世界の「玉」として平城京で君臨すべきだと思う。そこで各国の首脳に面会するだけで世界は平和になるのである。
平城京の横に大きなホテルを作り、毎日のように世界から要人が訪れれば、奈良の地域起こしにも貢献するだろう。ちょっとスケールがちいさいかな・・・。要は、雑務は政府に任せ、政府では到底なしえない外交にこそ天皇がその力を発揮すべきとマヨは考えるのだが、月刊日本の主幹さんにきっと怒られるだろな。すいません、たわごとです。

今一番はっきりしなければならないのは、例の宮内庁長官のはげた氏は天皇の意向で動いていたのか、はげた氏の意向で天皇が動かされていたかである。そのあたりのお話は佐藤優氏と山崎行太郎氏の対談、「羽毛田宮内庁長官に物申す 国家の主人は誰だ!」がすごくわかりやすい。
さあ、毎度宣伝で申し訳ない。申し込みはgekkan.nippon@gmail.comへどうぞ。

時間がないので、今のところその二つしか読んでません。うわ!頭山満さんの記事もある。明日ゆっくり読みます。「武士は食わねど高楊枝」の話も明日読むね。

ところで、南丘さんは孝明天皇の暗殺を事実上認めているが、これは右翼としての公式見解なのだろうか。私の最近の考えでは、東京へ遷都ではなく行幸と言っている以上、本当のところ「東京へ天皇を行かせるわけには行かないので、とりあえず死んだことにして、替え玉を送り込んだ」という可能性を上げておかねばなるまい。つまり、京都御所には本物がいたと。だとすれば堀川辰吉郎が何者かはいうまでもないだろう。
危ないあぶない、憶測が過ぎますな・・・・。やめておきましょう、不敬罪があれば、間違いなく死刑だ。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-26 06:19 | シバちゃんのため息

「お種」はこうして保存された。

加治木さんの本を読み、さらに日本史の奥の深さを感じるとともに、新たな疑問がたくさん沸いてくる。間違いないのは、真実は必ず存在するということだ。原因があり結果がある。
日本は九州に降臨した天智天皇、またの名が金春秋、神話的に言うならニニギの命だそうだが、つまり、天智が初代天皇である。もちろん倭国?にも天皇(大王)がいて孝徳天皇に時代、天智に追われどこかへ身を隠した。ここで倭国から日本へ易姓革命がなされた。つまり王統(「お種」)は途絶えたか・・・・?

加治木氏によれば天智は孝徳の皇后を略奪し妻とする。しかし、なんと小説のような話だが、その妻は子供を宿しており、産まれた娘が持統天皇となったのである。
この持統天皇は天武と結婚し亭主をそそのかし(これは憶測だが・・・)天智を亡ぼすのである。さらに、持統天皇は息子と計り天武を殺す・・・・面白いな。まさに小説そのものである。

さて、なんとなく聞いたことがあるような話ではないか・・・・だよね・・・我々殿方のあこがれ、そう額田姫である。うそ臭いけれど天武の子供を産みながら天智の嫁になったといわれる有名な額田女王だ。
この「ぬかた」は何度もブログで取り上げたが、現在岡崎市に編入されてしまっているところに額田町というのがあったのである。ここから理研で名前が出た大河内家が出ている。私の憶測だが、この家系はサンカの親分である。真田や秀吉、家康、現在で言うなら笹川や鳩山に指示を出す立場のはずである。
この額田を八切氏が小学校の時、「ぬかた」と読むと先生に頭を殴られ、「がくでん」と読めといわれたと書いている。つまり、「ぬかたのひめ」は「がくでんひめ」が正しいのだ。「がく」は岳であり、「たけ」であり、「高い」で高句麗のことなのである。
亡ぼされた倭国?は略奪させたように見せて、孝徳の「お種」を托卵し、天智に育てさせ、産まれた娘が天武へ嫁ぎ、その娘が持統天皇になったのだ。つまり天武を殺し結果「お種」を繋いだのである。
ここが日本史の肝心なところで、何ゆえに額田姫がそんなにもてたのか・・・。もっとも、どこまでも神話みたいなはなしではあるが・・・・。
額田に付いては過去記事http://sibanokuni.exblog.jp/12677172http://sibanokuni.exblog.jp/12481414に取り上げている。

「wikiを見ると、「大河内氏(おおこうちし)は、清和源氏、摂津源氏の一族で、源頼政の孫、顕綱(あきつな)が三河国額田郡大河内郷(愛知県岡崎市大平町字大河内・注、異説あり。洞町等)に移り住み、大河内氏を称したことを始まりとする。」とある。これがお種の正体なのである。(ちょっと飛躍してるかな・・・?)」・・・と書き、さらに、「カシュガル」の関連が考えられる。
やや、我田引水という気もしないではないが、王権しか見えない人にはわからないだろうが、「お種」の秘密を知れば、加治木氏の解き明かした歴史に対してもマヨ理論はびくともしないのだ。
といいながらも今日次の本、「コフン」を注文しよっと。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-25 06:04 | マヨちゃんの古代史

加治木さんという選択③

またか?と言わないで下さいね。まだ加治木氏の主張のほんの一部しか説明していません。いくつかの点でまったく合わないところと、疑問のあるところはたくさんあれど、うーん、とうなるような素晴らしい事の方が多いのです。

基本的な大化の改新や白村江に対する考え方は私とほとんど変わらない。私は神武の東征が壬申の乱のことと考えてみたが、加治木説では白村江の戦いであったとする。おそらく東征の前半部分、神武が苦戦する部分までがそれに当たるのだろう。そして大阪から逃げたのが孝徳天皇とするのはまことに驚くべき解釈であり、これこそ日本の歴史の根底にある重大な秘密である。(ナガスネヒコが孝徳のことだった)

大化の改新とは私の解釈では淵(泉)蓋蘇文に攻め込まれた韓半島の南部にいた倭国の金春秋が、九州の伽耶国の都、大宰府を占領したことだと考えた。しかし、加治木さんは鹿児島にあった日本国が神武の東征を始め、大宰府の倭国の都を襲い、そこの大王、斉明天皇を殺したとしている。たしかに鹿児島を日本とするのは卓見で、思わずうなるほど素晴らしい発想である。

つまり、ニニギの命とその妻、木花佐久夜姫が天智天皇夫妻だったのだという。そうしてみると、薩摩という地域は「日本じゃない」と言われてきたが、そうではなく「日本」そのものだったわけである。なるほど、薩摩は古代から現在に至るまで独立国家なのだ。
九州に倭国の都があったという話は私は違うと思うが、それは単に名前だけの問題で、そこを占領した天智天皇が東征したことはまったくそのとおりなのである。
問題は大阪が百済だったと述べている事だが、そこはあまり深く考えず、天智は大阪へ攻め込み、白村江の戦いが行われそこを亡ぼした。そして、そのまま淀川をさかのぼり大津まで進出し、近江朝を置いたのだろう。

この先、天武天皇が天智朝をひっくり返す時代まではこの本に説明されていない。が、この白村江に協力したのが唐ということになっている。マヨ理論ではこの唐は淵の支配した高句麗の唐だから、天武=淵は熊野から吉野に入り、最終的に近江朝を亡ぼす事になる。つまり、神武東征の後半部分が淵の行動で、天武はそこで神武と重なる。そして壬申の乱の本体部分は現実にあったことになる。日本書紀は何度も書き換えられているから、神武は何人もの合成人間なのである。

細かい部分は後日少しずつ考えるとし、大阪が嫌いなマヨちゃんはかねてから大阪は日本じゃないと主張してきた。百済だったかは別にして、やはりここにも独立した王朝があったのだ。

驚くべきことがある。神武東征に協力した中臣鎌足は大阪にあった百済・高句麗・倭国の連邦国の皇帝で、神話で言うニギハヤヒであるとし、ナガスネヒコが孝徳天皇を裏切ったとかいてある。実に面白い。

加治木さんのこの本のおかげで私は数日間頭の中がミックスジュース状態だった。しかし、得がたい情報をたっぷり教えていただき、新しい発想ができそうである。
世の中にはすごい人がいるものだ。っていうか、飛鳥氏と同じで、加治木さんも昔から真実を知る組織から情報をもらい、それを若干トンデモ風にアレンジすることで仕事にしていると考える。つまり、真実を知る組織はいくつも存在し、今でも日本の中で戦っているのであろう。
栗原氏が述べるような皇紀2660年という考えと、加治木さんが主張する論とはまったく水と油である。つまり、歴史の見方が違うのであろう。現在も万世一系でアッシリアから「お種」が絶えることはないというのはまったく違う歴史が存在していると言う事である。国の歴史とは違う「お種」の歴史があるのだろう。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-24 09:18 | マヨちゃんの古代史

加治木さんという選択の②

二回目を書くため真剣に本を読んでいたが、あまりにもややこしくて、実は最終的に訳がわからなくなった。恥ずかしながら筆者の言いたい事は簡単には理解できなかった。・・・・結局頭が悪いんだろね。
たつもりで読み終わったのだが、さあどうなのだというと、実は十分には納得行かない。

要はこうだ、鹿児島にあった小国、日本が九州の倭国を亡ぼし、神武の東征で描かれた遠征をし、大阪にある百済国を亡ぼし日本国を築き、初代天皇になったということである。これが大化の改新と白村江の戦いの真実だったと。これで、旧唐書に書かれた「日本は小国、倭国の地をあわせたり」を説明できる。
日本が倭国を亡ぼした事を隠すため、唐と新羅が百済を亡ぼした事実を利用し、実際は大阪で起きた百済対日本の戦いを半島の戦いに偽装したのだと。この遠征が実際神武の東征そのものであると述べる。

色々な検証をしなければならないが、一番面白いのは、蘇我氏というのはどちらかと言えば架空であり、天智が亡ぼしたのは孝徳天皇で「天萬豊日」であり、これが天神様の正体だという。そして後に菅原道真を合祀したため謎になっていた例の「天神様」の秘密がこれで解けるかも知れない。
日本史の中には色々な秘密があるが、間違いなく大化の改新というでっち上げが行われた最大の原因は、この大阪を中心として栄えていた「やまと王朝」を新羅の金春秋が亡ぼし、乗っ取ったことだったのである。

私は韓半島南部、倭国の一部、金官加羅国の王族、金春秋が天智で間違いないと思うが、著者は九州南部からやってきたと言われる。少々意見が合わないが、この天神様は驚いた。この線で考えれば、欠史8代というのはこのヤマト国の王族で間違いないだろう。実に大きな発見だ。

・・・・中断します。仕事へいきます。

今仕事から帰り、記事を書こうと思ったんだけど、加治木さんの毒気に当てられていて、よく考えがまとまらない。具体例は明日にするけど、彼の謎解きは確かにすばらしい。彼の説明が正しいとするなら私の理論もいくつかの修正が必要になるだろうな。それにしても、納得しようとすると、彼の他の著書も読まなければ説明がつかないことも多い。どうしましょう。
この人の著書はumeさんの紹介だったかな?誰だっけ?姫さまは全体としてどう思いますか?
読んだことある人は意見を寄せてくださいな。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-23 04:58 | マヨちゃんの古代史

加治木さんという選択?の①

昨日の記事は加治木義博氏の本、「新説 日本誕生 虚構の大化改新と日本政権誕生」を読む前に自分の意見をまとめ、この本とどのぐらい違うかを比較しようと思って書いたものです。

最初に言っておきますが、この本を100%認めるわけではない。しかし、素晴らしい本なのである、今まで読んだ中でも、まさに何本かの指に上げれると思う。ただし、この種の本を読みなれていない人が読むと完全に洗脳される恐れがあるので、やや注意が必要だ。朝一コメントを見たらジェリコさんから注意するような意見が来ていた。
「彼は邪馬台国、九州説ですよ」と、しかし、これはしかたがない。まあ、九州には何がしかの王朝が存在したことは確実であるし、それが日本なのか、倭国なのか、それともまったく別の名前だったのかはともかくとして、どうせ消滅する王朝なのだからどっちでもいいじゃん・・・・。ジェリコさんの意見を転記しておこうか・・・。

「加治木義博説では、邪馬台国は九州です。韓半島なんかではありませんよ。海のシルクロードのほうが重要なんです。山形明郷はミクロ的には一部正解、マクロでは全然不正解。高句麗は倭国、また高句麗は物部氏のこと。それによって、義経がチンギス汗であるとするのは、当然の成り行き。渤海は百済系。百済とは蘇我氏そのもの。というより藤原北家の系統に近縁関係があるというべきか。私の想像ではこの北家が悪の権化である。取って代わる勢力が雌伏している。聖武天皇の直接の子孫である。二代前に源氏の血も受け継いでパワーアップした。もう物部の源氏勢力は逆らえない。佐々木源氏が北家になった? 逆でしょ。北家の縁戚の端っこの末座に加えられる栄誉に浴したということ。最新の歴史事実を全部出してしまうと、人類史のすべては私たち日本人が作った事がばれてしまう。それはまだ秘密なんだな。たぶんね。」

うーん、過激ですな。なかなかです。高句麗は倭国というのはある程度わかります。藤原北家についても意見を共有する部分もありますが、まだ私はジェリコさんの意見に「はい」というところまで行きませんね。まだまだ調べるべき事がたくさんありますから。

さて、加治木氏の本を解説する前にたくさん行数を使ってしまった。なかなか内容が濃いので簡単にはいかない。さらっと読んだだけなので、今日もう一度読み直し、問題点を洗い出したい。
今は時間がないので順次書き加えます。ただし、先ほども言ったように、彼は邪馬台国九州説であり、その点では一致していない。そして、唐が白村江の戦いで日本の大阪まで攻め込んだと言われるが、当時、唐にはそのようなゆとりも理由もないので、これは残念ながら間違っていると思う。みんな騙されている。つまり、当時の唐は淵蓋蘇文に乗っ取られているから、淵=燕国の唐であり、中身は高句麗である。
この本は大化の改新と白村江の戦いまでを取り上げているので一番のメインは天智天皇の正体と持統天皇、さらには蘇我入鹿が何者なのかという事である。

まず、日本書紀を天武天皇がなぜ編集しようとしたかという問題からはじめましょ。
彼は、このように書いている。「天智天皇はその前の「倭国」を亡ぼしているから全面的に書き換えなくてはならない。だから書紀は亡ぼされたのは「倭国」ではなく、一介の大臣に過ぎない蘇我氏とした。」(p28)
さらに、天武の目的は「倭国を亡ぼした天智天皇の朝廷をなぜ亡ぼさねばならなかったかを説明し、それには天智が亡ぼした倭国の全支配者「蘇我氏」のカタキを討ったことにする・・・云々」ということで、蘇我氏の祖先に当たる欽明天皇から書き始めたのだ。」(p34)、とある。

今日はここだけにしておこうかな・・・・。

彼は倭国は邪馬台国がそうであったように女帝しか認めないといっている。つまり、彼は邪馬台国を九州に持っていったため、どうしてもそれに縛られていると感じる。たまたま魏国が公孫氏を亡ぼすために提携した小国の邪馬台国をあたかも列島までも含む大国にしてしまっている。
まず、倭国はどうして「やまと」なのかを考えなければならない。「わこく」と「やまと」がどうして同じ国であろう。
やはり、私の考えでは「ヤマト」は大和であり、倭ではない。倭に「やまと」の読みをふったのは極めて悪質な捏造だと考える。
彼は日本という国が鹿児島に近い高千穂あたりから始まり、最終的に倭国を亡ぼし、旧唐書に書かれている「日本はもと小国、倭国を併せる」となったと書いている。この認識はなんとなく納得できる。つまり、九州の南部のその地域は極めて怪しい。以前私も西都原こそ邪馬台国であると確信していた時期があるが、あのあたりに有力な王朝があったことは確実で、豊富な古墳群はまったくといって手付かずなのである。そこが日本発祥の地であることは私もまったく異存はないのだ。ただし、日本の歴史と天皇家の「お種」の歴史は別回路であり、天皇の歴史が列島の歴史ではないことに注意していただきたい。
いずれにしてもこの本を解読する前に、この倭国の認識が違うことだけははっきりしておかねばならない。

ところで面白いことが書かれている。つまり、「蘇我入鹿は高句麗の泉蓋蘇文」としているのだ。私は泉を淵としているが、どちらも正しい。書紀には「イリカスミ」として登場するが、「入鹿」は「イリカ」であり、「スミ」は神の名前の敬称だという。例えば、「ワタズミ」とか「オオヤマズミ」のように・・・。つまり、「イリカズミ」という事である。ようは、蘇我入鹿は泉蓋蘇文だったという事か。

蓋蘇文が高句麗王「建武王」を殺し、「宝蔵王」を立てているが、書紀には同じ時期に入鹿が執政になり、舒明が死ぬ。そして皇極天皇が即位している。これが偶然なのか?
皇極天皇は「天豊財重日足姫」(てん・ほ・たから・かし・ひ・たらし・ひめ)であり「たから」は「高麗(たから)」だから「宝という高句麗王」のことだという。そして、舒明天皇の「息長足日広額」は「息長」は「そなか」「足日」は「そか」。「広」は「こう」で「高」、「額」は「がく」で「岳」つまり「たけ」、それらをみると、建武王の「高・建・武」で一致し、高句麗本紀に書かれた出来事と日本書紀でおきたことがまったく同じことだと結論する。
まったく、息詰まるような展開である。これらのことは歴史学者では出来ない、言語学者だからこその発想である。本当にたいしたものだ。問題は、このようなことが何を意味するかという事である。
つまり、日本書紀が書かれたころに三国史記はあったのである。そして蘇我氏の歴史、つまり舒明、皇極は高句麗の歴史を借用したことになる。
これらのテクニックは随所で使われ、歴史家たちを騙しているのだ。だから書紀を信じて日本歴史を語ると大変な間違いが起きるのである。
三国史記の新羅本紀も同様で、三人の始祖がいる以上、三つの国の歴史を縦つなぎにしたものである。そんなものを信じてどのような歴史が出来るだろう。
日本書紀もたくさんの歴史書を縦つなぎにし、同じ出来事が両方から描かれたりするから大変におかしいことが起きてくるのである。その最大の場面が大化改新であり、白村江の戦いなのである。

難しかったね、今日はこのへんで勘弁しましょう。またこんどね。
[PR]
by sibanokuni | 2010-01-22 06:17 | マヨちゃんの古代史



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
以前の記事
フォロー中のブログ
その他、お知らせ。
捏造の日本歴史研究所へどうぞ・・・・http://mayonokuni
.web.fc2.com/
*******
メールでのご連絡は
palio@beach.ocn.ne.jp
へお願いします。
カテゴリ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧