シバちゃんのため息

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伊勢神宮は卑弥呼と壱與を祀ったの?

昨日、加治木さんの本が届いた。私としては5冊目で、いままで読んだ本を十分読みこなしていないのに、つい新しく着いた本を先に読んでしまった。「YAMATO」と言う副題がついた「謎の天孫降臨と大和朝廷の秘密」という本である。(900円はとても安いな・・・・)
正直言うと、とても大変な本である。一部認めがたいことや、事実誤認ではないかと思うことがないわけではないが、おそらく大筋でヤマト王朝の成立秘話を解くものでこれ以上のものはないのではないだろうか。
ただし、これがすべてではないことだけを承知の上、ぜひ皆さんも読んでいただきたい。そして、この本の中のいくつかの点で議論がしたいものである。
なかなか濃い内容なのでダイジェストにしてお伝えしたくても難しいのである。加治木氏は騎馬民族征服説の否定と、邪馬台国近畿説を否定するためにこの本を書いているため、逆に言えば満州方面からの渡来をすべて否定し、すべてが南方からやってきた部族としている。
そのわりには高句麗王・位宮(琉球出身であるとのべるが・・・)が垂仁天皇になったといっているのだが・・・。
また、白村江の戦いは大阪で起きたことで、百済(大阪)を日本が征服したとしている。つまり、日本・天智=新羅・金春秋が鹿児島から出発し、神武東征の行程で大阪へ上陸し、その後近江へ入ったと言う。
という事は、応援部隊が唐であり、唐の軍部がわざわざ日本まで遠征したと言うのだろうか?だったら旧唐書にその事情が載っているべきだし、日本の使者にたいしあのような疑問を呈することはあるまい。

まあ、細かいことはさておき、伊勢神宮に祀られているのが卑弥呼と壱與で、しかもその壱與は新羅の始祖だという考察はなんとも衝撃的である。しかし、考えてみると大いにありそうである。
何度も繰り返すが、この本の中で高句麗との関係がほとんど抜けている。この点だけを頭に入れて読んで欲しい。ほぼ完璧に思える加治木説だが、まだまだ屈服するわけには行かない。
そして最大の相違点はスキタイ族である。確かにインドへ向かったアーリア人がシャカ族となったのは認めるが、匈奴や突厥になったのも同じ部族である。インドから来たシャカ族は仏教徒で、シルクロードのスキタイは拝火教やゾロアスター、ミトラである。このあたりの扱いにやや疑問が残るのである。

さて、昨日の穴太衆に対して追加しておくことがある。昨日の「曹氏」に関してだ。森安孝夫氏の「シルクロードと唐帝国」からの引用です。p108
中国に来住したソグド人は、漢文書による行政上の必要から漢字名を持たされたらしく、その出身都市名を示す漢語が姓として採用された。」として、「康国はサマルカンド、安国はプハラ、米国マーイムルグ、史国キャッシュ、何国タシャーニャ、曹国カブーダン、石国タシケント、畢パイカンド」に由来する「康、安、米、史、何、曹、石、畢」という姓である。
もちろん、古来の姓と区別出来ないものもあるので注意が必要だと述べている。問題はそのカブータンだが、ジンギスカンの遠征時に完全に破壊され、今では名前も都市も失われているようだ。いずれにしても現在のウズベキスタンにあったのである。中央アジアのあまり有名ではないこの地域を中心に世界中を交易していたこのソグド人が、我々の考えるユダヤ商法とほとんど同じであることに注意して欲しい。私から言わせれば、彼らこそ失礼な言い方だが、元祖死の商人に違いないのである。
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by sibanokuni | 2010-02-16 06:30 | マヨちゃんの古代史

「あなた」は誰なの?

穴太衆に関し、いくつかのコメントが来ています。返事代わりに記事にしておきます。コメントありがとうございます。
穴太衆というのは私も長い間追及してきた部族で、古代の石工集団である。想像としかいえないが大規模古墳、あるいは堤防工事、その他高度な土木、測量技術を持った渡来人だったと理解している

それが地名として残るのは琵琶湖のそば、大津だが、そのほかにも丹波地方にも、あるいは当て字に変え全国に散っているものと思われる。いずれにしても戦国時代、城郭を築くためにはこの頭脳集団を利用しないことにはおそらく完成できなかったものと思われる。
昨日、サムライさんとコメント欄で話題になったのは私の早とちりですが、ピラミッドの建築技術とその穴太衆との関わりであります。まあ、それはなかなか証明できるものではなく、古代マヤの遺跡とか、アンコールワットであるとか、どちらかといえば私のジャンルでは解決できない方面から分析できていくものと思っています。(他力本願であります。)

さて、matsuさんからいただいたコメントには、「吉野の近くに「「賀名生(あのう)梅林」という場所があるみたいです。月ヶ瀬梅林より多い2万本の梅林で、南朝の皇居跡が残っている場所だそうです。
「あのう」と「皇居跡」がひっそりと残っている場所が気になってしょうがありません。」・・・とあり、「あのう」との読みが引っかかってきた。穴太?と関連あり?
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まあ、ネットとはたいしたもので、はるかスペインでそれを調べる人がいるんですね。私のヨーロッパ連絡員(秘密諜報員ですのでhiromiとしか明かせないが・・・)からコメントが来て、wikiによれば、「・・・もと「穴太」(あなふ)と書いたが、後村上天皇が皇居を吉野からこの地に移した際に、南朝による統一を願って叶名生(かなう)と改め、さらに1351年(正平6年、北朝の観応2年)、いったん統一が叶うと(正平一統)「賀名生」に改めたという。明治になって、読みを「かなう」から原音に近い「あのう」に戻した。・・・・」ときたもんだ。つまり、最初は穴太だったのである。

さらに異星人の梅干さんからも相変わらず面白そうなコメントが入り、ゴールデンウイークの旅行は意義深いものになりそうな予感がしてきた。

姓氏録にあるのは

連番    本貫    種別   細分氏族名 姓  同祖関係     始祖
1107山城国未定雑姓穴太村主村主       曹氏宝徳公之後也

未定雑種とあるから、出自が不明の部族出身である。しかし村主である以上、古市まゆみさん家と同じぐらいの地位、すなわちけっこうな豪族なのである。
落合莞爾氏によれば、彼らはアヤタチと呼ばれるサンカで、そのドンが上田家だという。そこと大江山衆とが結びつき大本教が結成されてゆくというのは以前考察したとおりである。

その穴太氏の始祖、「曹氏宝徳公」とは誰?でありますな・・・・。私の直感ではやはりソグド人になるのだけど、今日のところは時間がないので、後で調べます。

なにが言いたかったのかと言えば、賀名生梅林が穴太梅林だったという事だけですな。でも、ネットというのは面白いですね。
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by sibanokuni | 2010-02-15 09:20 | マヨちゃんの古代史

葛城山に登ろう

昨日卑弥呼をまとめていて、いわゆる魏志が加治木さんが言うほど厳密に書かれているのかと言う素朴な疑問は残るが、考え方を改めなければと思ったのも事実である。
魏志倭人伝のなかに神武天皇、崇神天皇、垂仁をはじめ日本書紀の建国の主人公達がほとんど出てくるというのである。
こじつけじゃないの?と疑わないでもないが、ずいぶん苦労して書かれた本だし、一つ一つの論証はよくされている。逆に言うなら、書記の編者は魏志を意識して、登場する人物は全部織り込んだということだろうか。

朝鮮の史書「三国史記」、日本書記、古事記、各地にのこる風土記などには同じような話が多い。それはもとはひとつの出来事を記録したものだが、その実話が支配者とともに移動し、話がそこに定着し、変型したのである。出雲のしろうさぎが朱蒙の亀になるのであり、海幸、山幸伝説があちこちにあるのである。
それらの色々な話を統合し整理することは、いわゆる歴史書の事業仕分けのようなもので、コンパクトにすることで国王、天皇の数は約半分に削減され、日本と韓国が歴史的に一体であったことが明らかになるだろう。

昨日も書いたけれど、加治木説では高句麗王が九州に来て神武になったと言う。その高句麗の神話によれば朱蒙が始祖になり、その朱蒙は百済の始祖とも言われる。さらに、新羅の始祖・赫居世は加治木氏によれば壹與であるという。私も以前から神武=朱蒙=檀君=檀石塊と主張してきたので大枠では一致する。
つまり、どちらが主体だったかを見なければ日韓はまったく同じ始祖を持つと言ってもよいのである。
高句麗王・位宮が琉球出身であると言う説はやや納得できないところもあるが、高句麗五部族の中に、夫余には存在していなかった桂婁部(けろべ)が出てくる。それが琉球からやってきた海運族だというのはありえないことではない。いずれにしても彼も和人なのである。
まゆみさんと昨日メール交換をしたなかでも話が出てきたが、日中韓の歴史はともすれば感情的な問題になりかねず、国家が歴史をはっきりさせないのにも、やはりある程度触れてはいけないお互いの理由があるのかもしれないと感じる様になってきた。そもそも国境がなければそのようないざこざはありえないのであり、国家のエゴが歴史を捻じ曲げるのである。
私が日本の支配構造を暴きたいと考えた事が新たに国民感情を刺激したのでは本末転倒ではないか。

これから大化の本をもう一度まとめようと思う。日本国にとって卑弥呼が死に、神武が即位したのは大きな変革だったが、それ以上の変革が大化である。そしてそれをひっくり返すのが壬申の乱で、その後、持統天皇のころ藤原家が政府を独占し、日本の国体が定まるのである。そして平城京なのである。
今年はその遷都1300年だそうで、私も五月には奈良を訪ね、葛城山にも登る予定を決めた。
加治木さんが子供の頃葛城山に登り歴史に目覚めたと言う。私もその山頂から河内平野を眺めてみようと思っている。
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by sibanokuni | 2010-02-14 09:23 | マヨちゃんの古代史

神武は垂仁だった?

お待たせいたしました。本日は朝床屋さんへ行きましたので、更新する時間がなく、遅い時間ですが、今から書き始めます。
本日は、加治木氏の「JINMU」のまとめになります。実は何回も読んだのですが、どうにも理解できなくて、都合三回は読んだかな・・・・それでも十分にこなせない。頭が悪いのだろうな。

話を始める前にひとつご注意を。これはあくまで加治木説を説明するもので、私が納得しているものではありません。また、論証はしません。つまり、今日の記事は私のための覚え書であります。そのつもりで。

まず卑弥呼が活躍した当時、つまり西暦250年ごろ近畿地方にはヤオ人がいたことは間違いなく、八尾人が支配していた。それがなまって弥生人になったのだという。本当かな?
そして昨日お話した宝貝で生活していた部族はカリエン人といい、ベンガルを含むミャンマーあたりが原産の人種だそうで、和国人=カラひとで、韓も同様、「黒」という意味である。これに対し倭人は「ウワイ」といわれ、「白人」という意味だという。つまり、インドに来たアーリア人のことのようだ。倭人は仏経を広めるためにインドから日本方面にやってきたシャカ族なのだ。それに対しヤオ人は中国から来たので道教、和人はどちらかというとヒンズー教のようである。(神道に近いのか・・・)

238年 魏は司馬仲達に命じ、燕王、公孫淵を亡ぼす。高句麗・山上王位宮は魏に味方し出陣する。魏は燕の旧領を楽浪郡と帯方郡として併合する。
239年 倭人連邦女王、卑弥呼が魏の帯方郡へ使者、難升米を派遣し朝貢する。

さて、この卑弥呼は実は加治木氏によれば宮古島からやってきた天照さまでごじゃるそうで、和人である。
問題の邪馬台国は鹿児島の隼人にあった。そしてその弟こそ崇神である。公孫氏と関係の深かった卑弥呼はその源は呉国で、烏孫から川を下ってきたというギリシャ人なのだそうだ。

こののち魏の母丘倹(かんきゅうけん)は高句麗を攻め、高句麗王位宮は破れ種子島へ逃げる。そしてそこから卑弥呼のいる邪馬台国を攻める。この種子島は三国志には狗奴国と書かれている。そしてその位宮こそが垂仁天皇である。卑弥呼は帯方郡へ助けを求めた。しかし遠征して来た張政が駆けつけたとき、卑弥呼はすでに死んでいた。そしてその弟、崇神がたつも狗奴国の垂人天皇が反乱をおこす。
そして邪馬台国と狗奴国が戦争をし邪馬台国は破れ、垂仁天皇が即位し、女王には台與(いよ・とよ)をたて、戦争は終る。出来た国が邪馬壱国となる。これが神武東征の中身で、垂仁は神武と同一人物なのである。
つまり高句麗王・位宮とは神武であり、かつ垂仁である。これが247年、神武元年なのかな?

では高句麗王が邪馬台国を亡ぼしたから日本は朝鮮人に占領されたのかといえばそうではなく、高句麗王・位宮は和人で琉球出身なのだそうだ。
結論から言うと、神武は孝元天皇、垂仁、吉備津彦で、なおかつ山幸彦、彦火火出見尊もすべて同一人物なのである。そしてひどい目にあったのが海幸彦であり、崇神天皇なのである。
これで仏経国の隼人国(邪馬台国)がほろび、ヤマト(神道)が誕生する。

日本書紀のなかの「磯城彦」が「彦五十狭芹彦の命」で崇神天皇で、かつ孝元天皇、この姉、「倭迹迹日百襲姫」が卑弥呼である。
では卑弥呼が天照なのだから戦った高句麗王はスサノウということになるのだ。ははは、わっからないよね。

三回読んで、私はおおむね理解したけど、それでも十分な説明はとても出来ない。ただよく調べてあり、かなりいい線の様な気がする。特に複数の天皇が同一だったとするのは実に鮮やかなのである。
納得できない人は、申し訳ないけど「卑弥呼を攻めた神武天皇」を読んでくださいね。
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by sibanokuni | 2010-02-13 17:45 | マヨちゃんの古代史

宝貝って知ってた?

本当に恥ずかしいことだが、加治木氏の本を読むまで沖縄近海で宝貝がとれ、それが殷の時代、貨幣として非常に珍重されたことを知らなかった。
もちろん、昔、貝が貨幣の代わりに使われたことは知らなかったわけではないが、まさか卑弥呼の話にそのようなことが関わってくるとは予想もしなかったのである。自分の無知もさることながら、何にしても今まで一度もそのような視点を示した人がいなかったのは不思議である。っていうか、貝の貨幣制度など調べた事もなかったのである。反省・・・・・・します。
とりあえずタカラ貝をwikiでみると(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%82%A4)、「タカラガイは世界中の熱帯から亜熱帯の海域に分布し、全て海産である。特にインド洋や太平洋の、潮間帯から水深 500m にかけての深度に多く生息する。砂の海底よりも岩礁やサンゴ礁を好む。」
「キイロダカラなどの貝殻は、アフリカ諸国では何世紀にも渡って貨幣(貝貨)として用いられてきた。特に西欧諸国による奴隷貿易に伴い、モルディブ諸島近海で採集された大量のタカラガイがアフリカに持ち込まれた。・・・・最古の貝貨は中国殷王朝時代のもので、タカラガイの貝殻やそれを模したものが貨幣として使われていた。国内の通貨としてのみならず、タカラガイはインドとの交易にも利用された。漢字の「貝」はタカラガイに由来する象形文字であり、金銭に関係する漢字の多くは部首として貝部を伴う。」
うんうん、やはり、海部さんはその意味があるわけだ。

中国の貨幣制度を調べてみると、「殷・周では、子安貝の貝殻を貨幣としていた。このような貨幣を貝貨という。現在、買や財、貴といった漢字に貝が含まれているのはこの当時貝貨が使われていたためである。貝貨は春秋時代まで使われた。春秋戦国時代に入ると、青銅を鋳造して貨幣とするようになった。」

つまり加治木さんによれば、当時の沖縄はその宝貝の産地で、350万人の人口が集中するアジア有数の生産基地だったというのである。だから宮古島に天照さんが君臨したのもそれほど意外なことではなくなる。
殷、周が滅び、春秋戦国時代終盤には金属貨幣が登場してくる。それが理由となって、沖縄で宝貝貿易で生計を立てていた住民が沖縄を捨て、各地へ散っていったことが日本から韓半島にとって大きな波紋を呼ぶことになるのだ。

天照さんが宮古島から九州へ移動するには理由があったのだ。これで、なぜ天照さんが宮古島にいたの?という疑問のひとつが理解できた。よしよし・・・・。

ところで子安神社というのが各地にあるが、子安貝というのが代表的な宝貝なんだよね、なんか関係があるのかな?
それにしても、歴史というのは難しいな。
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by sibanokuni | 2010-02-12 06:10 | マヨちゃんの古代史

余分のお金はないほうが幸せ?

パリの知り合いのご主人がやっている水道工事屋さんが一月末に二回目の不渡りを出し、事実上倒産したそうである。そこの奥さんとパリは昔専業主婦時代のゴルフ友達で、私も一緒にゴルフをしたことがある。(10年ほど前までは結構ゴルフもやっていた。今から思えば贅沢してたな・・・・)
その会社が創立したころ、会社のクーラーの清掃や、家の深夜温水器の取り付けなどなど、色々な仕事を頼んだものだった。とても丁寧で、礼儀正しく、恐ろしくきれいな仕事をするのに驚いた覚えがある。何よりもお客本位で24時間体制というのがウリだった。
その後、その会社は飛躍的に業績を伸ばし、地元でも有名な立志伝中の社長になったのである。
二人の子供も結婚して会社に入り、社員数も百人以上の規模に達し、田舎からカバンひとつで下請けから始めて30年、これほどの大出世はそうザラにはないだろう。

ところがである、私のカフェを施工した店舗工事屋さんから意外な事を聞いた。5年ほど前であろうか。話によれば、その社長の二号さんのためのラーメン屋を施工したというのである。我々夫婦はぶっ飛んでしまった。とにかく真面目で仕事しか興味がないご主人と聞いていたからである。当然なにかの間違いだと思った。しかし、女房は同じゴルフ仲間と定期的に食事会をしていたのでこっそりと探りを入れてみると、なんと知らないのはわが女房だけだったようだ。つまり、本当だったのだ。実際問題、失礼な話し、マヨちゃんと違ってそんなにもてるタイプではない。(これは?ではあるが・・・)
まあ、そんなことはいい。とにかく一年ほど前の話では、家にはほとんど帰ってこず、奥さんは子供も独立した今、たった一人で家に残されてしまったのである。得意だった料理もまったく作らなくなり、もはや誰の目にも幸せとはほど遠い人生になってしまった。
そんな話を聞きながら、「な、パリちゃんよ、男は成功するとそんなもんだよ。ちょっと貧乏ぐらいが一番幸せなんだよ。」と、ちっとも稼ぎが増えないとぼやくパリちゃんに慰めともつかない話をしていた。

昨年の夏、また次の新しい寿司屋を作ったと店舗屋さんが話をしていた。「たいしたもんだ」と感心していた。
ところが年があけたころ、その会社が一度目の不渡りを出した事を聞いた。かわいそうだから聞くこともしなかったけど今日、二回目の不渡りを確認した。

60歳を越えた夫婦が、いまさらゼロから出直すことは大変な事である。奥さんは自分を裏切った亭主ともう一度出直す気になるだろうか?せっかく大きくした会社を女で失ってしまったということだろう。魔が差したのだ。その点、マヨちゃんは大丈夫。先立つものがないから、これが一番。なあ、パリちゃんよ、そうだろ?
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by sibanokuni | 2010-02-11 05:57 | シバちゃんのため息

民族の概念はすてようよ。

先ほどコメントを眺めていたら飯山さんのHPが見られないとの情報が・・・、さっそく開いてみると、確かに準備中である。昨夜は見てるから、その後何かあったのか・・・・、またかな?

今調べました。http://grnba.com/iiyama/
に移動しているみたい。

さて、先日、まゆみさん家のコメントに、「この(まゆみさんとこ)サイトは古代史に詳しい方が多いようですので教えてください。今の韓国人は新羅人の末裔でしょうか、百済人でしょうか・・・云々。」

古代史に詳しいかどうかはともかくとして、なんとか答えたいと思い、実は5回ほどコメントを書いてはみたが、結局コメントをいれることが出来なかった。つまり、質問者の意図がわからないので、真剣に答える必要はないと思ったからだ。
なによりも答える前に、新羅人とか百済人の定義を教えてもらわないことにはうかつに答えることは出来ない。
韓国が出来る前は大日本帝国であり、その前は李王朝であり、高麗であり、統一新羅だった。その前の三韓時代については正確に答えることが出来る人は今のところ誰もいないはずだ。したがって、新羅も百済も消滅している以上、韓国人は新羅か百済の末裔かどうかなどそれぞれの個々の問題であり、何の意味もないのではないか。などなど・・・と考えが交錯し、私はもちろんのこと、私以外にも誰も回答をする人はなかったようである。

日本民族、朝鮮民族、などなど、これらの民族という概念は確かに存在するように思う。しかしどのように考えてもそれはそれほどの意味がないことを知るべきで、これらの概念が新たな紛争の火種になりうるのである。韓国人は韓国というひとつの国家に住む人たちの総称であり、それ以上でもそれ以下でもない。その国がなくなったとき、その民族は次の国家の民族になる。すでになくなった国家の民族名を口にするのは単にノスタルジーか、もしくは革命を起こそうとする危険分子でしかない。住民にとって住民のためになる政府さえあればどちらでもいいことなのだ。国土に線を引き、分断しておいてから民族を持ち出すのは支配者の御都合主義ではないか。人民にとって国境などは邪魔なだけだ。

私も加治木さんも一致しているのは、列島も韓半島も倭人が住んでいたとの認識である。中国の史書に現れている倭人とは広い概念であり、東アジア全般を示しているのである。倭国とは確かに日本列島にあったようだが、しかし、当時の国と言う概念は現在のような国境を定め、法律を定め、国家主権を主張するようなものではなく、あくまで地方豪族の集合体のようなものである。したがって、住民にとって民族的な関心などはなく、単に商品の流通や周辺の防衛を担う程度のものだったのだろう。

加治木さんがいい事を書いている。少々長いが引用しよう.(jinmuのp256から)

「私たちは「日本民族」なんかいないことを知っている。日本列島には入れ替わり立ち代り、あちらこちらから人々がやってきて、一緒になって暮らしてきた。その中のどれが「日本民族」なのか?絶対に決められない。それができるというものは大ウソツキなのである。・・・・中略・・・・・いま白人だと思っている人々も、自分の血にはジンギスカン一族の血が色濃く混じっている事実を知らないだけである。それはイギリス皇室の歴史を知るものには明白な事実だし、皇室自身もそれを恥じてなんかいない。恥ずかしいのはそんな「民族差別」を持っている人間のほうなのである。」

何が言いたいかというと、私は歴史の研究が民族の対立を生むことが怖いのである。日本から朝鮮半島へ進出したのか、半島から日本へ侵入したのか、それは歴史研究には必要な作業であるが、どちらが強く、どちらがひどい目にあったのか事実として調べることが紛争の火種になるようであれば、やはり学問とはいえ中止せざるを得ないではないか。もう少しみんなが大人になり、冷静に歴史を知りたくなるまで真実を隠蔽し、国民に知らせないようにするのもやむを得ないことになる。逆に言えば、支配者達は自分達の秘密を隠すために民族紛争をにおわせるというテクニックを使っているといえない事もない。
今、加治木説を勉強中だが、彼もやはり民族というものを意識することが歴史の研究の妨げになっていることを承知している。だからこそ彼の研究の評価が「とんでも」扱いになっている。真実を追究してゆくとどうしてもこのように扱われるのである。残念なことだ。
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by sibanokuni | 2010-02-10 09:24 | マヨちゃんの古代史

加治木さんはどうなのよ

加治木氏の著書で手に入れた4冊、「wajin」、「kofun」、「jinmu」、「taika」を一応全部読み終わった。
で、どうなのよ?・・・。
ある意味非常に感銘を受けた。正直言って「おみそれいたしました」である。いままで私が解明できないことをとてもたくさん解明しているし、知りたかったことのいくつかを教えてもらった。ただし、これを全部認めることは私にとっても大変な苦痛を伴う事でもある。しかし、一旦は全部受け入れないことには彼の主張を理解できないであろう。
そこで私は重大な決意を持って、もう一度順序正しく読み直すことを決意した。鳩山首相ではないが、「白紙に戻してゼロベースで考えてみる」ことにするのである。
全部彼の主張を受け入れ、それで新しい歴史像を築き、その上でマヨ理論とすり合わせるのである。今のように彼と対決しながら読むのは大変に疲れるのだ。白紙で受け入れることがもっとも正しく理解する事になるであろう。その後で見直せばいいのではないか。

彼の主張で大きく問題となるのは東日本に侵入した満州族の扱いと、スキタイ族を彼はインドからやってきた「シャカ族」と考えている事である。この問題は当分凍結しておこう。

日本から韓半島へ侵入したから日本の地名や名前があちらに残ると考えるのか、韓半島から日本に来たから日本に韓国語があるのか、高句麗の王を日本書紀の天皇に載せたのか、日本の天皇の名を高句麗王にしたのか、どちらも同じ様な事なのだが、民族的な自尊心からすれば非常に重大なのであろう。私にとってはどちらでもいい、しかしそれにこだわる人も多いだろう。
仮に韓国人であるなら加治木さんの説は到底認めるわけにはいかないだろう。しかし、歴史が事実を伝えるものであるなら、やはりそれはそれで仕方がないことである。
もともと私は真実が知りたいだけなのだから、結果傷つく事があろうがなかろうが関係のないことだ。
しかし一番恐いのは、仮に加治木説が正しいとするなら、韓半島の古代史のほとんどは空っぽになってしまうことだ。
はっきりいえることは、私もそのような気がしていたが新羅と百済の存在は非常に危ういということだ。私も百済の位置に付いては明確な答えを持っていなかった。それはどこにあったのかのたしかな証拠がなく、私の結論は絶えず移動していたのではないか、である。そして新羅に付いても統一新羅が出来るまで現在の韓国にあったとは一度も考えた事はなく、あくまで新羅(しらぎ)は大化の改新の後できた国で、それ以前は高句麗国の中に存在した小国(吉林にあった)だったと考えていた。つまり、現在の韓半島を私は倭国と考えていたのだから。
先日たまたま栗原氏の話から百済を遼東半島にあったとしたのは、彼が天皇家には朝鮮の血が入っていないといったからで、もしそこでないなら日本に百済があったとしか言えないではないか。
新羅は私の解釈では倭国のことである。倭国の支配者が日本へ侵入し、残った支配者が新羅を立てたのである。結果的には加治木説と同じ様なものである。やはりキーとなるのは天武、すなわち淵蓋蘇文だな。でも、私の持っている本には淵の事は書いていない。それは大化までの本しかないからである。次の本を手に入れ、壬申の乱を解けばすべてが解決する。彼は天武を種子島出身としているようだが、私は済州島もしくは高句麗としている。まあ、ゆっくり考えよう。
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by sibanokuni | 2010-02-09 06:02 | マヨちゃんの古代史

映画鑑賞費は特別会計?

「ねえ、マヨちゃん?」
「なんだ、シバちゃん。」
「パリちゃんがさー、アバターを見て来たって言ってるけど、マヨちゃんは行かなかったの?」
「うん、なんか、割引がなくて、とても高いから、マヨちゃんは見ちゃだめだって・・・、なんか画像はすごかったって言ってたね。」
「なんで、なんで・・・、マヨちゃんも行きたかったんじゃないの?」
「いやー、映画鑑賞は特別会計から支出するから・・・、パリの権益なんだ。」
「うそー、収入はマヨちゃんが稼いでるんでしょ?」
「まあ、それはそうだが、お互いに一般会計と特別会計は口を出さないと言うながーい歴史があるんだよ。」
「だめだよ、そんなの。いま世の中は厳しいんだから、パリの勝手にさせては・・・・。こないだもさ、僕の食事が一日100gあったのをさ、80gに削減するって言うから大反対したの。そうしたら、一日二回やるからって・・・、思わずやったーなんて喜んで契約したの・・・・。そしたらさ、朝30gで、午後に40gだって。減ってるじゃん!どう思う?パリってインチキだよ・・・。」
「それを朝三暮四って言うんだよ。まともに引っかかってるじゃん。馬鹿だね・・・。」
「だけどさ、そんな映画鑑賞費なんて絶対変だよ。事業仕分けしなきゃ」
「シバちゃんさ、おまえ財務省の怖さ知らないんだよ。大事な特別会計に手を付けると、一般会計で計上しているタバコ代をマヨちゃんの特別会計から出せって言うに決まってるじゃん。」
「あー、そうか・・・・。なんかマヨちゃん家も政府と同じようなことしてるんだね。」

・・・・・てなことはどうでもいいのだけど、3Dはすごかったらしい。(字幕が見にくいとか言ってたけど)
10年後にはほとんどの家庭でテレビは3Dになっているのかも・・・・。世の中、すごいね。
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by sibanokuni | 2010-02-08 08:44 | シバちゃんのため息

神武は架空?

神武は架空の天皇?昨晩、ねこさんのコメントやサムライさんの話を聞いてもそのような説が多いようである。
加治木氏を読むうち、「?」と思うことがあると、「それはJINMUに詳しい」とか「kofun」を読めばわかる」とか書いてあるので、結局購入した4冊全部を読まないことには話にならないことになってしまう。その人の最初の著書を読み、それを受け入れないことには次の本を読むことが出来ない。結果、読み終わるころにはしっかりと洗脳されてしまう。ちょっと困ったことなのだ。全部読む義理はないぞ・・・・ってね。
さて、私はあえて邪馬台国と今まで言ってきたが、詳しい人は台の字が難しい「台」と「壱」とあり、魏志倭人伝のみが「台」で、それ以外は「壱」と書いてあることで、両者は別物と論議している事である。
加治木さんの卑弥呼を読んでいない段階ではなんとも言えないが、「台」国の卑弥呼は「壱」国の神武に亡ぼされ、それが倭国になり、神武は俀(たい)国を作った・・・・と述べているようである。
まあ、中国の史書に「台」と「壱」と区別され、さらに「倭」と「俀」がある以上、何らかのメッセージが編集者にあったことは間違いない。つまり違う書き方をしている以上、別の物と考えるか、書き間違いか、もしくは同じか、その三種類しかない。
私の立場は、「魏志」の編者、陳寿は自分の雇い主、司馬仲達つまり晋王国の始祖を褒め上げて書く必要があった、だから特に邪馬台国の朝貢に関してはあまり額面どおりに受け取ってはならないのである。
陳寿はあえて真実を書かなかったから、その次の史書の編者は「台」の記事がウソがあるから「壱」と書いてそれを我々に教えてくれたのである。
話を神武に戻すと、日本国を建国したのはほぼ670年と考えればよく、その始祖は天智である。しかしそれでは日本は侵略王朝になってしまう。だから侵略した国家、それが倭国とするなら、その始祖を嵩神天皇とし、さらにその倭国が亡ぼした?国の始祖を作り、その始祖と一系とすれば万世一系を偽装できる。そんな程度の考えではなかったのか。
しかし、私の考えでは神武のイメージは朱蒙である。これは百済の始祖であり、高句麗の始祖であり、すなわち日本の始祖なのだ。
加治木さんは朝鮮の史書が11世紀に書かれたと言っているが、日本書紀には「百済記」などの朝鮮史書からの引用がある。つまり書記より前にそれらはあったのである。私の考えは朝鮮史を日本へ持ち込み、朱蒙の神話を神武に置き換え日本の始祖にすることで、自分達があたかも最初から日本を支配していたかのように偽装したのだ。つまり高句麗・百済の人たちが神武を始祖として日本へ持ち込んだというのが私の考えである。つまり、書記に書かれている神武は架空だろうけど、しっかりとしたモデルがいるということです。
以前にもお伝えしたが、その朱蒙というのは鮮卑の壇石塊のことであり、西暦180年ごろに倭人を捕らえ、漁業に従事させたという記録が残っている。檀石塊が遼東に進出した時、そこに倭人がいたという史実を加治木さんはどうとらえるのだろうか。また、山海経には「倭は燕に属する」とも書かれている。魏志に馬韓や辰韓、弁韓が倭国と接していると書いてある。中国史書に真実が書かれていると考えるならそれらを認めることが必要なのではないだろうか。史書を都合よく引用し、ある時は真実と考え、ある時はその記述を無視するのは公平ではない。
彼は新羅は九州にあった国で韓半島を占領したという。私は倭国が韓半島にあり、列島に侵入し、日本を建国したと考える。まさに正反対である。さあ、正念場である。がんばるべ。
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by sibanokuni | 2010-02-07 08:55 | マヨちゃんの古代史



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