シバちゃんのため息

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韓流大河ドラマを楽しもう

韓流大河ドラマ「王建」(わんごん)は全二百話もある。これは統一新羅が堕落し、後高句麗、後新羅などが分立し、最終的には高麗国が韓半島を統一すると言う物語で、おおむね西暦900年ごろの出来事である。
以前、大変に夢中になった「淵蓋蘇文」が100話、「大作栄」が135話ぐらいあったので、今回の二百話はちょっと大変である。ただ、この「王建」が大ヒットし、その勢いで「朱蒙」の製作が始まったそうである。つまり、大河ドラマの魁なのである。だから意外と真面目なドラマ作りがされていて、まるで歴史教科書をそのままドラマ化した趣で、ヨンさまの「太平四神記」のようなトンデモドラマではない。つまり、結構勉強にもなる。
高麗国が出来るまでに仏経国家、後高句麗が建国され、皇帝が弥勒の再来と呼ばれる。まずこのころの周辺状況を知る必要がある。つまり、旧高句麗の領域である満州地域に勢力を持っていた渤海に翳りが出て、新たに契丹が強大になりつつあり、且つ唐がそろそろ滅亡の危機を向かえていた。
年表を見ると
901年 - 藤原時平によって菅原道真が大宰府へ左遷される。(昌泰の変)
904年 - 朝鮮半島で弓裔が摩震(のち泰封)を建てる。(後高句麗である)
907年 - 契丹(遼)の耶律阿保機が即位。日本では「延喜格」が完成。
918年 - 朝鮮半島で王建が泰封を滅ぼして高麗を建国。
926年 - 契丹(遼)が渤海を滅ぼす。
935年 - 平将門・藤原純友による承平・天慶の乱が始まる(- 941年)。
935年 - 高麗が新羅を滅ぼす
960年 - 趙匡胤(太祖)が宋を立てる。
見ての通り、韓半島を含み、大変な動乱の時期に当たっていたのである。それらは密接に関連していると見るのマヨ史観である。おそらくこの時期に大量の亡命者が渤海から、あるいは新羅から日本へ流入し、平将門の乱や、純友の乱が勃発したのだと考えるものである。
唐の末期の状況はwikiによれば、
「文宗の弟の武宗は廃仏運動を進めた。当時、脱税目的で僧籍を取る者が多く、これらの僧を還俗させて税をとることで財政改善を狙った。この時期、牛僧孺と李徳裕の政争が激しくなり、激しい党争により政治の活力は失われていった。これは牛李の党争と呼ばれる。

政乱による国力の低下は地方の圧政につながり、859年の裘甫の乱、868年の龐勛の乱に代表される反乱が各地で起きた。874年ごろから黄巣の乱が起きる。この乱は全国に波及し、黄巣は長安を陥とし、国号を斉として皇帝となった。」・・・・というようにかなり荒れていた。要は唐の威信の低下が満州や韓半島に動乱をもたらしたと言える。

まあ、このような周辺状況を考えながら韓流ドラマを見ると、また味わいの深いものである。
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by sibanokuni | 2010-01-11 08:22 | シバちゃんのため息

日本の閨閥考

ずいぶん昔、ブックオフで「閨閥」(佐藤朝泰氏著)という本が105円で売られていて、涙が出るほどうれしかった覚えがある。なぜなら私は系図が苦手で、「母の兄弟の子供の従兄弟で・・・」、なんて話になると、まったくお手上げなのである。その昔、田宮二郎の「クイズ・タイムショック」で、「あなたのお母さんの妹のご主人とあなたの関係は?」・・・・これはダメでしたね。町で友人に会い、「親戚のなんとかさんと、あなたの関係は?」と聞かれると大いに苦労するのである。めんどうなので、「ええ、遠い親戚です」ということにしている。え?女房ですか?「近い他人ですね。」・・・・・。

実は昨日、例の森矗昶(のぶてる)を中心とした閨閥をその本と、栗原氏の「歴史の闇を禊払う」で調べていた。
血縁を調べる前提として、やはり、現在のように偶然町で知り合った娘と出来ちゃった婚するとか、合婚で結婚するとかではなく、やはり綿密に系図を調べ、栗原氏流に言うなら氏姓鑑識の元に血縁が構成されたと考えなくてはならない。今でこそ興信所を使うことは減ったものの、昔はそれは厳しかったのである。

この森氏は千葉県の勝浦出身で、漁師からヨードの生産で財を成したのであるが、この千葉で、特に沿岸部はほとんどが平氏である。まず前提として、森氏は平氏だとし、かつ、平氏は平氏同士結婚するものとする。
とするなら、ちょっと強引だが、この森氏の閨閥が広がる範囲は基本的に平氏と考える。
なぜそんな事をいうかというと、この閨閥は群馬の館林、美智子皇后陛下の正田家から、四人の宰相を輩出した安西家、そして味の素の鈴木家、銀行家の家系、岩佐家など大変な閨閥を作っているのだ。そして四人の宰相とは浜口雄幸、岸信介、佐藤栄作、三木武夫だが、当然それは安倍氏にも入っていくわけで、これらを平家部族でくくる事が出来るなら日本の構造は極めてシンプルに考える事が出来る。
もっともシンプルすぎて間違いがあった場合、取り返しがつかなくなるので、ひとつの考え方としておいた方がいいが、例えば単に長州でくくるのではなく、長州の中にも源氏も平氏もいたのだと考える事は一つの見識であろう。
この佐藤、岸の閨閥には松岡洋祐もさらには吉田茂もふくまれてゆく。岸信介・栄作兄弟の従兄弟が吉田茂の長女を娶っているのだ。これが閨閥と見るなら、吉田ファミリーである麻生財閥まで広がっていく。
栗原氏は高句麗色の強い源氏系大江山衆である。つまり、この森ファミリーが反吐が出るほど嫌いなのはこのような理由だったのではないだろうか。日本の歴史を解く方法はいくつもあるのである。
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by sibanokuni | 2010-01-10 07:25 | シバちゃんのため息

丹波考①

マンガンは元素である。しかし、これが含まれる鉄は非常に固く、しかも錆びにくいそうである。このマンガンを含む鉄鉱石が採取できるのが丹波だったのである。古代、この地域に入植した渡来人はここの鉄で作った刀が非常に優秀だったため日本を制圧できたといわれている。
旧京北町、旧日吉町、旧美山町を中心として丹波盆地の中に、300もの鉱山があったという。ただし、京北町は現在京都市右京区、左京区へ、美山町と日吉町は南丹市になっている。このようにして地名が消えていく。
参考にここをご覧下さい。

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戦時中、このマンガン鉱山には朝鮮人が強制連行され、多くの被害者が出たことは未だに闇の中に葬られており、ここにでているが、驚いたのは有名な田中宇氏が書いたという「マンガンパラダイス」という本はとんだインチキだと批判している。まあ、このことは私の研究とは関わりがないから省くが、興味深い話ではある。
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それにしても、この丹波や丹後の位置がなかなか特定できない。困ったものだ。京都府や兵庫県に分断され、古代の地名がわかりにくくされてしまった。

さて、栗原氏によれば京野菜はやはり独特の土壌から生み出されるという。その独特というのがニッケルで、大江山にはそれがあった。「その国産化にもっとも興味をもった企業の一つが後の日本冶金工業となる当時の日本火薬工業(日本火工)だった。同社は海軍向けの火薬の製造会社だったが、さらに軽合金や特殊鋼の国産化をめざしていた。」とWIKIにある。

この「日本冶金工業」を調べると、「企業グループとしては、森矗昶が創始した森コンツェルンの中核企業として発展、戦後は日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行=みずほフィナンシャルグループ)グループに属している。高炉メーカーとの資本関係はない。」
でましたね・・・・、あの森矗昶(のぶてる)ではないですか。この名前は栗原氏の本に出てきた。
少し突っ込んでみよう。
「明治17年(1884年)10月21日、千葉県夷隅郡清海村(現在は勝浦市)守谷の漁業、父・為吉、母・満都の長男として生まれる。」とある。財を成したのはカジメ焼きで、これはヨードを取るためである。
この人の一代は城山三郎の「男たちの好日」が有名のようだが、栗原さんにいわせれば「反吐がでるほど嫌いな人物」だそうである。
まあ、千葉の財閥がどうして大江山で工場を作ったのかはよくわからないが、少なくとも戦時中に朝鮮人を強制連行し、こき使うことで一儲けしたことは間違いないことである。

話がずいぶんそれてしまったが、大陸からやってきた山師(鉱山技師)がここ丹波の赤い鉄鉱石に注目した事は間違いない。ただ、問題の綾部は地形的に押し込められる地形である。
綾部・・・wikiによれば、「 古代には漢部氏が居住していたとも言われている。丹波国。平安時代には隣接する福知山市とともに荘園が多く存在していた。鎌倉時代、宮将軍に従って東下した綾部市上杉の豪族・上杉重房がいた。この一族は足利尊氏の親族となり栄え、市域は尊氏出生地とも考えられている。足利将軍家により丹波国の安国寺利生塔である安国寺が置かれた。 南北朝、室町時代には、新田氏一族の江田氏が綾部城を築く。」・・・とある。あれっ!と思うのは姉妹都市にエルサレムとある。うむ・・・やはりあやしい。

「古代には漢部氏が・・・」とあるが、「あやべ」は当て字で、実は安羅(あや)であろう。やはり安氏ではないかな。
安氏というのは二つの考え方がある。古代アラブ方面にパルティアという国があり、中国では安息国と表記した。ここが滅びたとき、中国へ亡命し遼東で暮らしたという説。それからソグド人の中で安という名をもらった部族がいる。安禄山の乱はその安氏である。安羅の支配者がどちらなのかわからないが、少なくとも高句麗の好太王の名が安であり、これがスキタイだというのは何度も述べている通りである。私の解釈では、安羅は鮮卑慕容氏の作った国で、高句麗とは非常に関連が深く、日本へ分散した後は平家にも源氏にもなりえたと思うのだ。つまり、支配者はスキタイ系でも、部下たちは高句麗部族も倭人もいたはずだからだ。

とりあえず、今日はこのへんで・・・。
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by sibanokuni | 2010-01-09 09:56 | マヨちゃんの古代史

酒呑童子伝説?

ネタ切れで悩んだ時はサムライさんからのレポートを引っ張り出すに限る。そうそう、大江山に伝わる鬼伝説、酒呑童子にしよう。「大江山に棲み人里や都に出ては凶暴な悪さをする恐ろしい鬼で、悪逆非道の限りを尽くしたあげくに、源頼光や坂田金時(金太郎)などに退治される。・・・・だが、それは為政者側の都合で捏造された虚像であるという。
酒呑童子を討つ源頼光との酒宴の席で、「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出され大江山にやってきた」と、丹波の山奥に逃れた経緯を語っている。
仏教勢力との抗争に敗れたため、彼らの支配が及んでいなかった大江山に落ち延びたことが判る。」と書いてある。

この話は基本的にマヨ理論と合致する。即ち、桓武天皇が平安京へ遷都したのは怨霊から逃げたのではなく、権力構造が変わったのである。藤原京が平城へ移るときは南都仏経が誘致したのであろう。そして色々な事があった結果京都へ移るのだが、新しくやってきた匈奴系の仏経勢力は都の東を固めるため、叡山を占領し近江を京都と切り離したのである。
それ以来、信長が叡山を焼き討ちするまで、日本を支配したのは比叡山延暦寺だった。明治維新直前、廃仏稀釈がはじまり、日吉神社を支配していた叡山の神宮寺は完全に焼き討ちされた。おそらくは平安以来のカタキを取ったのだろう。

比叡山は若狭から大津を経て京へ入る重要な街道である、叡山はその街道にいくつも関所を設け、通行料をたっぷりとせしめたのであろう。
この大津には現在大津神宮が建立され、天智天皇が祀られているが、これはうそである。おそらくは三井寺(園城寺)に関わる王権が存在したはずだ。私が考えるのは佐々木源氏である。彼等は藤原の北家になったと考えているから、彼等は滅びていない。つまり、逃げたのは別の部族と考えたほうがいい。
つまり、平城京には参加していたが、平安京に遷都されるころに失脚した部族を探してみよう。具体的に言うなら藤原仲麻呂あたりがふさわしい。彼は安氏、すなわち聖武天皇の皇后光明子の甥にあたり、彼女の信任が厚かったのである。唐で勃発した安禄山の乱と同調し、日本から仏教勢力を追放しようとしたのだ。

仲麻呂は藤原南家であり、南家は次第に衰退し、歴史の表舞台からは消えてゆくが、大江山に逃亡したとするならそこへ行く確かな理由があったと考えるべきだ。
大江山は亀岡から綾部、そして宮津へ向かう通過点である。即ち、丹後から京都への侵入路である。古代安氏はここに拠点があったのだろうか、それはわからない。ただし、逃げてくる鬼達を匿う勢力がそこにいたのである。いわゆる丹後王朝があったのだろう。

熊野を拠点とする九鬼家は江戸時代に綾部に転封されている。そして、そこに伝わる九鬼文書によって出口ナオが大本教を立ち上げることになるのだ。
今まで藤原北家ばかりを注目してきたが、歴史からほとんど姿を消した南家こそ、閉じ込められた神にふさわしい気もしないではない。憶測ばかりで申し訳ないが、徐々に丹後、丹波、但馬あたりに迫っていこうと思っている。今日述べたのはひとつの仮説ですので、調べるうちに変わっていく可能性は高いです。
いよいよ日本史の最大の難所、丹後地方に向かう事になる。
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by sibanokuni | 2010-01-08 06:09 | マヨちゃんの古代史

キリシタン大名考察

藤井さん辞任のニュースで、テレビのニュースは藤井氏と小沢氏との軋轢が原因だと言う憶測情報を発信した。ニュース枠がまるで二階堂状態ではないか。憶測を呼ぶのはしかたがないが、あくまでこれは週刊誌ネタでしかなく、卑しくも報道と言う看板を掲げながらこのような「マヨタ話」をニュース枠で発信するのは極めて悪質であり、国民にいかにも民主党がゆれているような印象を持たせるものである。まったく公平性に欠ける。
ニュースというのは単に、藤井さんが病気を理由に辞任し、首相は菅さんを後任に付けたと伝えるだけで十分であろう。いくら言論は自由であっても偏った報道はよろしくない。プンプン。

さてさて、先日、契丹をキリシタンと読み、日本中に隠れキリシタンが分散した可能性を指摘した。つまり、イエズス会が日本へやってきたとき、言葉も不自由で、聖書もろくに配れない状態なのに、日本中でキリシタン大名が続々と誕生している。いくら鉄砲が欲しいといってもやはり異常である。つまり、それらは草として日本に根を下ろしていた隠れキリシタンだったと考えるのである。何か手がかりがないのだろうか。

WIKIの「日本のキリシタン一覧」をつらつら眺めると、蒲生氏(日野、会津)、京極氏(信州、丹後、宮津)、有馬(肥前)、日野、大友(豊後)、織田、木下(若狭)、斯波氏(尾張)、高山右近(飛騨)、津軽、細川・・・略

意外や近江近辺の有力者や織田関係にキリシタンが多い。彼らの出自はそれぞれだが、これらを見ても、戦国時代の動乱が、皇室とキリシタンとの宗教戦争だったという私の仮説は結構当たっているのかも・・。
結局、皇室も比叡山の僧侶達にはほとほと手を焼き、キリシタンの信長を利用し、「夷を持って夷を制する」方法で比叡山を亡ぼし、用済みと見るや、天海、即ち、明智光秀と秀吉に信長を撃たせ、ついでにキリシタンを弾圧したという図式である。天海も秀吉も天皇のお庭番、即ちサンカであったというのが私の結論だ。
ただ、佐々木源氏の血を引く京極氏や六角氏を信長は亡ぼしている。そのあたり、皇室としてはどう考えるのかはよくわからない。比叡山と彼らは密接に関わってることはうかがえるが、もう少し考えねば・・・。

しかし、これらと契丹とを結ぶものはいっさい現れていない。日本の歴史の中に契丹はいっさい出てくることはないのである。
八切氏によれば藤原純友の乱は実は契丹が日本に攻め込んだ事実を曲げたものだと言う。そして、平将門の乱が関東で起きたのも偶然ではないと語っている。
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さらに、八切氏は契丹は梅鉢の家紋を持つと主張していた。菅原道真である。あと有名なところでは加賀前田家などかな・・・。
以前からなぜ加賀前田藩は江戸時代を無事に守り抜き、取り潰しを免れたかが不思議だったが、地理的に見て大陸とのつながりが大いに疑われるのである。日本海側は川ごとに部族が異なっている可能性が高く、慎重にたどっていかないと大きな間違いを犯す恐れがある。

やはり、歴史の謎は近江から北陸にかけてが中心になるようであります。とりあえず、研究の途中ですが、報告まで・・・・。
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by sibanokuni | 2010-01-07 06:30 | シバちゃんのため息

ふたたび諏訪へ

信州を調べなきゃ、と思いながら、なかなか手がかりがなく、ちっとも歴史の解明が進まない。
昨日matsuさんから白洲女史の書いた「近江山河抄」をいただいた。いつもありがとうございます。
それによっても、この近江と信濃には密接な関係があるようである。近江に関してはもう少し時間をいただくとして、今日は信濃をおさらいがてら考察してみましょう。

億うそさんによれば、信濃は匈奴の中国読み「シンノ」であり、匈奴そのものだという。そして日本海側からの侵入経路はひとつには糸魚川からと、そしてもうひとつは信濃川から分かれる千曲川である。諏訪湖はいうまでもなく糸魚川と直結していて、安曇の地名がある以上、間違いなく安曇水軍によって諏訪大社を征服したのだろう。また、こちらは信州信濃でも松本派閥に属し、対する長野市とはどうも昔から仲が悪かったようである。つまり、部族が違うと考えるべきだ。

善光寺にあるといわれる秘仏はもともと飯田市の元善光寺にあったものといわれる。飯田市は「ハンダ」であり、「フン族」である。ここは天竜川が流れていて、下流は豊川と豊橋に通じる、両者とも「ふん」であり、つまりフン族の固まりである。
古代ピラミッドの存在する(単なる小さな山だが、それでもピラミッドと言われている。)豊橋から川をさかのぼり飯田にたどり着いた善光さん、いうまでもなく百済王である。これを巡って松本と長野が争い、長野が見事勝利し、「玉」を手に入れた・・・・・本当かな?
地名の解析がしていないのでわからないが、長野市は百済そのものだったのではないかな。

千曲川に入った部族は以前考察したように近江に入った仁徳天皇、即ちオオサザキと同族のオオハツセ、即ち、雄略であろう。その後、その娘を埼玉へ嫁に出し、武烈が生まれた。武列は書紀などでぼろかすに書かれているところを見ると、そこで亡びたのだろう。雄略は源氏であり、滋野三氏である。後にこの家系のひとつ、海野氏が絶える危機を救ったのが真田であり、海野氏の「お種」は真田に受け継がれたのだ。どのように受け継がれたかは私にはわからないが、とりあえず、受け継いだのである。徳川家康は本来なら真田を取り潰してもよかったのだが、「お種」を維持するため残したのだ。

いずれにしても、この信濃川流域は高句麗からの亡命地で、大陸に政変が起きるたびにいろいろな王族が逃げ込んだと考えられる。越の国、つまり高氏の国である。しゃれがきつい?そうかも・・・。
高句麗や北魏、さらには渤海からたくさんの軍人、奴隷、そして職人が越の国から千曲をさかのぼり、めいめい自分と同じ部族のいるところへ分散したのだ。それらは地名を解析しなければわからない。

いずれにしても、信濃は日本海側から侵入した部族で、鹿島神宮から群馬、埼玉にかけてはおそらく太平洋側から上陸した部族である。どこかで彼らは出会い、家紋を確認し争うか、同盟するかを決めたものと想像する。それらは母国の問題ではなく、彼ら軍団の根本的な源流が問題となるのであろう。つまり、天御中主を奉じるのか、常立神を奉じるのかみたいなものなのかな?
このあたりが古事記の分析なのだろう。あー、また中途半端な終わり方をしてしまった。
また、やります。
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by sibanokuni | 2010-01-06 06:18 | マヨちゃんの古代史

怨霊信仰について

あるサイトのコメントに、(まゆみさんとこだが・・・)怨霊のことが書いてあった。かつて伊沢元彦氏の逆説の日本史で散々聞いていた話である。wikiによれば、「『逆説の日本史』において、古代の日本は中国文明の影響によって、子孫の祭祀の絶えた者が怨霊となるとして、これを「プレ怨霊信仰」と呼び、それが長屋王と藤原四子の事件により「冤罪で死んだ者が怨霊となる」という「日本的怨霊信仰」へと変化したと提唱している。ただし井沢氏の説は、定説として確定していない梅原氏の説をほぼ全面的に承認しての論である。」・・・とあり、井沢氏によれば奈良の大仏も、長岡遷都、平安遷都もすべて怨霊から逃れるためだったとされている。
別にそれはそれで心の中のことだから私が文句をいう筋合いではない。でも、私はこれを信じていない。唯物史観の私には姿の見えない怨霊が人を殺す事はないと思っている。藤原四氏が天然痘で死んだと言うのは偶然にしては出来すぎだし、国家の財政を傾けるような大仏の建立が怨霊を沈めるための暴挙であったとはちょっと信じられない。長岡への遷都も、平安への遷都も今のところ理由は十分にはわからないが、そうせざるを得ない理由があったのであり、すべて何か重要な原因があったはずである。これをすべて怨霊で片付ける事は真実の隠蔽に他ならない。つまり、怨霊はまやかしなのである。まったくなかったとは思わないが、少なくとも怨霊に祟られ殺されたとは迷信である。

菅原道真が祟ったために官位を上げたり、名誉回復したのは、そうするよう脅迫されたのであろう。昨日もいったように、菅原にはそれなりの部族がバックにいて、勢力争いに負けたのであり、彼が死んだ後その勢力が巻き返したのだろう。それらの事情を調べる事は歴史の真実に迫る事であり、タブーに触れるのだろう。
私はそれらの怨霊の本体を疑い、合理的な説明が出来るよう努力している。が、そうは問屋が卸さない。しかし、怨霊で片付けるわけには行かないのである。

まあ、詳しく説明するには研究が足りないが、とりあえず私は怨霊封じのために神社が作られた事はあっても人が怨霊に殺されtり、都を移すようなことはなかったと思っている。これは今後の課題でもある。
井沢さんは面白い歴史観であることは認めるし、私は今でもたまに引っ張り出して参考にしている。しかし、奈良時代、平安時代は平和そうに見えて、大変な時代だったことは間違いないのであり、怨霊だけで納得するわけにはいかないのである。
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by sibanokuni | 2010-01-05 06:06 | マヨちゃんの古代史

「幻の王国、渤海」、を見て

金沢のmatsuさんお奨めの教育テレビ、「朝鮮半島2000年」シリーズですが、録画はしたものの、ほとんど見る時間がなく、昨晩ようやく一時間半ほど時間が空いたので、注目の第五話、「幻の王国、渤海・・」(ちょっと題名は不確か・・・)を見ることにした。
さすがNHKですな。まったく真面目この上ない。唯一見せてくれたのはレポーターの杉浦友紀ちゃん。かわいいね。ちゃらちゃらしない上に、とっても知的な感じ、すばらしいです。お気に入りに入れておこう・・・?

さて、番組はまず韓半島と日本の地図を逆さにするところから始まり、大陸と日本の関係を大陸側から認識することで、いかに日本が大陸と関係が深かったかを論証してくれた。いい視点である。これはほとんどの日本人が考えた事のないもので、予算たっぷりのNHKはすかさずウラジオストックへ船旅をする。一番注目するのはウラジオストックから南方へ行ったところにあるクラスキノ遺跡というところだ。ここは渤海の首都、上京から日本道という名の直通道路が引かれ、日本と交易するための城が築かれていたのだと言う。ちょっと待って。クラスノヤルスクと名前が似てない?うん、なるほど・・・とテレビを見ながらうなずいていた。

ここから左右、中央の方向へ船を出したのであろう。解説の人も、季節風を活用すれば大陸から日本へは静かで安全な航路だったと述べていた。左は出雲方面、中央は富山、右は青森、秋田へ上陸したのである。
日本との交易で、日本からは絹糸、絹織物、金、水銀・・・など。替わりに毛皮、朝鮮人参・・などが都で喜ばれたようである。

さすがにNHK、関連する遺跡を映像で見せてくれる。やはり、テレビの説得力はすごい。出羽の代表として秋田城の遺跡、若狭には大伽耶の遺跡である脇袋古墳などを見せてくれる。後は、ヒスイで有名な糸魚川からさかのぼる木島平と根塚遺跡、それから一乗谷にある今城古墳なども興味深かったな。

私にとって、「おや?」と驚いたのは、渤海が仏教国だという事実である。恥ずかしながら、これは知らなかった。(恥ずかしかった)しかし、とんでもなく重要なことである。この当時、仏教国という事は、即ち、支配者層が匈奴系(おそらくは突厥系)であり、高句麗の後継国ではないという事だ。やはり、日本へ渡来した神社勢力というのは高句麗と北魏の部族で、渤海の時代はすでに満州は匈奴勢力の支配下にあったという事になる。

唐と新羅、そして渤海と日本の平城京、さらには突厥族、この五者の宗教を考えれば、おおむねどこが主導権をもっていたかが判明してくる。それにしても二百年以上続いたこの王国が秘密に包まれているのはまったく不思議なことである。

もうひとつ、菅原道真と渤海の関係だ。彼は渤海の使者と漢詩のやり取りをして文化を吸収し、もう遣唐使は必要ないと結論を出し、遣唐使を打ち切ってしまった。つまり、菅原は渤海に対し極めて親近感を持ったのである。代わりにそれで殺されたのだろう。
土師師の末裔と言われる菅原氏だが、それを聞いただけでお里がばれてくるのである。

一時間半もある教育番組だから、結構見るのは大変だが、私から見ても大変公平で、偏りのない客観的な描き方は実に気持ちの良い仕上がりであった。時間が許す限り、残りも順次見ていくつもりである。
もう放映は終わってしまったシリーズだが、いずれまた再放送されるのではないかな。
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by sibanokuni | 2010-01-04 06:30 | マヨちゃんの古代史

ペルシャ絨毯を堪能しました。

やれやれ、催事の一日目は散々だった。さすがに正月そうそうお客様はこないな。一日暇に過ごしてしまった。

しかしそのおかげで、ペルシャ段通を何枚も見ることが出来、専門家の説明も聞けて実に興味深い体験だった。
この主催者の店主は京都の祇園祭へゆき、山鉾の横に貼ってあるペルシャ絨毯にものすごく興味を持ったそうである。
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写真を見てもらうとわかるが、これは本物のペルシャ絨毯で、おおむね16世紀ごろの作品だそうである。京都から日本製の武器を輸出し、はるばるとシルクロードを経てその代金としてその種の貴重な品々が日本まで運ばれたのである。歴史には現れてこないが、戦国時代の幕が開くころ、京都にいる商人たちは世界を相手の交易をしていたのである。祭りの名前が祇園というのもなかなか示唆に富んでいる。
京都は西陣織が有名だが、秀吉が着用したと言う陣羽織はペルシャ刺繍で作られており、それらの技術が京都の織物の技術向上に役立ったことは言うまでもないことである。

ペルシャ絨毯の高級品はイランのいくつかの地域で作られ、イスファファン、クム、ナイン、タブリーズなどの産地が表示されている。各地とも固有の柄があり、実に美しく、且つ高価である。最近は政情が不安定で徐々に価格が上昇していると言う。もっともメーカーの言う事だから額面どおりに受け取る必要はない。
ただし、本当の高級なものは価値が下がる事はないので、相続対策にもなるという。もちろん換金するのはそれほど簡単ではないだろうが。ただ、宝石などとは違い、消耗品と考えれば良い。

昨日さわっていた高級じゅうたんは2mx3mで200万から450万ぐらいの絹、もしくは毛で織ったものだが、なるほどすばらしい。
「マヨさんも一枚いかがですか?」と勧められたが、あいにく我が家はシバちゃんが喜ぶだけで、それらを敷くような場所もお金も持ち合わせていない。こんなものを買う前にそれが似合う家からつくらなきゃならないだろう。ユニクロの服をきて、ルイビトンのバックを持つようなもので、やはり、持ち手を選ぶものだろう。残念ながら欲しいとも思わないし、一生縁がなさそうである。
さあ、今日もう一日がんばりましょう。高速道路が割引の日だから渋滞しそうでいやだな。
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by sibanokuni | 2010-01-03 06:41 | シバちゃんのため息

議員の悩み

昨晩はわが親族の新年会、某高級ホテルの中華料理で御会食でありました。現在の私の節約生活からして、まさに正月ならではというか、贅沢しすぎ・・・、なのですが、たしかに正月に営業しているところは少ないので、とかいいながらまあ、年に一度の大判振る舞いでござんす。

誰とは言えないのですが、土地長者の親戚がいまして、彼から聞いた話であります。
昔、某自民党市議に何度も世話になったそうである。それは市の道路計画に自分の土地が引っかかった時で、その買収価格があまりにも安く、役所と折衝しても話にならない、そこでさる不動産家に話をして、当時市議だった人に声を掛けた。あっという間に話がまとまったと言う。もちろんお礼は現金で金額は間に入る人の指示に従ったという。
「まったくね、自民党の市議や町議なんてのは土地の税金対策のためにいるのであって、地域の地主のために働いてるんだよ。彼等がいなくなると田舎の地主は困るだろうよ・・・」
つまり、都心部では土地の価格はある程度国土庁によって決まってしまうが、周辺の地域の路線価などそれこそ地主と議員の匙加減ひとつで決まるのだそうだ。
私はこれらの議員の活動をすべて悪だという気はない。議員というものは何かの利益代表であるのは当然だし、票を得るためなら、議員になるためには有権者の要望を聞くのは当然である。
道路を引く、信号を作る、側溝を整備する、補助金をだす・・・・これらすべてお役所はなかなか決まらないのだ。
そこで、議員さんの活躍する余地が生れ、役人はそれを利用し、お互い甘い汁を分け合うのだろう。
逆に言うなら、役人は議員の言う事は聞くが、市民の要求には冷たくなるのである。

こんなドロドロした世界は私には関係ないし、反吐が出るほどいやな話だ。しかし、我々のような一般市民の代表となるような議員がいないところが問題なのである。
名古屋市議会が腐っているのは今に始まったことではない。そして、他の市町村でも同じ事である。つまり、選挙に金がかかりすぎ、一般人とは別の世界なのである。河村さんの言うように議員の年収を抑え、ほぼボランティアにしたところで、選挙に金がかかる現実を何とかしなければ、むしろ汚職が広がる可能性がある。
そのあたりを何とかできないものだろうか。
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by sibanokuni | 2010-01-02 06:24 | シバちゃんのため息



ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。
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