修験道廃止令?
まあ、ここのところ明治の廃仏毀釈を軸に寺院と神社を洗いなおしているわけで、意外や盲点だったのは修験道であります。有名なのはもちろん熊野だとか、高野山とか出羽三山などで、ここらも昔からの神仏習合という日本まぜこぜ文化のおかげで、道教なのか仏教なのか、はたまた神道なのか、もはや明治時代の廃仏毀釈が行なわれた時点において判断すら出来なくなっていたのですな。
恐ろしいことに、明治維新の時点で、全国に山伏がなんと17万人もいたという事である。この山伏達に対し、新政府は山伏禁止令を発したのである。 今で言うならトヨタが派遣社員を全員解雇するよりも大きい影響が出たはずだ。 建て前によれば、修験道はあまりにも神仏が習合しすぎ、寺院になるか神社になるかを選択できなかったからであるとされるが、本当にそうなのだろうか。 17万人の山伏が全国を徘徊し、何をしていたのだろうか。もちろん修行なのだから、山にこもり自然を相手に仙人のような生活をしていたとは思うが、それにしても修験道を禁止するとはまた思い切ったことを・・・・。 日本の闇組織としてサンカとともに有名なのが役行者をあげる人は多い。つまり、彼等山伏は明治新政府にとって敵対する組織であったとみるべきであろう。幕府は彼等修験道を天台系の本山派か真言系の当山派に分断し、注意深く監視していたようである。 たとえば、彼等が徳川政府に雇われたお庭番だったとするなら、あるいは、京都公家衆が雇っていた秘密諜報員組織だったとしたら・・・・、などなどの妄想が私の頭の中を駆け回るのですな。はてはて、どちらが誰の味方なのだろうか・・・・。 サムライさんが以前から大江山系霊媒組織の存在を指摘してきたが、この修験道禁止令のあと、彼等はますます表の活動が禁止され、地下にもぐらざるを得なくなったと考える。 明治になり、神祇官が即ち、伊勢神宮がその修験道を禁止し、後に神祇官が廃止されてもその禁止令は廃止されなかった。このあたり、じっくり考えないといけない。 例の明治天皇の落としだね、堀川辰吉郎を応援したのが大江山系、つまり葛城山系であったことは、つまり昭和の初期において彼等は頭山満の配下にあったと考えるべきで、頭山、即ち玄洋社、黒龍会がかなり大胆にこの日本の支配構造を転覆しようとしていたのではないかと考えるのである。 明治の初めに17万人も山伏が存在したと言う事実は、いかに日本人の心の中に山信仰というものが根強く残っており、それは天皇が日本を支配する以前の原始日本の宗教であった道教が、入ってきた仏教を表にまとい、隠れ宗教として民間の中に残されてきたからではないのか。新しい国体を定めようとした明治新政府にとって、万世一系の国家神道を進める上で、どうしても表に出せない事情があったと考えるのが合理的ではないだろうか。 うーん、何の結論も出ないが、日本の闇の支配者を考える時に、この地下のもぐった山伏たちがどのように生き延びたかは、ぜひとも頭の中に入れておかねばならない問題なのである。 廃仏毀釈の陰に隠れ、戦後になるまで世に出れなかった修験道というやや不思議な組織をどう見るのか、私の頭の中はさらにパニックになるのであります。ちなみに、天狗さんも戦前は隠れていたみたいですね。
by sibanokuni
| 2009-08-19 06:28
| マヨちゃんの陰謀論
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