闇の支配者
私の古代史理論は、カテゴリの「マヨの古代史」を見ていただきたい。が、もちろん、まだまだ大きな枠組みのなかで仮説を述べ、第一歩を踏み出したに過ぎない。
その中で、日本の国体は、権威の象徴として天皇に百済王を傀儡としてたて、その婚姻家系として鮮卑を藤原氏とする。しかし、権力の実態は寺社勢力(匈奴、突厥、ソグド人)が受け持ち、武力は彼等が保有するとした。 さらに、経済は主に神社勢力が受け持つ。いわゆる古代イスラエル部族やユダヤといわれるような人たちはここに属する。 まあ、こんな感じで日本を見て行こうと書いた。批判も多かろうが、少なくとも仮説としては我ながらなかなかいい線ではないかと思っている。ただし、これは日本が出来た当時の国体で、戦国時代、江戸時代、そして明治と変わってゆくに従い、当然構造は変化してきたと思っている。 今日、日本の支配者と考えてきたのはもっぱら権威を持つ天皇家と藤原家、そして財閥を形成した古代イスラエル部族である。つまり、お分かりのように、意図的に寺社勢力をはずして考察してきた。 なぜなら彼等の実権がまったく表に見えてこないし、また実権を持つっているようには思えなかったからだ。しかし、マヨ理論が正しいとするなら、日本成立以来、寺社勢力は天皇や藤原家の上に位置し、彼等を支配して来たはずである。では、それらの権力は失われてしまったのだろうか・・・・。 けれど、宗教法人の特権は今でも生きている。ラブホテルですらお布施で通ってしまう。固定資産税も、収入も、相続税も払っていない、さらに警察も寺社には及び腰である。ということは、やはり彼等に大きな権力があるからと思えないだろうか。 戦国時代、寺社勢力に挑んだのは織田信長である。彼は比叡山、延暦寺を焼き討ちし、日本の歴史はじまって以来はじめて最大の権力者に逆らったのである。では、その延暦寺のライバル、高野山に対してはどうであったのか? 信長は高野山を攻撃している最中に本能寺で死んだのである。ここにも信長を殺す動機を持つものがいた。 秀吉や家康は彼ら、天台宗や高野山と和解した、つまり、寺社は勢力を温存できたのである。 特に家康の死後、天海僧正により江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺が建立されてから、天台宗の宗務の実権は江戸に移った。 また、織田を苦しめたのは一向宗である。最終的に一向宗徒が立てこもる石山本願寺は信長と和解し、現在に至るまで彼等は権力の中枢に残っている。ただし、一向宗と浄土真宗の関係は謎の部分が多く、寺社勢力が反織田を結集するために仕掛けた策謀という気もしないではない。それら一向一揆の指導者は秀吉の時代に被差別部落に押し込められた事は以前に述べている。この陰謀についてはまたあらためて考察するつもりだ。 いずれにしても本願寺は信長と和解し、それ以後権力に寄り添い、あくまで天皇側として支配者の一員となっている。 ということは、反天皇としての権力を持つのは浄土宗、天台宗、そしてそれ以前から存在していた仏教ではないか。 先日、その比叡山延暦寺である天台宗と高野山の真言宗が歴史的和解をした。1200年ぶりの和解だという。彼らに和解せざるを得ない理由があるとしたら、それは彼等の権力に翳りが見えてきたからだとするのは考え過ぎであろうか。 さて、マヨ理論で言う寺社勢力は、実は権力を温存してきた可能性がある。特に天台宗と徳川家の関係は深そうである。表に見えないからといって、寺社に権力がないという事を意味しない。 難しいテーマだけに、もう少しじっくり考えて行きたいと思う。
by sibanokuni
| 2009-06-20 16:42
| マヨちゃんの陰謀論
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