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シバちゃんのため息

特別な家系

今日はまた寄り道しましょう。

昨日、葵祭りに関して洛外さんからいただいたコメントの一部であります。

「朝、御所では牛馬の鞍と共に衣装が並べて有りますが、其処には荷札があり、私の着る物は「白丁」と書いてありました。これを見てびっくりした事は言うまでも有りません。
以前から「ハクチョウ」とは、周りの人同様、衣装の名前かと思っておりました。
それは他の豪華な物に比べ、一重の麻地で正に「白丁」が着るに相応しい?物です。」

せっかくだから写真を探してみた。素晴らしく綺麗な写真が見つかった。さすがに上手な人が写真を取ると、すごい!そのページには次のような説明がある。内蔵寮史生(くらりょうのししょう) 内蔵寮(くらりょう 皇室経済をつかさどる官庁)の七位の文官で、御幣(ごへい 神に捧げる財物)を管理している。騎乗し両社に各1名が参向する。所用品を携えた雑色(ぞうしき 人夫下僕)、白丁(はくちょう/はくてい 御幣櫃をかつぐ役)を従える。
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その中に書いてある御幣櫃をかつぐ役の写真もありました。
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ちょっと話はそれるが、伊勢神宮の宇治橋は遷宮の度に架け替えが行われ、大橋の守護神である 饗土橋姫神社 ( あえどはしひめじんじゃ ) での祭儀に続き、古式にのっとり渡り始めが行われます。「 渡女 ( わたりめ ) 」を先頭に歩いて渡ります。・・・・・・http://iseshima.keizai.biz/photoflash/archives/
特別な家系_b0166522_6172981.jpg

これらのように、皇室の祭事には昔から代々その役割を引き継ぐ家系があるようである。私がお種という場合は、確かに王家を引き継ぐお種もあるが、重要な役割を引き継いでいる家系もあると考えている。
そのようなことも知らずに、単に差別であるとか、賎しいとかを語る人は歴史を知らないのである。

私がお種理論を考え出したのは、北条政子がどうして平家でありながら源氏の棟梁の貴種である頼朝を婿に選んだのかと言う事と、義経が仮にジンギスカンになったとしたらやはり相当な「お種度」があったとしか考えられなかったからである。
源氏から政権を奪った北条家は自らは将軍になれず、執権となった。これこそお種度の問題なのである。この話はおいといて・・・・・。

伊勢王朝にしても、いわゆるそれまでに存在していた各部族を亡ぼし、そしてそれらの祭祀を引き継いでいるのである。そして、その祭祀を行うに当たり、必ず定められた部族にやらせる必要がある。
写真の渡り女も、おそらくは伊勢神宮に亡ぼされた一族の何らかの「お種」を引き継ぐ子孫なのだろう。

葵祭りで白丁の装束を着て歩く人たちは単に形式だけであろうが、現実に斎宮へ天皇の娘を人質に出していたころは本当にこのようにやっていたはずだ。

つまり、天武の時代であるから7世紀から8世紀ごろ、日本を支配した百済王?は伊勢王朝と和平交渉を行い、天皇の娘を人質にすることで国を譲り受けたのである。つまり、賀茂氏は天皇家の有力な外戚となったのである。しかし、戦乱の世にその権力は平氏、源氏、足利、新田、徳川などに奪われ、明治維新までは勢力を失っていたのである。ただし、伊勢商人として全国に諜報ネットワークは持っており、明治維新において重要な役割を担ったのである。もちろん、寺院に抑圧されていた全国の神社を代表したのだ。

話を戻すと、白丁という被差別部族は百済王が現地から引き連れてきた人たちだと考える。つまり、平安時代には間違いなくそのような特殊な仕事をする部族が京都の周辺に存在したのだ。彼らにとって、その種の祭礼での仕事は晴れやかな舞台でもあり、収入源であり、義務であり、権利であったのだ。
権利を守るためには「お種」は大事に保存されたのである。
はて?またお種の話になってしまった。
by sibanokuni | 2009-12-13 20:36 | マヨちゃんの古代史
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ため息ばかりのシバちゃんと、ぼやいてばかりのご主人様、マヨの日記です。

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