誰にも理解できない捏造の歴史
古代史の解明が私のライフワークであります。が、最近はまったく進んでいません。なぜなら、あまりにも私の仮説が画期的で、証明するような資料が何も出てこないからです。一応、今の時点で私が想像する古代史を発表します。真剣に読んでくださいね。なかなか納得できないと思うけど、何年も研究してきたことのすべてなのです。
645年、有名な大化の改新の年であります。唐の李世民は高句麗の将軍、淵蓋蘇文に遼東で敗れ、長安まで追い詰められた末、遂に城下の礼を取らされた。これはおそらく間違いがない。 そこから則天武后が周を建国するまで淵蓋蘇文は唐と高句麗の両方を支配したと考えます。つまり事実上、唐と高句麗の皇帝は淵になったと言う事です。 則天が周を建国するのは690年、それから則天が死に、再び唐という国名に復活するのが705年。なぜ国名が変わったのか。その説明はされないが、その意味を読み取るのが歴史家の仕事であろう。 古代史の一番の謎がこの645年から705年に凝縮されています。私はすべてのウソはここで起きた事実のすべてを抹殺するために行われたと考えるのです。 これは日本、中国、朝鮮、全員が関わる壮大な捏造の歴史です。この60年にわたる時代を解き明かさない事には古代史は絶対に完結できません。中国の旧唐書、朝鮮の三国史記、日本の書記、すべていかさまです。 淵は唐を支配すると同時に高句麗の王族を追放し唐に編入します。そして現在の吉林省にあった新羅(シンラ)を亡ぼします。もともと新羅(シンラ)と高句麗(こま)は親子の関係で、ともに白頭山の檀君神話を祀った同族です。当時、倭国は現在の北朝鮮にあり、百済は遼東半島にあったものと思います。倭国は淵と戦う主戦派と和平を望む保守派に分裂し、主戦派は追放され九州・大宰府へ逃げます。逃げた倭国の指導者は大宰府を占領し日本を建国します。 淵に対抗するために残った倭人は淵に降伏し、なんと国の名前を新羅(しらぎ)とします。さて、淵に追い出された高句麗の残党と、もとの新羅(シンラ)の残党は北へ逃れ、大祚栄を中心として渤海を起します。 淵蓋蘇文が死ぬのは666年?と言われ、淵が死ぬと同時に唐の支配体制は崩壊、朝鮮支配は放棄され唐は戦乱につつまれます。 一番注意を要するのは淵蓋蘇文は突厥とつるんでいたと言う事で、即ち彼は匈奴族もしくはソグド人であり、彼等は元の倭国を降伏させ新羅と改名したのち、そのまま日本へ侵攻します。 ややこしいのは日本書紀に描かれている天智、天武の時代で、現在の北朝鮮地域にあった倭国が九州へ上陸し日本を占領するまでの出来事が倭国側と、攻められる九州側の両側から描いた可能性があるということ。 さらにややこしいのは、書記に唐と書かれていても淵の支配した唐と李氏時代のの唐があり、新羅もシンラとシラギとがあるということです。従って、書記に出てくる唐の軍人はおそらく高句麗人のことである。当時の中国には日本まで来る力はなく、日本へ攻め込んできたのは匈奴、すなわち突厥であり、重要な事は彼等は仏教徒だったということです。 当時の九州は多羅諸国といわれ、伽耶、安羅などが海峡を挟んで存在していたと考えられる。彼等は徐々に倭国の侵略を受け、磐井の乱のころに倭国に占領されていたと考えます。占領される以前は、おそらく中国の南朝との交流が盛んで、道教や南朝仏教が伝わっていたと思われます。 白村江の戦い(663年)は遼東の百済が唐、つまり淵蓋蘇文の唐に攻められ倭国へ亡命した事件だっただろう。つまり、白村江とは鴨緑江だったのである。 九州へ上陸した天智天皇は半島から攻め込んでくる淵の部隊に追われ亡ぼされる。壬申の乱(672年)。 一方、淵、即ち天武はおそらく九州で亡くなっている。淵が天武であるなら淵の死亡した年は672年以降にならねばならないが、それは今のところ不明である。日本書紀には本家の三国史記にすら載っていない淵の遺言が載る、その遺言と毛利家の三本の矢の話が妙に一致するのが不思議である。 書記に描かれる持統天皇が実在したかは疑問だが、この時代に九州から奈良へ侵攻し、藤原京を造営したと考える。戦った相手は伊勢神宮であろう。 法隆寺は移築されたという事実は九州から奈良へ政権が移った事を証明する。700年前後であろう。 さあ、こまった。これで理解できる人は天才でしょう。あまりのスケールの大きな話なので、どのように説明すればわかってもらえるのか自分でもわからない。 私がここまで考えたのは関係する全員が、つまり、中国、朝鮮、日本が歴史を捏造しなければならないほどの理由はなんだろうと考えたからで、このぐらいの事があったと考えなければ説明できないのである。 中国としては唐が亡ぼされ、城下の礼を取らされた事はどうしても隠したい。朝鮮にしても、日本へ逃げた倭国の存在は消したい。日本も、もともと半島にいた倭国が侵略して作った国である事はどうしても隠したい。 みんなでウソをつけばいいじゃないか、となったのであろう。 ここで一番問題なのは、これらの仮説を証明するものは何もないと言う事なのである。なぜなら日本軍が朝鮮併合の折、遺跡や古墳、そして重要文書をすべて日本へ持ち帰ったからである。さらに、中国も現在の遼寧省、吉林省に残る重要遺跡を公開しようとしない。さらには鴨緑江周辺の古墳はダム建設のため多くは水没する運命なのである。また、元の倭国の地、北朝鮮はご承知の通り日本人が自由に出入りできない。 つまり、皆がぐるになって過去の歴史を明らかにさせないようにしている。 なぜなら、すべてが明らかになると三国とも大変に困るからである。北朝鮮問題がなかなか進展しないのはひとえにこのことがあるからなのだ。
by sibanokuni
| 2009-08-27 09:21
| マヨちゃんの古代史
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