牛頭天王は天皇?
頭の中にいろいろな妄想が駆け回っているなかで、ひとつの大きな疑問が解決していないことを思い出した。つまり、明治の廃仏毀釈のなかで、牛頭天王という祭神の多くがスサノウに書き換えられ、寺院が神社に姿を変えたことである。
一体、明治政府は何を考えたんだろう。もちろん、前にも言ったように、山伏禁止令の本当の意味もわかっていない。 ここに有力な答えを用意する。つまり、先日、半島の中で慕容氏という鮮卑部族が活躍したことを述べた。彼等は燕という国を建て、そして北魏に亡ぼされるまで、現在の満州から半島にかけて絶大な権力をもっていた。その彼等の宗教は仏教なのである。彼等を亡ぼした後、北魏が行なったのは廃仏であり、中華の伝統により、道教を国教に定めたのである。 順番に説明しよう。満州から遼東にかけて、古代はおそらく自然崇拝の山岳信仰だったろう、そして檀石魁、即ち、古代イスラエル部族ダン族が新しい宗教を持ち込み、檀君神話を創設した(西暦180年ごろ)。この後、中国から伝わった道教が一部広がった後、燕国が仏教を伝えた(300年から450年)。しかし、北魏により再び道教に変わり、さらに、北魏が仏教を公認すると仏教と道教の習合がなされるようになった(500年前後)。 これが西暦500年ごろの満州地域の宗教である。 この宗教の変遷と日本の宗教は忠実に一致するはずである。と言うのも、満州と日本は古代から密接に関わってきたのだから。 さて、問題は牛頭天王である。はっきりいって、牛頭天王、四天王、八王子・・・などは五胡十六国の胡族がもたらした仏教の神さまのことで、天王は国を支配する最高神、つまり彼等の皇帝のことだったのである。 ずばり言って、牛頭天王を祭神とする寺院や神社は半島から侵入した胡族であり、具体的に言うなら鮮卑の慕容氏だったのだ。 もちろん日本には多くの部族が侵入していたので、牛頭天王だけで日本全土を支配していたわけではない。しかし、彼等は各地に自分たちの国を作り、その指導者を天王と呼んだはずである。 まず、明治政府は国家神道を作るにおいて、何よりも万世一系を基本とする必要があった。その中で天皇が天王と同じ意味では少し困る。したがって、胡族が仏教を持ち込んだ痕跡は消さなければならない。これが牛頭天王を消し去った理由である。さらに、北魏の足跡を消すため、道教が伝わったこと、さらに道教と仏教の習合である修験道も消さなければならない。これで明治政府は万世一系の日本版一神教を作り上げたのである。ずいぶんと苦労したのだ。 それにしても仏教の伝来時期はでたらめだし、道教は隠そうと思っても人民の心の中には道教の心が残っている。正史は書き直せても、人の心は書き直せない。 日本の歴史がいかにでたらめなのかは宗教を調べるだけでも明らかである。日本人は神道と仏教を上手に習合しただと?とんでもない欺瞞である。明治時代の廃仏稀釈は調べれば調べるほど面白いもので、明治政府があわてて行ったことの意味を調べれば、逆に日本史が見えてくるのだ。実に皮肉なことである。 日本書紀を一生懸命勉強すれば日本の歴史がわかると思ったら大間違いである。私の考えでは桓武天皇のころに大幅に書き直され、それに合わせ各地に残っていた風土記も書紀合わせをさせられている。 書紀を無視しては歴史が描けないが、大きなうそを暴くには、こちらも大きな想像力を発揮するしかないのだ。
by sibanokuni
| 2009-09-11 09:37
| マヨちゃんの古代史
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